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2022年03月の記事一覧

オーラルケアの「サンスター」祖業を調べたら〇〇〇メーカーだった 

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前回の投稿で、自転車だけ60年前と現在の物価水準がほぼ同じというデータを紹介しました。うどんやたこ焼き、ランドセルや散髪などは、およそ10倍の価格になっているのに一体どういうことなのか・・・

金属の価格が暴騰していた時期というのもその理由のひとつなのですが、1950年代と現在では自転車が果たす役割が大きく変化しているというのもその要因です。現在、自転車は移動や育児またはスポーツなど多様な使われ方をしますが、戦後間もない時期の主用途は「運搬」でした。

佐野裕二著「自転車の文化史」(1985,文一総合出版)によれば、「人だけが乗る自転車」への転換が意識され出したのは、1954年になってからとされています。それ以前は、業務目的の運搬車「実用車」が主役でした。

当時の大阪では金田邦夫が起こした「サンスター」というブランドの実用車が人気を博していたようです。

kishimoto cycle

戦時中は軍需からほぼ途絶していた自転車の生産も、終戦直後から三菱重工や片倉工業など多くの企業が参入します。戦前に自転車部品の輸入業を行っていた金田はパンク修理用のゴムのり容器に歯磨き粉を入れ販売すると評判となります。

 

「二兎追ふものは一兎も得ずと云ふ言葉が御座居ます、ハミガキと自転車を同等の力で追つて居れば何れは双方とも失つてしまふでせふ」

 

1951年、金田は大阪星輪社の中矢徳一と髙橋商店の髙橋勇らをアドバイザーにむかえ、新会社「サンスター自転車株式会社」 を創立、生野区中川町に工場を新設します。社名には、太陽の昼も星の夜もたゆまぬ精進を続けるという意味が込められています。当時の自転車業界では、サンツアー、サンシン、サンヨー、サンビー、サンライト、サンエス、サンキなど「サン〇〇」という商標が流行していて、関連企業の星光社の「星」とかけて「サンスター」と命名されます。

 

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▲ 大阪星輪社の新聞広告 取り扱いメーカーにサンスターの自転車が紹介されている

 

自転車の部品を製造する小さな工場が集中する関西は、自転車製造を一手に担う「一貫工場」より「アッセンブル工場」が優勢で、ギアクランクの製造に強み持つサンスターも、リムのアラヤ工業やペダルの極東、星スポークなど30以上のメーカーと1200軒以上の特約店の協力により、大阪のみならず北海道から九州に及ぶ販売網をつくります。注文は電報で受付け、自転車輸送は自社のトラックを使用したようです。

私は数年程前から同社の社友・髙橋勇の経営していた自転車店について調べていて、没後に散逸してしまった氏のプライベートライブラリーの書籍を再収集しています。そんなこともあって、サンスター自転車の関連資料が数点ばかり手元にあり、自転車メーカーとしての同社の興亡を推察することができます。

 

sunstar king
サンスター自転車の主力商品 実用車「キング号」

 

自転車のラインナップとしては主力車種「キング号」や社名にもなっている「サンスター号」など実用車となっています。写真は同社のカタログ作成に使用したもので、髙橋が保管していたもので、横から撮影されたものが4種類あります。自転車の写真以外には販売促進用に撮影されたものが数点あり、そのうちの1枚には女性4人と自転車が写っていて、裏面には当時の女性の名と日付が記されています。よくわからないので、ネットで調べると宝塚のスターのようです。

昭和28.4.5

川路 立美
筑紫 まり
八十島 晴美
八代 洋子

 

takarazuka

髙橋商店は特約店としても別格で、月報「サンスターマンスリー」十号(1952.6)では、同店のディスプレイが見開きで紹介されています。路面電車によるホコリのためセットバックしている建物部分のファサードに、新たに三面ガラス張りの突き出た陳列を増設する事例の報告です。

 

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▲ 自転車店にて展示されるサンスターの自転車   大阪市上町「髙橋サイクル」

 

運搬用として活躍していた実用車も、原動機付きのモペット(ペダル付オートバイ)の登場により、下火となります。サンスター自転車は「REX」というモペットを製造、バイクには詳しくないのでこちらも詳細はよくわかりませんが、写真を見る限り3種類製造していたようです。サンスターのホームページなどインターネットで調べても、このバイクの情報は得ることができないため、本当に詳細不明の謎の写真です。バイクに詳しい方がいましたら教えて下さい。

 

sunstar bike
▲ サンスター自転車 原動機付のモペット「REX」

 

当ブログでは主に基礎自治体の財政政策論として競輪場施設について投稿してきました。サンスター自転車も始まったばかりの競輪に競争車を提供、各地で活躍する選手の状況を「サンスタークラブ便り」を通じて競走結果を報告してました。

