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本年2月に日本軍が先の大戦のマレー半島侵攻にて自転車を活用した銀輪部隊の電撃的機動力で大英帝国に見事に大勝利した対英マレー戦について投稿しました。また、7月には本土決戦に向けての最終兵器として軍用自転車200台が大阪の茨木市安威地下倉庫に備蓄されていたという資料を発掘したという投稿をしました。

では、なぜ対英マレー戦で自転車が兵器と大きな成果を得たにも関わらず、その後の進攻に銀輪部隊を有効活用しなかったのでしょうか。不思議なことに、銀輪部隊の活躍は後にも先にもマレー戦だけなのです。

 

 

日清・日露戦争の時代は日本国内でまだ自転車が高級品で誰でも訓練なしに乗ることができた訳ではなく、マレー戦はちょうど日本が自転車の内製化に成功し大衆に普及した時期にあたります。マレー戦では民生用に量産された実用車を軍隊向けに転用、英米によるABCD包囲網によって石油資源が枯渇状態に陥っている皇軍に打ってつけの工作手段となりました。

 

 

 

続くインパール作戦では銀輪部隊の活躍はみられず多くの餓死者を出し敗北、マレー半島の熱帯ジャングルの長距離進攻でタイヤ・チューブなどゴム関連のダメージが大きく、資源枯渇状態の部隊は修理が追いつきませんでした。インパールで部隊を率いた牟田口廉也司令官は象や牛の収集と訓練は命じたものの、マレー戦の銀輪部隊の活躍を実際に目にしておらず、陸上の兵糧輸送を軽視し、3万人の餓死者が置き去りにされたといいます。

ではインパールの大敗北は仕方がなかったのでしょうか。本年5月に上梓された「自転車で勝てた戦争があった」(兵頭二十八著,並木書房)によると、著者はゴムなし車輪の自転車でも「プッシュ・バイク」として兵糧を載せて手押しすることで餓死を回避できたと主張、実際に80kgの砂袋をタイヤ・チューブを外した改造車で山中を移動するの実験リポートを紹介してます。

 


タイヤのない自転車の実証実験「自転車で勝てた戦争があった」兵頭二十八(並木書房,2024)

 

もちろんこのような「if」でマンハッタン計画を阻止するのは無理だとしていますが、兵糧輸送や患者後送の手段として「押して歩く自転車」を役立てる着想があれば餓死者をゼロにおさえられた可能性があると詳説、徒歩で担いで運べる数倍の荷物を運べる自転車の有用性を説いています。

 

結局、安威地下倉庫に備えられた海軍の自転車は本土決戦に使用されることなく終戦をむかえました。ポツダム宣言受託後に兵器など軍需重工業に傾斜していた日本の産業体制はGHQ監視下で全面停止となり、三菱重工・片倉工業・大同製鐵・萱場産業・日本金属産業・中西金属・大和紡績など14工場が自転車企業に転業、自由競争経済下で軍事開発での知見を活かし高品質の自転車を製造しました。

 

「サイクリングは今 流行のレジャーなんだから」

 

戦後から立ち上がる1950年代を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、流行に敏感な中年女性がサイクリングに魅了され、堀北真希さんが自転車技士として町工場で修理をするが場面が登場します。自転車は女性の解放の象徴でもあり、1960年代にはママチャリの始祖となる自転車が開発され、一般家庭にも広く普及し子育てや買い物など日本独自の自転車文化が華開きます。

現在では、自転車が戦争に使用されることはほとんどみられず、大東亜戦争を賞賛することもタブー視されていますがこのような歴史があったことも事実なのです。