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【追憶の競輪場FILE ①】熱狂と騒擾の住之江競輪場

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以前の投稿「大阪にはなぜ公営競技場が少ないのか」で少し触れた住之江公園内にかつてあった住之江競輪場ですが、その面影を求めてサイクリングいってきました。

suminoe park

大阪市の中心部から新なにわ筋を10kmほど南進すると、自然と大阪湾側に大通りは寄れ、住之江公園と競艇場が見えてきます。地下鉄ならば四つ橋線の終着駅なので、非常に分かりやすい場所に所在しています。住之江公園駅はニュートラムの乗換駅として何度か利用したことはありましたが、公園に来たのは初めてです。住之江区の最大面積の公園で、緑地面積が少ない大阪市においては貴重な空間となっています。

 

suminokouen

 

競輪ブームの火付け役となった 「住之江競輪場」

住之江競輪場は1948年の自転車競走法成立を受け、日本初の競輪開催を目指し大阪府が着工しますが、小倉競輪場に先を越され1ヶ月遅れの48年12月に日本で2番目の競輪場として開場、日本で初めての連勝複式車券の販売実施など注目を浴び、驚異的な人気となり、その成果を見て全国各地で競うように競輪場が短日月のうちに建設されるようになりました。

1958年発行の「大阪競輪史」によると、住之江競輪場は敷地総面積13000坪、コンクリート舗装された500m走路と1200席の観覧席、2ヶ所の投票場が設けられ、収容人員20000名、総工費は1885万円だそうです。

 

suminoe keirin  suminoe bank

 

| 競輪の存廃議論のきっかけとなった「住之江競輪 八百長騒ぎ」

華々しい成果を納めた府営競輪も八百長騒ぎが相次ぎ、49年5月には大きな暴動騒ぎが発生、レース内容に不満もった観衆の一部が走路内に乱入しやり直しや払い戻しを要求、さらには関係者を暴行し、投票所に油をかけ放火をしました。脅迫を受けた執務委員は身の危険を感じ不的中車券を買戻しをすることを発表しその場を収めましたが、翌日に前言を撤回するなど事態が混乱、施設も騒擾による破損で三ヶ月間の休止となります。

その後もお隣の兵庫県の鳴尾競輪場でも同じような暴動騒ぎが起こり、遂には競輪の存廃が国会で議論される事態となってしまいます。

惨事を重く見た大阪府知事が55年に府下の公営競技場の廃止の意向を示し、64年に12年間という短い期間で幕を閉じます。

 

naruojiken

 

公園で休憩をしていた地元のご老人に話を伺うと、事件はおろか公園内に競輪場があったことすら初耳で驚いた様子でした。普通なら園内に歴史を記す石碑やモニュメントがあってもいいものなのですが、今ではちょっと考えられないような物騒な幕切れを好く思っていなかったのか、競輪場の名残を偲ぶものは何もありませんでした。

古い航空写真で見ると野球場の外野側に施設はあったようですが、園内にあった野球場は比較的新しく最近に造り直された感じがします。球場のレイアウトが当時のままだとすると南側にある広場に施設があったということになります。

 

suminoe baseball

 

競輪と競艇が共存した住之江公園

また、新なにわ筋を挟んだ公園の東側には府下唯一のボートレース場があります。全国屈指の競艇施設として知られ「ボートレースの聖地」とされるほどファンからの支持されています。先ほどの休憩中のご老人もボートの大ファンで、嬉しそうに自身のギャンブル歴や競艇の歴史を語ってくれました。

 

suminoe pool

ニュートラムを借景にした施設は近未来的で整備が非常に行き届いていて、聖地化されるのも頷けます。先月に行った奈良競輪場の惨状を見た後にこの施設を見ると、同じ公営競技場なのにここまで違うのかと複雑な気持ちになります。

 

suminoe boatrace

住之江競艇場は1956年に狭山池で開催されていた競走を引き継ぐ形で開場、主催は箕面市で大阪市には恩恵がほとんどありません。このような収益体系になっている理由は競艇の歴史的経緯があり、競艇の父・笹川良一が深く関係しています。

 

sasakawaryoichi

笹川は三島郡豊川村出身、今でいう箕面市の南東部の生まれ。裕福な造酒屋の家で、英国製自転車「ラージ号」を三島郡で初めて入手し登録したのも、笹川の父・鶴吉だったそうです。