自転車業界は新たな顧客層獲得のため「人だけが乗る自転車」の普及活動が始まり、スポーツ車や軽快車を使用した「サイクリング」という発想が提唱されます。日本語でいう「サイクリング」は「ハイキング」の自転車版のような独特の意味を持っています。英語ではオリンピックの競技も「CYCLING」で、少し日本語とはずれがあります。これはこの頃の普及活動の名残といえます。

sunstar cycling

現在、欧米の自転車文化の主役がスポーツ自転車であるのに対し、我が国のスポーツタイプの普及率は自転車全体の15%ほどと低い水準となってます。1950年代の「サイクリング」ブームは長続きせず、業界の期待は空振りとなり、サンスター自転車も生き残りを賭けてギアクランク製造に注力し、完成車製造から身を引くこととなります。

これらの残された資料を読み返すと、金田や髙橋など当時の人たちは非常に勉強熱心で一生懸命であることが分かります。集会や研究会で知恵や意見を出し合い創意工夫や試行錯誤の連続で、それでも思うようにいかない様子は、まるでドラマを見ているような気分になります。私は彼らの半生をNHKの朝ドラにするといいのではないかと思います。アニメやゲームに興じて、なるべく効率的に金を儲けることばかり考え、「社会が悪い、政治が悪い、助成金よこせ」と言っている落ちぶれた令和の日本人が、まさに規範にすべき生きざまだと思うからです。

うたかたと消えたサイクリングブーム、突破口が見いだせず斜陽産業とまで言われた日本の自転車生産ですが、研究の末に以後100年以上売れ続けるであろう空前絶後のヒットアイテムを生み出します。それは大阪人の手によってつくり出されました。

世紀の大発明「ママチャリ」の登場です。
(次回に続く)

 

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在日朝鮮文学の金字塔「夜を賭けて」大阪砲兵工廠~アパッチ集落 散走

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1月、本ブログで、大阪の自転車販売の在日朝鮮人支配ついて投稿しました。「鉄くず」収集などの静脈産業を生業としていた在日朝鮮人が、中古自転車販売のローカルチェーン店を展開し勢力を伸ばしているという現状に問題点があるという内容の投稿です。

詳しくは、その投稿を読んでいただきたいのですが、「そもそもなぜ在日朝鮮人が鉄くず収集を支配的に行っているのだろうか」と疑問を持っていると、その歴史的な経緯を紐解くような小説を見つけたので、その舞台をポタリングしてきました。

 

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梁石日「夜を賭けて」

1994年に発売された小説で、2002年には山本太郎主演で映画にもなった作品です。梁は朝鮮・済州島出身の在日の小説家で、実父をモデルとした代表作「血と骨」も崔洋一監督、ビートたけし主演で映画化され、高い評価をえています。

梁の出世作となった「夜を賭けて」は、終戦間もない頃の大阪の在日朝鮮人による怪盗団「アパッチ族」を描いた作品です。

osaka kosho

 

大阪城公園の北東側の端に明治期に建てられた古びた廃墟が残されています。このレンガ造りの建物は大日本帝国軍の兵器工廠で、太平洋戦争の終戦まで陸軍の兵器を製造していました。

かつては、天守閣周辺の森ノ宮から大阪ビジネスパーク辺りまで一帯が巨大な軍事施設で、極東最大の設備や技術力を誇り、シマノの創業者島野庄三郎や日本自転車産業の父・宮田栄助もこの施設で従事しました。

 

hohekosho

 

明日 十四日 大阪を くうしゆうします
このばくげきがさいごで あります 一九四五年 U.S.A.

大阪上空より爆撃予告が投下され、終戦前日の8月14日に大阪はB29による空襲で焦土となり、工廠も大きな被害を受けました。工廠跡は近畿財務局の管理下に置かれますが、不発弾の残る一帯は立ち入りが禁止され、長らく放置されていました。

 

物語は、在日朝鮮人の「ババア」が誰も立ち入らない工廠跡で拾った「鉄くず」が5万円で買取された噂が広がるシーンから始まります。

1923年、関東大震災が発生。朝鮮人は「火事場泥棒をした」「井戸に毒を入れた」と差別され、大阪は以後現在に至るまで日本最大の在日朝鮮人の居住区となります。なかでも大阪市の東部を南北に流れる平野川周辺に肩を寄せ合うように住み着きました。「ババア」の住む集落は平野川の北端にあたり、地区には現在も朝鮮籍の住居が点在しています。

 

大阪城公園内には「ピースおおさか」という戦争資料の調査研究や展示を行っている施設があり、当時の様子を調べることができます。1960年当時の大阪の物価の展示を見ると、中華そば1杯55円、たこ焼き12個30円、サイダー35円、お好み焼き80円、散髪200円、ランドセル3000円、そして自転車は1万8000円だったあります。
今と比べると10分の1ほどの物価水準で、自転車の価格だけ現在とかわらず、鉄が高価であり、ババアの手にした金額が大金であることがわかります。

war bicycle

小説ではババアの噂は一夜で集落中に広がり、朝鮮人窃盗団が警察の目を盗み夜な夜な工廠内に侵入し、盗みを働く様子が、さながらアニメ「ルパン三世」のような活劇として描かれています。この朝鮮人窃盗団は実在し、梁は映画公開時にキム・ジジョンという人物が小説のモデルであったことを明かしています。

