幕末、ペリーが来航すると江戸幕府は交易のため、箱館・横浜・長崎・神戸・川口などを開市、外国人の居留を認めました。神戸では生田川を東側に付替えて外国人居留区を造成、欧米の牛肉食文化に合わせて新生田川下流には屠殺場や食肉処理施設が造られました。
現在、神戸牛や乳製品は兵庫県の特産品ですが、肉食文化のない日本ではかつてはこのような職は敬遠され、新生田川東岸の葺合地区は死線で生きる貧困者の行き着く先となっていました。大正期になると地区は売春婦やスジ者などを抱え込み、東洋一の貧民窟「新川スラム」が形成されました。
戦間期、新川スラムは国内で屈指の人口密度で、衛生状態や住環境が悪化しました。戦争が終わる度、貧してゆくこの地区の治安改善のため、心血を注いだのがキリスト教社会活動家の賀川豊彦です。
...ランプに火をつけて南京虫を取ると、毎晩四十匹五十匹と取るのであった。<中略> 戸の上に寝たが、南京虫はまた戸についてしまった。机の上に寝た。また机についている。それで彼は発狂するほど…
(賀川豊彦「死線を越えて」より)
賀川はスラムの環境改善のために教会や診療所・学校を設置、社会活動家として地区の救貧活動を続け、女性初の国会議員山口シヅエにも大きな影響を与えました。自伝的小説「死線を越えて」はベストセラーとなり、ノーベル文学賞候補にもなった後世に功績を残す偉人です。
現在、新生田川東岸の国道2号線沿いには賀川を追頌する施設「賀川記念館」があり、足跡をたどることができます。賀川の努力の賜物で周辺はかつて貧民窟だったことが全く分からないほど浄化され、記念館には教会や病院が入居しています。私はかつて兵庫県民で一時期は対岸の二宮に住んでいましたが、同地区にこのような歴史があったことは全く知りませんでした。
「アア、これだ。貧民が立ち上がれないのは!貧民は貧乏だから貧民なるというよりか、孤独だから貧民になるのだ」「赤ん坊は牛乳がなければ死んでしまう。組合で牛乳をやらなくては」
教会や診療所により新川地区の環境は改善に向かいましたが、皮肉なことに平和になると軍事関連の仕事が減少、職のない青年が賀川を頼りに集まり、地区の人口は一気に10倍になりました。そこで賀川は対策のため組合を結成し、牛乳配達を事業化しました。事業は試行錯誤で当初はハーレーダビッドソンで配達していましたが、地区にダンロップの工場で従事していた青年がいて、1934年からは自転車による配達が実施されました。
日英同盟が締結されるとイギリスとの交易が盛んになり、神戸を中心に貿易を営んでいたグリア商会は1909年に日本ダンロップを創設、新川地区の東側にあるダ社敷地内に英コベントリー「プリミア自転車」の工場を設け、それぞれタイヤと自転車の生産を開始しました。
この工場ではフレーム・タイヤだけでなくハンドル・リム・スポーク・チェーン・ギアクランク・フリー体・ペダル・ハブ・ブレーキなど金属部品全般を一貫生産、大阪の大問屋の丸石商会が販売元となっていました。
戦前、大阪では自社工場を持たない大問屋が主柱となり大小のメーカーを支配、なかでも丸石商会は最大規模の自転車問屋で自己資本の蓄積を武器に工業型の東京の宮田や名古屋の岡本を圧倒する地位があり、価格や総量を決定しカルテル的に統制、丸石製品の価格は名古屋の4分の1となり全国に占める割合は80%に達し、兵庫県の自転車の普及のきっかけとなりました。
賀川の事業の取り扱い品目は米・醤油・砂糖といった主食品から木炭・足袋・ワイシャツ・作業服など日用品に拡大、配給活動だけでなく、スーパーマーケットなどセルフ販売方式の店舗展開もおこない食肉や酒類などを扱うなど客の要望に応えました。賀川の死後、サービスは兵庫県だけにとどまらず大阪府北部や京都の一部まで展開、バブル期には宝石や貴金属・金の延べ棒を販売し「もうけ主義」と内外から非難されました。
「酒を扱うなら、女でも麻薬でもどんどん売り出せばいいじゃないか」
90年代には「コープこうべ」と名称を変えコンビニ型店舗も展開、世界最大規模の生活協同組合となり「マンモス生協」と言われ、クリスチャンらしい潔癖な賀川の理念に忠実でないという意見もみられました。
私も兵庫県民だった頃、コープこうべの印象はダイエーと何が違うのか区別がつきませんでした。80年代の年史には競合する近隣スーパーとの差別化の苦悩が残されています。コープこうべでは自動車やトラックを利用し移動店舗や送迎するなど独自の取り組みをしているようですが、基本的には単なるGMS(総合スーパー)と類似形態を執っていて生協運動の意義がなくなってきています。
ここ数年、食品や日用品のサプライにUberEatsの参入があり、徐々に配達エリアを拡大しています。このサービスはシェアリングエコノミー・スマホや位置情報の活用の視点から先駆性が注目されていますが、本当の独自的な革新性は「スポーツ自転車のビジネス活用」ではないでしょうか。
自転車は低コストでエコロジーなツールであり、新川地区の未来を切り開きました。コープこうべも原点に返り、自転車をもっと活用をしてはどうでしょうか。三木市の「コープこうべ協同学苑史料館」には新川で使用された自転車が現在も当時を偲ぶように保存されてるそうです。