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現在、大阪府下の競輪場は岸和田競輪場のみですが、かつては住之江大阪中央豊中と合計4施設で公営競技が実施されていました。また、競馬場は現存しませんが、かつては長居公園「大阪競馬場」と岸和田「春木競馬場」の2ヶ所で競走が開催されていました。春木競馬場は岸和田競輪場のすぐ近くに所在したのですが、一体なぜ廃止されてしまったのでしょうか。

 

 

 

岸和田競輪場は南海本線「春木駅」西側、駅から見える立地で難波から30分ほどです。2018年から施設の大規模改修を行ない、長期間にわたって競走休止していましたが、行ってみるとなんか改修前とあまり変わってない感じでした。訪れた日は高松宮競輪杯(G1)が開催され、フードトラックやイベントブースが出展され、超レジェンド中野浩一さんが解説で来場していました。しかしながら、相変わらず閑散としていて、今回の主な改修も観客席の撤去とむしろ寂しい感じになっていました。

 

 

 

春木競馬場は南海本線を挟んだ競輪場と逆側の現在の岸和田市中央公園のある場所にあり、1974年まで競走が開催されていました。私はてっきり春木競馬場は戦前競馬だと思っていたのですが、戦後も大阪府と岸和田市によって実施され、年間売上110億円、78万人ファンが来場したそうです。ちなみに2024年の阪神タイガース主催の甲子園球場公式戦入場者数が89万人のようですので、春木競馬がいかに熱狂的な人気だったことがわかります。つまり、競走廃止の原因は不人気や売上げの低下ではなく、別の理由があるのです。

 

 

2006年に発行された「春木競馬場廃止運動に取り組んだ女性たち」によると、競走廃止運動のきっかけは競馬場行バスの砂煙被害や馬の暴走の危険性についての住民の新聞投書とあります。競馬場は商店街や病院などがある住宅街の中にあり、馬小屋の悪臭や来場者の立小便、自転車盗も問題になっていました。全国でも競輪場と競馬場が併設されるケースは珍しくなく、奈良や長居公園など競輪場開設の影響を受けて、競馬場の人気が低下し廃止にいたった施設もありますが、春木競馬場は全国ではじめて住民運動の影響で廃止になった競馬場なのです。

 

 

時代背景として、大阪府は1971年に日本共産党・社会党が支持をする黒田了一が知事に就任、その後に同和利権問題「八鹿高校事件」(1974年)の影響で社会党が支持を取り辞め、共産党が単独支持する政権が発足します。今では考えられないことですが、東京都の美濃部亮吉知事などこの時代は都市圏を中心に共産主義を標榜する革新都市が誕生し、資本主義の象徴として公営競技を次々と廃止していました。

岸和田は保守の強い地盤でしたが、71年に「明るい革新大阪府政をつくる会岸和田連絡会議」が共産・社会党を中心に結成され、黒田と共闘しました。春木競馬場問題は黒田にとっても「つくる会」にとっても試金石となり、地元の町会や婦人会と連動し競馬場を廃止に追い込みました。岸和田の地殻変動は79年まで続く大阪府の共産政権誕生の強力な後押しとなったのです。

 

 

 

春木競馬の廃止は和歌山「紀三井寺競馬」の存続や「柏原競輪場」新設計画にも影響を与え、公営競技を社会悪とみなした左翼思想が跋扈するようになります。繰り返しになりますが、公営競技は日本の戦後復興に多大に寄与し、現在でも公衆衛生・公共福祉・文化振興・インフラ整備・地方財源・娯楽創出など社会に貢献しています。しかしながら、共産主義首長は自らの思想をこじらせ、小学生でもできる簡単な足し算ができなくなってしまうのです。大阪府下でも共産常勝区はありますが、残念ながら平等に貧しい地区になり下がってしまっています。

 

 

 

岸和田市中央公園には奇妙な立て看板が掲げられています。京都市の宝ヶ池公園にも怪文書のような難解な張り紙がありましたが、こういう看板があるところは大体ややこしい過去を背負っています。

 

バイク・スクーターは、公園内では押しましょう!
(警察・許可車両は除きます)
警察官には公園の治安維持のため、バイクに乗ったままでの効率的な巡回をお願いしています。
ご理解ご協力お願いいたします

 

同公園では警察官が治安維持のために公園内をバイクに乗って巡回をしているようです。バイクというのはもちろん自転車をおしゃれに言っているのではなくオートバイのことです。岸和田では毎年、11月3日に「イレブン・スリー」というデコレーションオートバイのデモ走行が爆音と共に実施され、安全管理の名目で公園を中心に警官が1000名配備、多くの観衆を集める華やかなイベントとなっているようです。

 

 

 

 

 

公園内には一部に競馬場だった遺構が残り、地元の人もその過去を知っていました。話を聞くと競馬場の反対運動が盛んになっても、競輪場に反対する人は全くなかったそうです。大阪は2030年頃に夢洲にカジノを開場予定ですが、競馬や競輪など大阪のギャンブル史をもう少し検証して、施設のあり方を長期的な視座で考えた方がいいのではないでしょうか。オープン当初は全世界から多くの来場者で溢れても、国内にカジノが乱立し70年たったらどうなるのか、岸和田競輪場を参考にされるといいと思います。