金時鐘(キム・ジジョン)、1929年朝鮮半島生まれ。

49年に日本に密航し、翌年に共産党に入党したキムは52年に「吹田事件」に関与します。「吹田事件」とは朝鮮戦争に反対する左翼運動の暴力事件で「血のメーデー事件」「大須事件」と合わせて「三大騒擾事件」とされている事件です。キムは「山越部隊」の一員として「笹川良一宅襲撃」や「吹田操車場襲撃(吹操襲撃)」に関わったとされている要注意人物でした。しかし、重要な襲撃当日にキムはあろうことか緊張のあまり脱糞、後にこの時の自らの様子を脱北者ならぬ「脱糞者」と称した詩を発表しています。

 

ズボンの/内側を/はぎとり/むれる/悪臭の/修羅場を/城ごと/あけ渡したのだ。
悲哀とは/山に包まれた/脱糞者の/心である。 (金時鐘「わが生と詩」から詩の一部を抜粋)

 

この事件は警察の不手際が重なり、裁判で弾圧の不当性を訴え司法は紛糾(吹田黙祷事件)、有罪となる証拠がそろわず騒擾罪が適用されませんでした。そして、その後にキムは怪盗「アパッチ族」となります。

 

korean town

在日集落といえば、生野「御幸通り商店街」や鶴橋のように、韓流グッズ店やおいしい焼肉やチキン店がたくさんあるのかと想像していましたが、実際に行ってみると、この「アパッチ集落」は西成の崖下のような老朽化した木造住宅が密集していて、残念ながら観光を楽しむようなところではありませんでした。

再開発され大型の福祉センターなどに建て替えられている箇所もありましたが、廃墟のような状態のバラックや入り組んだ路地に洗濯物が干されていて、どことなく一帯に異臭がただよっているような感じがしました。

耐えかねて平野川沿いにでると、川一面が見たことないほどの夥しい数のボラの死骸で覆いつくされていて、行き場を失った水鳥がゆっくり流れる悪臭の元を眺めていました。

hiranogawa

 

(「吹田事件」に続く)

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楽しい自転車が40種類大集合!万博記念公園「おもしろ自転車広場」

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一般財団法人 自転車センターが運営している万博公園の「おもしろ自転車広場」に行ってきました。

expo 70

万博公園は大阪府北部の吹田市にあり、1970年に開催された「大阪万博」の跡地で、現在は有料の自然公園となっています。公園のシンボル「太陽の塔」が耐震工事が行われ、2018年から内部が有料公開となり、初めて見学したのですが、本当に腰が抜けてヘナヘナになってしまうほど物凄い迫力で衝撃的でした。

コロナの影響で完全予約制となっていますが、まだ、見ていない方は必見です。

taro okamoto

2025年には夢洲で「関西万博」がありますが、1970年の「大阪万博」は来場者数6400万人を集め、まさに日本の黄金期を象徴する大イベントなりました。「人類の進歩と調和」をテーマに大規模整備が行われ、競輪からも20億円が捻出し「動く歩道」が設置され話題になった他、三洋から10台の「電気自転車」が提供され来場者を驚かせました。

sanyo expo

万博公園は大きな公園ですが「おもしろ自転車広場」は、太陽の塔から見下ろすと左側にあり、街では乗ることができないユニークな自転車に乗ることができます。

hobby cycle

この施設は「一般財団法人 自転車センター」が運営していて、入場料は30分500円、40種類100台以上の自転車を自由に乗ることができます。「自転車センター」いってもあまり馴染みがありませんが、「関西サイクルスポーツセンター」のことです。

expo cycle

さすがに「関西サイクルスポーツセンター」ほどの広大な敷地ではなく、大半が幼児向けとなっています。そのために自転車があまりスピードが出ない設定となっていて、30分間真剣に漕ぐと普通の自転車よりヘトヘトとなり、あっという間に時間が過ぎます。

banpaku cycling

また、このコーナーの北側の「夢の池」では白鳥型の「サイクルボート」もあり、池の水面をのんびり走ることができます。施設は悪天候の際は休止となり、この日も突然の強風でボートに乗ることができませんでした。

swan cycle

そして、この池の東側では例年西日本最大のスポーツサイクルフェスティバル「サイクルモードRIDE」が開催されます。2022年は3月5日(土)、6日(日) の2日間の予定で、400台以上のスポーツ自転車が登場、試乗することができます。

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1月に本ブログで、夢洲の万博跡地に競輪場を建設すべきであるという投稿をしました。カジノと親和性があり、スピルオーバー効果が期待でき、困窮する市の財政の安定させることができます。万博のような大きな事業には、公営競技の収益が欠かすことができません。しかし、その貢献度に比べ、その有益性を正しく評価する人は少ないように思います。特に競輪は地方色が強く、自治体がどのように運営していくかという課題を各々もっと考える必要性があると思います。

 

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