公営競技の歴史をたどると競馬(地方競馬)・競輪の開催に遅れて、1951年にモーターボート競走法が定められています。競輪発足時の1948年、戦時中に代議士だった笹川は戦犯として巣鴨に収監されていて、東京裁判の判決を待っていました。同じように見える公営競技も戦後間もないこの激動の数年間が、双方の在り方を大きく変え、後の発展に大きな違いをもたらします。

 

boatrace suminoe

GHQに間接統治され、初の日本国憲法による選挙により誕生したのは社会党政権の片山内閣でした。GHQは敗戦後の日本が再び強国になるのを恐れ中央集権的な組織ではなく地方分権を進めます。競輪や競馬も地方ごとで開催するように法整備され国営競馬は廃止し、新たに「競馬法」と「自転車競走法」が制定されました。

日本と対峙していた連合国軍(米・中・ソ・仏・英)はそれぞれ異なった政治思想があり、ポツダム宣言以後、世界情勢は「枢軸(帝国主義) vs 連合」の構図から「西側 vs 社会主義」へと変質化します。1949年には中華人民共和国が誕生、50年には東西の代理戦争である朝鮮戦争が勃発します。このような状況下でGHQは、日本を共産主義の防波堤として傀儡化した方が都合がいいと考えを変えるのです。その結果、死刑を覚悟で豊川村に墓まで立て志願して収監された笹川は不起訴となり釈放されます。

この時に釈放されたメンバーを中心に日本はアメリカと協調し、敗戦で焦土化した日本に奇跡的な成長をもたらします。

後に総理大臣となる岸信介、読売グループ総帥正力松太郎、ロッキード事件の黒幕でフィクサーとして悪名高い児玉誉士夫、そして笹川です。日本は1951年にサンフランシスコ平和条約にて主権を回復し、再び中央集権的な体制へと舵を切り、笹川は競艇の中央組織である振興会を設立、競艇は競輪を抜き去り公営競技の王者となり、日本最大の財団へと成長をとげます。

競馬も54年に中央競馬設立され、従来の地方競馬場と合わせ現行の体制が成立、発展していきます。

【FILE②】では、長居公園にあった(地方)競馬場「大阪競馬場」と「大阪中央競輪場」の紹介をしたいと思います。

 

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冒険家 池本元光と「タルーゼ号」

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私の目の前に1冊の古い本があります。

数年前に入手したこの書籍は1982年に出版された「アフリカよ、キリマンジャロよ」というタイトルの冒険記で、著者は大阪出身の池本元光というアドベンチャーサイクリスト、79年にアフリカを走破した記録が綴られた1冊です。

私はこの冒険家が好きで、同書籍と前作「世界ペダル紀行㊤㊦」(1974)を併せて図書館で借り、以前に読んだことがあったので、購入後もしばらく読まずに書棚に置いていました。そして、忘れたころに何気なくページをめくってみて大変驚きました。

 

africa cycle

 

40年前の本の初頁には1枚に写真とともに著者のサインが書かれていたのです。

親愛なる
髙橋 勇さまへ

どうやらこの本は著者が自転車研究家の髙橋勇氏に贈った本だったようなのです。

– – –

(前回の続き)

大阪・河内長野市の自転車遊園地「関西サイクルスポーツセンター」の正面入り口を入って左手にターミナルハウスという2階建ての建物があります。1階部には総合案内所や売店がありスタッフもいるのですが、2階に上がると古い自転車や資料の展示コーナーがあり、賑やかな遊園地の中の静かな空間が広がっています。

これらの貴重な展示品は、関西の自転車企業から寄贈されたもので、なかでも高度経済成長期に大阪の自転車業界のリーダー役として存在感を示した城東輪業社(大阪市)の寺島常雄氏のコレクションが目を引きます。

 

terashima bunko

当時は本格的な自転車博物館が国内にはなく、ニューサイクイリング誌(1973年1月号)では、前田工業の資料館と寺島・髙橋の両氏のコレクションの存在を挙げています。前田工業は変速機メーカー「サンツアー」として一時代を築きましたが1990年代に廃業、髙橋氏も他界し収集品が散逸状態にあります。

私は数年前から髙橋氏の収集していた書籍類の再収集のため、古書店や骨董市巡りなどをしていた経緯があり、冒頭のサイン本「アフリカよ、キリマンジャロよ」を偶然にも入手したのです。

