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6月の本ブログで、未解決の1993年11月西宮競輪場の売上金2700万円強盗事件の真犯人が「鉄ちゃん」こと金翼哲(キム・イクチョル)を実行犯とした犯行グループであるというという投稿をしました。犯行グループは、西宮競輪場強盗の翌年94年8月には福徳銀行3億円強盗に成功、2つの強盗事件は未解決のまま時効を迎えました。

この事件について取材をしていた朝日新聞の森下香枝記者が2007年に出版された「真犯人」(2007,朝日新聞社)で、新事実としてさらに鉄ちゃんが昭和最大のミステリー「グリコ・森永事件」の犯人「かい人21面相」であるという衝撃の報告をしています。

昭和を生きた人なら「グリコ・森永事件」を知らない人はいないと思いますが、同事件も未解決のまま時効を迎え、今でもその犯人像を巡って様々な考察がされています。2020年には事件をモチーフにした映画「罪の声」は日本アカデミー賞にノミネートされ最優秀脚本賞などを受賞、原作者の塩田武士さんは新聞記者をしながら事件を再調査、「極力、史実通り再現しました」と発生日時や事件報道を再現しています。

映画では、かい21面相は複数犯であり、鉄ちゃんらしき人物や株価操作の仕手筋に加えて、過激派の共産主義者が犯人が群像劇として描かれています。森下記者の「真犯人」ではさらに具体的に、江崎グリコ社長誘拐や森永製菓青酸ソーダ混入の実行犯の通称「ビデオ男」が鉄ちゃんであるとされ、重要参考人のいわゆる「キツネ目の男」として極左の男が捜査線上にあがったとしています。本を読んでいて犯人について少し気になったので実際に現地まで行って調べてみました。

昭和の日本を震撼させたキツネ目の男とはいったい誰なのか。「劇場型犯罪」とされ多くのメッセージで警察を翻弄した「かい人」は一節の句を詠んでいます。

 

はなよりも 箕面のさとの もみじ狩り みのひとつだに とれぬけいさつ

 

新古今和歌集の一節をもじった句からは、犯人が挑発的で知的水準がかなり高いことが見て取れます。箕面とは青酸入り菓子が発見された場所のひとつで紅葉の名所と知られています。大阪市内から北へ20キロ、大阪平野最北端で、さらに北側にいくと能勢町となり、山がちで大阪では珍しく農業が盛んにおこなわれている地域となります。

 

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公安はグリコ森永事件の容疑者として、能勢で自然派農場「能勢農場」の設立メンバーの上田等(うえだ・ひとし)を執拗にマーク、農場を昼は鍬を持ち畑を耕し、夜はマルクス主義を座学する「過激派の巣窟」としていました。

上田は1952年6月の「吹田事件」のリーダーのひとりで、笹川良一宅襲撃の部隊の責任者でした。吹田事件は日本共産党と在日朝鮮人が結託し計画された騒擾事件で、大阪大学豊中キャンパスに集結したデモ隊がその後に分裂し夜通し各所を遊撃したテロ事件です。詳しくは本ブログで以前に投稿していますのでそちらを参考いただきたいのですが、襲撃当日は笹川本人は自宅に不在で、情報と証言不足から起訴や逮捕者もなくこの事件は記録から消滅し、裁判終了後も未解明となっていました。

 

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▲15人が有罪となった三大騒擾事件のひとつ「吹田事件」1963年6月22日 読売新聞 夕刊

 

 

上田の父親は東大数学科出身の数学教師、祖母が私立学校の金蘭会学園の創設者のひとりで上田も北野中(現在の北野高校)卒の秀才で、日本共産党大阪府委員会の農村対策部長をつとめ「人民新聞」という新左翼系新聞発行の中心人物です。

日本共産党は1951年にマルクス主義に基づく革命闘争「51年テーゼ」を協議会にて決議、暴力による革命を公然と掲げ各地で武力闘争を繰り広げていました。これは49年に中華人民共和国が闘争によって成立した影響が大きく、コミンフォルム(コミンテルン)は暴力による世界同時革命を目指し「吹田事件」もこの思想に基づいた反米活動のひとつでした。ところが日本共産党は1955年の六全協(日本共産党 第6回全国協議会)にてコミンフォルムの意向に反して非武装路線に方針を転換、これに対して上田は日本共産党の主流派を「修正主義」と非難し除名され、過激派「日本共産党(解放戦線)」の中心メンバーとなります。

