1960年代、日本は年間経済成長が始めて二桁に達し、移動に自転車が利用されるようになり需要が高まりました。兵庫県但馬地方の朝来町にある自転車店では数百台の自転車を仕入れても、部品の生産が追い付かずオート三輪で大阪まで買い付けていたそうです。ある日、ジープに乗った作業着の男が朝来町にある上田貞雄の経営する自転車店を訪れボールベアリングを無償で譲るように要求、上田が代金を請求すると男は激怒し硬貨を投げつけ1時間ほど口論の末、警察沙汰となり駆け付けた警察官は作業着の男に謝罪を要求しました。
「それでわしはカァときた」
自転車店の上田貞夫の父は町会議員を務める地元の名士、作業着の男は暴力を振ったとして警察官は「謝罪しなければ逮捕する」と取り調べもせず脅しました。作業着の男は名は丸尾良昭(23)、勤務中に故障した自動車の修理にベアリングが必要だったが持ち合わせの小銭がなく、助けをもとめ自転車店入ったと状況を説明しました。
丸尾は自宅に戻ると近所の青年を集め自転車店に乗り込み上田を糾弾、「一切の脅迫をうけておりません」と自己批判書を書かせ、町会議員の父の実印を捺印させました。そして、その書面を持参し警察署を連日訪れ署員を詰問しました。ただ、この事件は丸尾の波乱万丈の活動人生の序章にすぎませんでした。

▲南但の名門八鹿高校 「八鹿高校事件から半世紀」東上高志編著より
丸尾は被差別部落の出身で、1973年9月から100日間兵庫県西宮市役所が部落解放同盟によって占拠された「西宮事件」をきっかけに本格的に人権活動に取り組み、後に起こる「八鹿高校事件」では解放同盟のリーダーとして、教職員と対峙しました。丸尾は同和のドン朝田善之助の理念である部落排外主義・反共主義に心酔、暴力的交渉術を学び南但馬の多くの学校の同和窓口を一本化していきました。
「トンビはトンビ、タカはタカ、生まれは変わらん」
解放同盟は1960年代半ばに日本共産党と決別、共産党と連繋している教職員組合とも反目し合い、同和の利権をめぐって左翼陣営同志の主導権争いとなり、解放同盟は教育現場にも介入、1974年11月に兵庫県の八鹿高校を舞台に戦後の左翼政治史の分岐点となる凄惨な事件が巻き起こります。

▲丸尾一派に対する抗議集会
八鹿高校は南但の名門として知られ、早い段階から実践的な同和教育に取り組み、校内に同和教育室が設けられ生徒のクラブ活動として「部落問題研究会」がありました。ところが5月に転校してきた生徒が解放同盟系統の「部落解放研究会」の設置を新たに申請、丸尾は同会の正常化要求会議の議長となり、発足を後押ししました。八鹿高の教員は職員会議の末に新しい解放研究会の設置を認めませんでしたが、丸尾は校長を長時間糾弾し設置を認可させ、教員を激しく批判し対立しました。
「赤犬教師が解放研を認めないのは差別だ!」
「八鹿高校の教育が差別教育であることを認めよ!」
丸尾は部落解放同盟に呼びかけ50名の同盟員が集まり、教員の背中、腕、頭などを殴りつけ両手足をとってトラックに投げ込み暴行、そして体育館にて糾弾しました。教員は解同グループに激しく暴行を受け、そこでもまた蹴る、棒で打つ、水をかけられる、髪を引っ張られ服を破られる、たばこの火を幾度も押し付けられるなど13時間にわたり徹底的に集団リンチ、一部にはバスケットゴールに逆さづりの拷問を行ったという報道などもみられました。女性にも容赦なく、教員2年目の女教師は無理やり裸にされ、男二人に1時間近くも「マッサージ」や「生理の介抱」を受けたとされ、女教師は今日の事はだれにも言わないで欲しいと懇願したと報道、他にも脊髄骨折・気絶など多くの負傷者を出し、はっきりとしているだけで7人が病院送りとなりました。

▲丸尾議長を追及する八鹿高校の生徒
町民は警察に対して丸尾の逮捕を要求しましたが不介入の姿勢をみせ、高校生は丸尾を囲み教員に暴力を振わないように懇願、丸尾は集まった高校生を前に長い間の不当な差別を理由に暴力を正当化、雄弁に自身の主張を語りました。
「確かに先生を殴った、蹴った、でも仕方なかったんだ!他に方法があったら教えてくれ!」
事件に関しては大手各紙は沈黙、共産党機関誌「赤旗」だけが報道し、国民は国会のテレビ中継によって惨状を知ることとなりました。丸尾は逮捕され、解放同盟メンバーは傷害罪など13人がそれぞれ執行猶予半年から4年の刑が言い渡されました。これに対して社会党の影響下にある機関紙は「目撃者は一人もおらず誇大な入院劇を演出」と解同を支持し反論しましたが、1990年11月最高裁で丸尾らの有罪が確定しました。
八鹿高校事件は公営競技の在り方が争点となった1975年の東京都知事選と大阪府知事選の戦局にも影響を与え、石原慎太郎が落選し革新政治が台頭しました。刑期を終えた後年、丸尾は部落解放同盟を除名されNPO法人を設立「すべての人々が人間らしく生きることができる地域の創造」を目的に人権活動をおこない、表舞台に立つことはなくなりました。
本年5月に神戸の新川スラムについて投稿しました。妄信的な丸尾の生き様は賀川豊彦と正反対のようにも見えますが、被差別問題に対する強い思いは共通していた部分もあるのかもしれません。事件は政治色が濃く、背後関係から異なる解釈がされますが、同和出身者以外が同和に意見することを差別と考えている方がいるようなので、今回は私の所感は差し控えさせていただきます。






























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