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(前回の続き)

戦後の我国の公営競技は競馬から始まりました。競馬は戦前より実施されていましたが、中央集権的な組織体制をGHQに問題視され、1948年に新しい競馬法が制定、現在へと続く市町村が主催する「地方競馬」へとなり再スタートをします。同年に自転車競技法も制定され「競輪」は熱狂的に支持され瞬く間に全国的に広がり、次いで50年には「オートレース」、51年には「競艇」が誕生、52年にサンフランシスコ講和条約により日本が主権を取り戻すと54年に中央競馬法が可決され「日本中央競馬会」が発足します。オートレースはあまり人気がでませんでしたが、公営競技の王者は【地方競馬 → 競輪 → 競艇 → 中央競馬】と誕生順に移り変わっていきます。しかしながら、1970年代に入るとパチンコが市場規模で競輪・競艇を超え、80年代には全公営競技の合計を上回る規模と増大し、90年代には30兆円市場の巨大産業となり圧倒的な存在となります。

まさに国民的ギャンブルと成長したパチンコですが、1959年に大物代議士の福田赳夫自民党幹事長に「2年以内に完全納税できなければ、一斉摘発する」と忠告を受け、危機的状況に追い込まれていました。パチンコ業界はこの難局をどのように乗り切ったのでしょうか。まずはその歴史をみてみましょう。

初期のパチンコは一銭銅貨を投入して遊ぶコインマシンでした。その登場は古く、杉山一夫著「パチンコ誕生」(2008,創元社)によるとルーツは1920年代の大阪の新世界であるとしています。新世界は現在では通天閣を中心に多くの観光客が押し寄せますが、そのきっかけは今から100年以上前の1905年に開催された「第五回内国勧業博覧会」です。博覧会終了後に跡地はルナパークという遊園地となり1923年まで営業をしていました。杉村氏よるとルナパーク終了後の新世界の一角、通天閣の袂にあった露店パチンコ「オーエヌ商会」が初号機であるとしています。1932年に大阪ではパチンコ禁止令がだされ、太平洋戦争へと突入し禁止令は全国的に広がります。「オーエヌ商会」はその影響を受けて、カフェーと転業し現在でも「コロンバイン」という店名の喫茶店を営業されています。

 

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新世界の露店パチンコ「オーエヌ商会」があった場所  現在は喫茶「コロンバイン」となっている

 

 

戦争が終わると再び大阪市内でパチンコ店が営業が始まり出します。大阪府警に出身で戦時下は満州に駐屯していた水島年得(ねんとく)も心斎橋でパチンコ店を開業します。配給制で物資が不足していた状況下で、景品と交換できるパチンコは人気を博し、水島は道頓堀・玉造・鶴橋など多店舗化に成功、パチンコ店組合の全国組織「全遊連」の会長となります。「完全納税」の命を受けた水島ですが、当時は各地方ごとで指導法など違いがあり、統一化に向け「大阪方式」を導入、特殊景品を介し出玉をパチンコ店・景品交換所・景品問屋の3つの別々の業者が扱うこの方式は「三店方式」とも言われ、パチンコ店が出玉の換金行為に直接的に関与しないことから、賭博行為に相当しないという脱法的な営業形態です。水島が考案したこの方式でパチンコはどうにか一斉摘発を免れます。

 

「パチンコで換金が行われているなど、まったく存じ上げないことでございまして..」

 

2014年2月、高村正彦自民党副総裁らが発起人となる「時代に適した風営法を求める会」が設立、建前論ではなく実態に即して方式を整理し「パチンコ課税」の導入を要望すると、警視庁の担当者は「そういうこと(換金)もあるという話は聞いております」と官僚答弁に終始、「賭博」なく「遊技」で出玉交換は無関係の交換所で客が勝手に換金しているだけなので「課税する」という議論も成り立たないと白々しい答弁を繰り返し、現在でも協力姿勢を示していません。パチンコは公営競技と違い法的なプロセスを経て業態が成立していないという問題が常に付きまといます。

 

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警察はパチンコ以外の業種は「三店方式」を認めない方針  (朝日新聞 2014年8月26日)

 

 

「三店方式」の黙認も問題のですが、私がそれ以上に問題なのは「パチンコ依存症」だと思います。

ギャンブル依存症は1980年代から米国で精神医学の疾患として体系され、世界保健機関「WHO」においても病気とされています。2014年の厚生労働省の研究班の調査では国内のギャンブル依存の有病率は4.8%、わが国には500万人以上の依存者がいると推定されています。ギャンブル依存は重症度が高くなると精神疾患だけでなく、身体に異常が現れ日常生活が困難になる危険性もあります。加えて、借金を抱える事例が多く、場合によっては家族や職場など社会経済に悪影響をおよぼします。ゆえにギャンブルは一般事業者ではなく「公営」でしっかりとした大綱を設け、慎重かつ健全に開催する必要性があります。

