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2017年01月の記事一覧

軽い・さびない・壊れにくい、クラシックな扇工業「ひびきベル」

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「軽い・さびない・壊れにくい」

1975年創業、東京・足立区の扇工業から樹脂不使用のオールメタルのクラシックな雰囲気の「ひびきベル」が発売されました。

 

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外たたき式の右手用ベルで、アームを人差し指で引き、反作用でドームの横を打ち鳴らす、なつかしさを感じるワン式ベルです。ドームの外径は45mmで、音はきわめて高音で澄んだ音色になります。

 

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片ネジ止めでφ25.4~28.6mmのハンドルバー径に取り付けができ、引手が360°回転し鳴らしやすい位置に調整が可能です。

右側に変速レバーがついている自転車には使用できないものもありますが、そういう自転車でもハンドルポスト式ステムならステム棒に縦に取り付けができます。

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ベルワンはシルバー,ゴールド,ブロンズの3色、
ゴールドとブロンズは真鍮製となります。

真鍮はすぐに変色し光沢がなくなりますが、エイジングが楽しみながら、自転車を買い替えても乗せ替えて愛着をもち長く、育てていくイメージでご使用ください。

本体価格はシルバー(アルミ製)が¥750、
ゴールドが¥900、ブロンズが¥1,100となります。

 

ベルは戸建住宅でいうと表札に相当する自転車の顔となるアクセサリーです。
100円均一のベルは卒業し、少々高くてもいいものを使用しましょう。

付けていないというのは道路交通法で違反ですので、言語道断です。

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世界初、消音機能付き。周囲に存在を知らせる熊よけ鈴、東京ベル「森の鈴」

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1949年創業、東京・荒川区の自転車ベルメーカー東京ベル製作所からサドルレールやカバンなどに取り付け自転車の存在を知らせる「森の鈴」がリリースされました。

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自転車に取り付けて走行すると自然に揺れて澄んだ音色で周囲に存在を知らせることができる歩行者に優しいベルです。真鍮製のワンはシルバー,ゴールド,パールブルー,ピンクゴールドの4色、外径は35mmとコンパクトです。取り付けはカラビナ式で簡単に着脱が可能です。

 

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普通の鈴との違いはベルを下にひくことで消音することができる点です。音も高音で余韻の長い音色でさすが日本製です。幼児車,子供車,ロードバイクだけでなく渓流釣りやハイキングなどの熊よけや来客を知らせるドアのベルなど幅広い用途で使用できます。

本体価格は2200円、
2017年1月発売です。

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2017年は自転車誕生200周年、カール・ドライスの「ドライジーネ」とは

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あけましておめでとうございます。
2017年は自転車が誕生してちょうど200年となる記念すべき年です。

諸説ありますが、自転車は1817年ドイツのカール・ドライス男爵によって発明されました。
自転車といってもペダルもギアもない地面をただ足で蹴って進むの木製の二輪車でしたが、この乗り物は現在の自転車へと進化をとげます。

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車輪が誕生して5000年以上、エジプト文明にもギリシャ文明にもローマ時代にも自転車は登場しません。
その間、車輪が横に2つ並んだ馬車やリアカーは発明されますが、なかなか車輪が縦に2つ並びませんでした。欧州で四輪の蒸気自動車が発明されても、まだ自転車は誕生しません。
1815年インドネシアのタンボラ火山が噴火し、翌年まで世界的な異常低温気候が続き大量の馬が屠殺されてしまいます。そこでドライスは馬に似せた車輪付きの乗り物「ドライジーネ」を考案したのです。

ドライジーネの登場と同時代にフランスやソ連で同様の二輪車が発明さていたという説はあり、日本でも1970年頃まではフランスの「セレリフェール」という二輪車が自転車の始祖であるという説が有力でした。しかし、それらは後の研究で反証されたり、存在の立証がでかなかったり自転車の正史としては認められるものではありませんでした。

自転車史に金字塔を打ち立てた「ドライジーネ」

ドライジーネが他の二輪車の起源説と違う点が2つあります。

①特許申請証が現存している

ドライスはまずドイツ・バーデンで「馬のいらない四輪馬車」の特許を申請します。しかし、これは画期的なものとは考えられず却下されてしまいます。そこでドライスは二本足で地面を蹴って走る「ドライジーネ」を考案します。そして、その実用性を証明するために、1817年7月に駅馬車と50kmレースを行い、見事に勝利します。駅馬車の4分の1の所要時間の4時間で走破したことが記録されていて、これが二輪車が初めて歴史に登場した記録とされています。1817年末にはバーデンとパリの登記所にて「ドライジーネ」の特許は受理され、1818年1月22日ドライスはバーデンにて10年にわたる商業権を認めらます。

②後の自転車の発展に影響を与え、歴史が連続している

ドライスは特許申請の翌年の1818年にドイツ国内だけでなくパリに出向き公園にて「ドライジーネ」の試乗会を開催します。試乗会は3000人もの大観衆を集め、新聞や戯画などで人々の間で話題となり、ドライスの風刺劇まで公演されました。そして、ドーバー海峡をこえ、英国人のジョンソンが鉄製フレームのホビーホースを模造し二輪車は急速に広がりをみせていきます。

この時代はまだゴムタイヤも発明されていなければ、「bicyle」や「自転車」という言葉も存在していません。日本に伝来するのは半世紀以上後の明治期になってからとされていますので、自転車の歴史はまだまだ始まったばかりなのです。

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