著者の池本氏は1947年生まれで、髙橋氏のサポートを受け68年から4年4か月をかけ5大陸を走破、帰国後も同氏の紹介で関西サイクルスポーツセンターに勤務、自転車冒険家との二足のワラジを履きながら昨年に勇退されるまでセンターで勤めました。そして、ねぎらいを込め昨年11月から「世界を駆け抜けた自転車冒険家の軌跡」と題して、池本氏の愛車「タルーゼ号」など10台のキャンピング自転車が常設され、体験を伝えています。

taruze
▲ 1978年にキリマンジャロ登頂したタルーゼⅢ号 

 

「タル―ゼ号」のネーミングは「やったるぜ!」という意気込みが由来でNational製のツーリング車です。池本氏は、髙橋氏とメーカーによるサポート、そして持ち前のタルーゼ精神により、世界五大陸走破やキリマンジャロ登頂など偉業を成し遂げます。

その冒険旅行は書籍だけでなく、雑誌広告やカレンダーにもなり、僻地の記憶とロマンを当時の人たちに紹介しました。バックパッカーのバイブルとされている沢木耕太郎「深夜特急」が1980年代の紀行書なので、その10年以上前に道なき道を単独で自走していたというのですから驚きです。

 

national bike
1974年ナショナル自転車のカレンダー (所蔵:サイクルショップ203)

 

アフリカから帰国後、池本氏は日本アドベンチャーサイクリストクラブ(JACC)を創設。自転車で世界一周を達成したメンバーを中心に構成されるこの団体には、植村直己賞受賞者の中西大輔氏や劇作家の平田オリザ氏などおよそ300名が所属、次世代へ夢をつなげています。

 

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また、JACCが1982年から年4回発行している季刊紙「ペダリアン」は、150号を超え、現在の発行部数は10000部と冒険家たちの体験を伝え続けています。

 

kansai cycle sports center

センターには「タルーゼ号」を含む10台が出展者の行程やメッセージなどと共に展示されていますので、遊びに行った際は是非ご覧ください。

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大阪の遊園地といえば「関西サイクルスポーツセンター」や!

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関西サイクルスポーツセンターに行ってきました。

unique cycle

春、満開。随分暖かくなってきたので、大阪の南部河内長野市にある自転車がテーマになっている遊園地「関西サイクルスポーツセンター」に行ってきました。

kansai cycle sports center

近鉄・阿部野橋駅で約40分、河内長野駅で下車しそこからバスで30分ほど、電車で行くと結構遠く、特に平日はバスに魔の時間帯があるので、ダイヤをよく確認していった方がいいかもしれません。

園内のアトラクションは自転車をテーマにしたものが中心となっていて、特に200台以上ある「変わり種自転車」は大阪人にはもうおなじみで、通天閣や万博公園(太陽の塔のある公園)に匹敵するレベルの定番スポットとなっています。

cycle sports center

センターは関西の自転車業界の出資などにより総工費23億をかけ1974年に開業、緑豊かな金剛生駒国定公園で、自転車の楽しさと自転車を通した地域社会の発展を目的に財団法人自転車センターによって運営されています。

 

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パーク内にはキャンプができる宿泊施設やプールなどもあり、広大で総面積は約20万㎡、周囲を取り巻くように全長3kmのサイクリングコースに囲まれています。周長400mの競輪用バンクから子供も楽しめるアトラクションなどもあり、ファミリーやカップルだけでなく自転車マニアも楽しめる施設になっています。

 

sky walker

施設の利用には入場料800円(大人)と利用料がそれぞれかかります。キャンプ場やバンクの利用は予約が必要で、プールは屋外プールなのでこの日は営業していませんでした。乗り物の利用はフリーパス(身長110cm以上2200円)の購入が、時間制限なく遊べるのでおススメです。

 

walter cycling

水の中を走行する「水陸両用サイクル」などは一周すると結構いい運動になりますし、ペダルをこいで高さ30mまで上がる「サイクルパラシュート」は眼下に大阪の市街地が広がり恐怖でグリップに冷や汗が残ります。

cycle park

USJに新施設ができた直後なので、そちらに客を奪われているのではないかと少し心配していたのですが、春休みということもあり、大学生くらいの若い女性組や壮年期のご夫妻など幅広い層に支持されているようで賑わっていました。