研究者や医師においても明白にパチンコと公営競技を分けて研究している人は少なく、国内では精神科医の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏の2005年から2年かけギャンブル依存の実態を初めて調査、100人のギャンブル症者の嗜癖をひとりひとり調べると、100人中96人がパチンコ・スロットであり、競輪はたった100人中たった1人でサイコロ賭博や花札よりも少ないという実態が報告されています。

私は患者数を減らすためにも、パチンコと公営競技を分けてしっかりと検証・研究していくことが予防につながると考えます。この2つは似ているようで、公益性など性質が大きく異なります。以下違いを説明しますが、結論から先に言うとパチンコ業界は競輪を規範に依存症対策をすべきなのです。分かりやすいように、「パチンコホール」か「競輪場」どちらかを我が町に1施設を設置すると仮定し、違いをみています。

 

(参考) パチンコ店 競輪場
営業 ほぼ毎日 月間 3~9日
利用者 ほぼ周辺住民 全国から投票
受益者 運営企業(非上場) 主催自治体(売上の25%)
ギャンブルの形態 遊戯業(大阪方式採用) 公営競技(自転車競技法)
平均使用額(回) 13600円 12300円
施設数 全国8000店舗 43施設

 

 

パチンコホールは全国8000店舗以上あるそうです。近所にも必ずあり店舗があり、新店が開業することも日常茶飯事、地域によっては向かい合って立地しています。一方、競輪場の開設は半世紀以上もなく、新設となると地域では反対活動が起こるかもしれません。しかし、2017年に施行された「自転車活用推進法」では12の基本方針が掲げられそのひとつに「自転車競技のための施設の整備」というが盛り込まれていて、地方公共団体の責務として基本理念の理解を住民に求め、協力を得るよう努めなければならないという内容になっています。もちろん、日本は法治国家ですから推進法に従い、本来ならプールや体育館のように都市のアメニティとして競輪場も設置すべきなのです。

パチンコホールは周辺住民から収益を得ます。昔は競輪場も同じような構造でしたが、近年はスマホの普及からインターネットを利用し全国から投票されます。周辺地域から金が散逸するパチンコと対照的に、競輪場は全国から金が集まり、その売上金の25%が主催自治体の一般財源として、地域に恩恵をもたらします。一方でパチンコホールはすべて非上場企業で、経営者は長者番付の上位にランクされ格差を生んでいます。

営業日数も明白に異なります。ほぼ毎日営業するパチンコホールに対し、競輪場は全国で分散して開催されているため月に5日程しか実施されません。月に25日労働し、5日競輪場で過ごすのが依存でしょうか。それとも、休催日にも競輪場に出向き自転車が走っていないバンクを見て、ドーパミンを放出しているのでしょうか。公営競技は前もって投票券などを購入しておくこともできます。精神状態が冷静な出走前に投票を締め切り、ライブベッティングはできません。パチンコに依存してしまうと朝から閉店まで10時間以上も、効果音響やパターン点滅などの仕掛けのある遊技台の前に座り続けてしまう人もいます。健常な人でも毎日射幸心煽るこの状況に置かれれば、正確な判断ができなくなってしまいます。

パチンコホールも全国で100施設ほどに漸減し、営業も月に3~9日ほどに減らせば、依存症の数は大幅に減らすことができます。到底できっこない話となりますが、公営競技はこれを実行してもなお依存症対策が不十分であるというご指摘を頂戴しているのです。競輪はスポーツですが、ゴールデンタイムのスポーツニュースで出走結果が報道されることもありません(中央競馬はたまにあります)。青少年への影響を考慮して、少女アイドルグループや少年マンガ・アニメをコマーシャルに使用することもありません。

 

 

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少年が主人公のロボットアニメ「エヴァンゲリオン」がタイアップするパチンコ

 

私は競輪場を全国に8000施設に増設すべきだと主張しているのでありません。選手が3000人ほどしかいませんので限界があります。ただ、財政論として公営競技の実施を各都道府県・市区町村で議論のテーブルにあげるべきであると言いたいのです。

本ブログでは繰り返し、大阪は夢洲のカジノの隣に競輪場を新設すべきと主張をしています。関係者の方に怒られるかもしれませんが、今の競輪は賞味期限が切れています。私は、舞洲に1施設作るだけでドミノ倒しのように公営競技が生まれ変わり、戦後期の奇跡的な経済成長が再び訪れると確信しています。現代貨幣理論(MMT)やマルクス経済理論のような絵に描いた餅ではありません。終戦後、わが国は焼野原から競輪・競艇という独自の経済構造をひねり出し、その収益を原動力に経済成長を実現しました。しかしながら、パチンコの台頭により日本経済は長期にわたり停滞、このいわゆる「失われた20年」に日本人がパチンコに使用した額は500兆円以上だそうです。

次の投稿ではなぜに今、大阪の夢洲に競輪場が必要なのかもう一度詳説したいと思います。