 

上田は新聞発行に関わりながら茨木市のヤシマ乳業という牛乳メーカーに勤務していましたが1964年に同社が廃業、失業した上田は大胆にも襲撃した笹川宅の隣町の箕面市今宮にて牛乳販売の事業を始め、自転車で牛乳を配達して生計を立ててました。今宮は青酸菓子が発見された「ダイエー箕面店」「大丸ピーコック千里中央店」にも路線バスでアクセスが容易な場所で、ヤシマ乳業の設備をグリコ傘下の企業が買収したつながりから公安当局は上田を何度も捜査をしました。牛乳事業以外にも上田は様々な事業に関わり、74年から大阪府の北端の能勢町にて左翼学生を集め、自給自足を目指して養鶏や有機野菜栽培などの指導者として共同農場を始めます。

 

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能勢町は人口1万人ほどの山林や田畑の多い地区ですが、能勢電鉄や国道173号線が整備されていています。傾斜が強いため、ママチャリやスポーツ自転車初心者には厳しいですが、猪名川の上流の渓谷や一庫のダムのダム湖は風光明媚で、一時期は島田紳助さんが郷土の魅力に取りつかれてたほどです。能勢農場は険しい山を抜けた北側の京都との県境付近にあるようです。

 

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農場の設立目的は「人間解放をめざす人が多く生まれ、育つこと」と「農場憲章」に掲げられ、政治にも積極的に関わり、選挙になれば内部から候補者を出し、それができない場合は思想の近似する候補者の支援をする組織で、81年からは北大阪を中心に活動している消費者団体「関西よつば連絡会」と密接に活動をしていました。現在「よつば」は4万世帯の会員を支える大所帯で、衆議院議員の辻元清美氏や箕面市議の藤沢純一氏などを積極的に応援するなど、組織的に支援をしていました。藤沢は「よつば」と共に消費者運動を行っていた経歴を持ち、農場への体験ツアーも行っていました。そして、2004年にはグループの全面的支援を受けて箕面市長に当選、しかし、藤沢は一連の活動を「ひとことで言って、古い!」と批判、自然派食品を販売していながらインスタント食品に頼る活動員の生活を改めなければ前進は望めないとしています。

 

 

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農場に実際に行ってみると一帯が山に囲まれた田園地帯のため、どこからが「能勢農場」の敷地なのかはっきりとしませんでしたが、10台ほどの自動車と2台のライトバンが止まっている場所があり、横道を入るとかわいい牛が牛舎から顔をだしていました。牛を見ていると40歳前後の農作業着の男性が「こんにちわー」と笑顔で通り過ぎていました。上田は心臓発作と脳卒中を患い車いす生活で生きていれば94歳、男性が上田ではないことは確実ですが、通りすがりに「あなたは過激派なのですか?」といった不躾な質問もできる訳もなく、会釈だけすると男性は足早に建物内に入っていきました。

農場は憲章にて「来るものはこばまず、たてこもらず開かれた農場を目指す」を掲げ、子供動物園やテレビ取材受けるなどしていて、過激派特有の物々しさは別段ありませんでした。

 

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脇田憲一著「朝鮮戦争と吹田・枚方事件」(2004,明石書店)にて、上田は、笹川宅襲撃の首魁であることを認める供述をしている一方でグリコ事件は容疑を完全に否定、81年にヤシマ乳業の背任容疑で逮捕はされましたがそれ以外の容疑は訴追されませんでした。

前回の投稿の通り笹川は個人で空軍を組織するほどの有力者です。両者は右と左で思想こそ正反対ですが、命を張って自身の信念を貫く姿勢は共通するものがあるのかもしれません。上田の思想を受け継ぎ、この施設から窮地の日本を救う人材が出てくるのでしょうか。