完。

 

 

 

と、だいたい大阪人が知っている関西サイクルスポーツセンターはこんな感じで「知っとるわ」という感じだと思いますので、次の投稿ではパークに行った際に絶対に見てもらいたいディープスポットの総合案内所のあるターミナルハウス2階を紹介したいと思います。

kssc

 

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奈良競輪は本当に盛り上げっているのか

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少し前のインターネットのニュースで奈良県営競輪の売り上げが急増しているという記事が取り上げられていたので、実態を確認すべく奈良競輪場に行ってみました。

nara keirin

奈良競輪場は大阪市内から近鉄電車でおよそ1時間、平城宮のある平城駅で下車して、徒歩10分ほどの場所にあります。

 

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古都として繁栄した一帯には、古墳や寺院と昔ながらの田園風景が広がっています。競輪場以外には高層の建造物はあまりなく、電車の車窓からも、競輪場が確認できますので、迷うことなくたどり着けます。

 

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奈良競輪場は県営施設です。関西では奈良の他に和歌山が県営で、京都向日町競輪場が府営となっています。以前の投稿で、大阪府の公営競技場が知事の意向により全廃された鳴尾事件について投稿しましたが、兵庫・滋賀県も老朽化や収益性などを理由に平成期に廃止されました。全国に60以上あった施設も現在では42施設となり、統括するJKAはこの体制を堅持する意向を強く示しています。

 

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バンクは直線の短い333m、1950年に開設のようです。70年経つとさすがに建物の老朽化が目立ち、走路も亀裂を補修したような跡が残っています。施設は古いのですが、ナイター設備があり、この日も夜の20時半まで競走が行われるようでした。

 

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毎日新聞の記事によると、奈良競輪の車券販売金は2019年度が約131億円、20年度はその1.4倍となる187億円となる見込みだそうです。そんなに好調なら観客席には多くのファンがいるのだろうと普通は思いますが、暖かな日和にも関わらず、観客席はガラガラです。なんと見渡す限りの空席。出入り自由なので正確な観戦者数は分かりませんが、多く見ても50人もいないのではないでしょうか。

 

nara bank

 

売上急増なのにこの散々な有様は、一体どういうことなのでしょうか。

競輪の車券の売上げは5年程前に底を打ち、その後、女子競輪の復活などで人気が回復してきています。一方で、競輪場の入場者は、減少に歯止めがかからなくなっている現状があります。

パチンコやカジノなどと異なり競輪を含む公営競技はインターネットによる投票が合法化されています。ファンは競輪場に行くことなく自宅にいながら、スマホやパソコンで投票し、競走を配信動画で見ることができるのです。

県の担当者も毎日の取材に対し 「コロナ禍の『巣ごもり需要』が影響したと考えている。自宅で楽しめるため、ネットでの発売が大きく増えたのではないか」とネット投票が売上急増の原因だとしています。

 

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(出典: 経済産業省 競輪関連データ)

 

競輪場に行かなくても、車券が購入できる―
コロナやインターネット投票の普及は確かにファンの競輪場離れの要因になっているのかもしれません。

しかし、私はそれ以上に施設自体に問題があるのではないかと思っています。

 

深刻な競輪場の老朽化問題

この奈良競輪場も老朽化が激しく、ビニールシートがかけられていたり規制線が張られていて立入ができないエリアが結構あります。公共施設にもかかわらず、車いす用エレベーターや外国語案内も一切ないどころか、ほとんどの建物が耐震強度を満たしておらず閉鎖されていて、中には今にも崩れてきそうなものもありました。

nara velodrome

 

競走開催日なのに場内にある休憩場や飲食店もほとんど閉まっていて、野球場やサッカーのスタジアムとは全く違う場末感が漂っています。廃屋化してもうなんだかわかんないオンボロの建物があったり、管理ができないのか街路樹は伐採され、地面のアスファルトも継ぎはぎだらけでボコボコで、本当にここが21世紀の日本なのか疑いたくなるほどです。繰り返しになりますが県運営の公共施設です。

 

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さらに、みなさんに知っていただきたいのは、こういう状況は奈良競輪だけでなく、他の競輪場も大差なく、奈良はむしろ08年にはアジア大会も開催されたり、これでも報道の通り好調な施設なのです。全国のほとんどの競輪場は開場から半世紀を超過し、過渡期を迎え、各地で存廃の議論がなされ始めているのです。
車券の売上げが好調なのにJKAが、体制を現状維持に留めているのも、このような背景があるからなのです。

では、競輪場はこのままオワコン化してしまうのでしょうか。

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注目される国際規格の新しい千葉競輪場

千葉市が運営している千葉競輪場も開場から70年が経過し、廃止が検討されていました。千葉県にはもう一つ松戸市が運営する松戸競輪場があるだけでなく、県内に競馬場も2施設抱えています。

なんとか改修し、存続を希望する競輪関係者に対し、千葉市市長は驚きのプランを提示します。

 

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画像:千葉市のホームページより

 

現状の老朽化したバンクを解体し、建設費70億をかけて国際規格の屋根付きバンクを千葉公園内に建設するとしたのです。

市長は自身のSNSで「国際規格での競輪実施は千葉市のみならず日本にとって大きな挑戦です。」とし、市民が誇れる場所にすると意気込み、計画では250mの板張りトラックに客席も3000席設ける設計になっているようです。

関係者も仰天したこのプランを先導した市長こそが、先日、森田知事の後を受け千葉知事に当選した熊谷俊人氏なのです。

私は千葉市のことはあまり詳しくありませんが千葉公園というのは千葉市の中心にある大きな公園なので、大阪でいうなら天王寺公園か中之島公園に相当するような公園なのでしょうか。大阪人の私からするとそんな場所に競輪場があるのが少し驚きなのですが、特に熊谷氏は、これらを含む公園管理の実績を高く評価され、他の候補に100万票以上の差をつけての圧勝となったのです。

 

chiba keirin
写真:千葉市のホームページより

 

さらに、千葉市は同施設で「250ケイリン」(仮称)という新ルールの競輪を年内中に実施するとしています。この競技がどれほど盛り上がるかは分かりませんが、JKAは「今までとは違うスポーツエンターテイメント色の強い演出」の競輪を実施するとしています。

私はこの「250ケイリン」が今後の競輪場運営に大きな影響を与えるではないかと考えています。

同競技が成功すれば、存廃議論中の他の老朽施設も新規格の競技場にドミノ倒しの様に変わり、一気に競輪のイメージが変わり、新しいファンの獲得ができるのではないかと考えています。

 

夢のような話をしましたが、最後に奈良競輪場に話を戻したいと思います。

同施設は千葉市と異なり見渡す限り水田が広がる場所に所在しています。奈良県民であっても、通りすがりに行けるような場所ではありません。しかし、観光資源として平城宮を始め寺院や古墳が点在しています。私は、この奈良競輪場を広島・尾道市「Onomichi U2」のように、地域観光の拠点として再活用してはどうかと考えます。

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施設改修のお手本「Onomichi U2」

今、国内の観光業において「サイクルツーリズム」という言葉がキーワードとなっています。

国土交通省が後押しをする自転車を活かした観光スタイルなのですが、私の知る限りこの言葉が使われ出したのは2010年代中頃とそう古い言葉ではなく、日本独自の和製英語ではないのかと思っています。仏語由来の「シクロツーリズム」と混同されることがあるかもしれませんが、「サイクルツーリズム」は地域振興といった意味を含蓄した全く違う新語で、いつの間にやら自転車雑誌などでも多く目にするようになってきたと感じています。

この言葉の普及にも一役買ったのが、この広島・尾道市「Onomichi U2」です。

 

onomichi u2

 

2014年開業の同施設は、使用されなくなった海沿いの県営倉庫をリノベーションした施設で、道の駅の様な地域物産・飲食店と宿泊施設がある複合施設です。普通の道の駅と異なるのは「スポーツ自転車」をコンセプトとしていて、運営は民間に委託しているようでした。

私は2016年に宿泊したのですが、行ってみて本当に驚きました。

施設がかつて倉庫であったことを思わせる部分は残りながらも「禅」のような日本的で落ち着いたおしゃれな異空間が館内に広がっていたのです。

 

cogbar

 

温泉もない、仲居さんもいない、過度なサービスもない、窓もない閉鎖された宿泊部屋。それでも宿泊して不満に感じないのは、芸術的な内装やライティングなどのコンセプトが総合的に考え抜かれた施設だからなのだと思います。

尾道は階段の町として知られ決して、自転車の乗りやすい場所ではありませんでした。「Onomichi U2」開業以来、四国と尾道を結ぶ一般道「しまなみ海道」はサイクリストから聖地化され、多くの観光客で連日賑わい、成功事例として全国に同じようなコンセプトを掲げた施設も後を追うように開業しています。

 

hotel u2 sofa

私は奈良県が千葉市や尾道市に劣っていると言いたいのではありません。
千葉には千葉の良さがあり、奈良には奈良の良さがあり、尾道を真似ても同じように成功する訳ではないということは分かっています。

競輪が公営競技の王者だった時代は遠く昔のことであり、施設の老朽化などによりイメージも良いものではなくなってきています。公営賭博に反対する意見もありますが、ギャンブルのない先進国はというのはありません。

全国にパチンコ店は10000施設あります。それと比べると競輪場というのはまだまだ発展の余地があり、千葉競輪場の「250ケイリン」はその一端ではないかと、そう私は考えます。

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自転車パーツ合同展示会 @京都2021春

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コロナの影響でしばらく展示会がなかったのですが、久しぶりに京都にて自転車パーツの合同展示会が催されていたので行ってきました。

 

iwai shoukai

京都の老舗自転車卸商の岩井商会が主催する小売店向け展示会で、主にスポーツ自転車を扱う西日本の関係先向けのイベントです。

 

kyoto cycle

小売業としてあまり仕入れ先を明らかにするというのは、ライバル店に手のウチを明かすような行為であり、メリットもないように思えますが、最近では消費者では見分けがつかないほど精巧にできたコピー商品(偽物)が出回ったりしてますので、SNSや動画などで公明正大に可能な限り店の実情をオープンにしている店も増えているように感じます。

 

cycleparts kyoto

入場制限などコロナ拡散の対策が取られた展示会で、そのせいか来場した方が例年より人影がまばらだと口にしていました。

 

注目のコロナ時代の新製品

さて、注目の新商品の動向なのですが、定番商品の安定供給が優先され例年に比べ華がなく、なかには「新商品はありません」というメーカーもありました。

 

それでも意欲的なメーカーが数社ありましたので、注目の新製品をピックアップし紹介したいと思います。

 

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まずは東大阪のヘルメットメーカーOGK kabutoから、通勤など街乗り向けのヘルメット「Canvas」は4800円という最低ラインの価格設定で10カラー展開と次世代の日本の標準スポーツヘルメットとなりそうな安定感です。ユニクロのこれでええやろ感に近い感じです。

 

irc tire

IRC 井上タイヤからは、チューブレスレディ対応のグラベルバイク向けタイヤ「BOKEN」。サイドに補強材が入っていてサイドカットに強いオールコンディションタイヤです。

 

cateye ampp500

東住吉のCATEYEは角型シェイプの充電式前照灯AMPPシリーズのリアル店舗限定モデルも追加発売。
自転車ライトはネット通販を介した盗品売買が問題になっています。なるべく現物の明るさを確認して、店舗で購入いただく方がいいのではないかと思います。

 

uber smartphone

フランスの老舗自転車用品メーカーZEFAL(ゼファール)から、スマホを入れたりするのに便利そうなトップチューブバッグ「Console Pack T2」を発売。UBERデリバリーパートナーからも需要ありそうです。

 

vittoria ebike

イタリアのタイヤメーカーvittoriaからは定番の街乗りタイヤ「RANDONNEUR」(ランドナー)のE-BIKE向け仕様「E-RANDONNEUR」が追加。サイズは700x48cと少し太い規格で、29×1.95インチと互換があります。

 

品不足? 予想が難しい不安定な自転車パーツのサプライ

コロナの影響で自転車パーツのサプライチェーンが不安定になっています。納期の遅れや生産の中止、長期欠品など影響も出てきています。どの業界にも言えることなのかもしれませんが先行きが不透明な状況が今後も続き、さらに悪くなる覚悟も必要だと噂されています。

サイクルショップ203としても経験のない状況を乗り切るため、ストックを多く抱えるなど通常業務に支障がないように一応の対策は講じていますが、事態が長期戦なればなるほど各メーカーの状況も悪化していくことは確実ですので、ただただ早期終息を願うばかりです。

 

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