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「競輪場」は誰のものか

日本損害保険協会は2024年9月、交通事故の防止・軽減を目的とした最新の「全国交通事故多発交差点マップ」を公表しました。なんと、大阪は不名誉なことに全国ワースト5に、6ヵ所がランクイン、事故件数最多の長居交差点は東京都池袋六ツ又交差点と並び19件と事故が多発し、全国で最も危険な交差点となっています。

 

<2023年 事故多発交差点ランキング>
1位 (19件) 長居交差点 (他1か所)
3位 (16件) 谷町9丁目交差点
4位 (15件) 谷町4丁目交差点
5位 (14件) 上町交差点6丁目/梅新東/瓜破交差点

 

長居交差点は大阪市住吉区「長居公園」の南西角の交差点で、交通量が非常に多い「あびこ筋」から公園に左折する際に自転車を巻き込む事故が多かったようです。

 

 


全国で最も危険な長居交差点

 

 

全国的には長居公園というと、Jリーグチーム「セレッソ大阪」の本拠地として、耳にしたことがあるかもしれませんが、同クラブは月に2試合ほどしか試合を主催しておらず、集客も少なく事故多発の主要因とはいえません。

 

 

 

 

「君たちは税リーグだ。どれだけ税金を使うんだ」
「Jと関わると抜けられない。悪質商法みたい」 ー村井満・前Jリーグチェアマン
 (日経新聞 2023年5月19日付)

 

Jリーグはスローガンこそ耳障りはいいのですが、人気が低迷し思ったほど地域へ貢献ができていない現状があり、近年「税リーグ」と揶揄され税金依存の施設運営の見直しの声が上がっています。Jクラブは本体企業の赤字補填はスポンサー企業から受け、スタジアムの赤字補填は自治体から受ける収益構造となり、サポーター(観戦客)がクラブを支える理想から乖離、プロスポーツとして60クラブの自活が難しい実情が一部で露呈、物議を呼んでいます。

 

 


▲地域がJリーグと関わる危うさを語る村井満元チェアマン (日経新聞 2023年5月19日付)

 

セレッソ大阪は1995年に正式にJクラブとなり、基本的にトップリーグ「J1リーグ」に在位する秀逸なクラブですが、所在する住吉区や長居周辺がそれにより大きく活性化してきたという訳ではありません。あまり知られていませんがサッカー場のあるこの地には、かつては関西随一の入場者数・売上高を誇った大阪市営の競輪場「大阪中央競輪場」があり、競輪場をコンテンツに収益金で沼地や田畑だった周囲の都市基盤を整備し、現在に至っているという経緯があります。

 

 


▲長居公園の衛星写真 公営競技の競馬場と競輪場が併設されていた

 

 

大阪中央競輪場は1950年に開場された市営施設で、48年に開場した住之江の府営競輪場の好評を受け、大理石や御影石などを使用し整備、博覧会を思わせる立派な入り口で日本一と称えられ、関西随一の入場者数・売上高にてまちづくりに寄与しました。収容人数55000人の施設に、計66回の市営競輪において343万人以上を集客、平均すると5万人以上となり、この数は昨年の阪神甲子園球場の公式戦を入場者数を上回ります。

 

 


関西随一の人気「大阪中央競輪場」はたった12年間で廃止に追い込まれた

 

 

競輪は戦後間もない1947年(昭和22)から始まり、開始から8年間で全国で60以上の施設が開場しました。大阪にもかつては4施設ありましたが、知事の独断により廃止され現在では岸和田市による岸和田競輪のみが実施されています。脱公営競技を掲げ、競輪場を廃止する思想が共産主義と共に高まり、大都市の革新自治体に所在する人気競輪場はその標的となり、公営競技が次々に撤廃に追い込まれました。

 

 

<大阪府下の公営競技場>

住之江競艇場 [1956年-] 箕面市など主催
住之江競輪場 [1948-1964年] 政治的判断で休止
大阪中央競輪場 [1950-1962年] 政治的判断で廃止
豊中競輪場 [1950-1956年] 政治的判断で休止
岸和田競輪場 [1951年-] 岸和田市主催
大阪競馬場 [1948-1959年] 政治的判断で廃止
春木競馬場 [1929-1974年] 住民運動により廃止
長居オートレース場 [1951-1952年] 売上低迷により廃止

 

 

取って代わるように、これまで遊戯として人気を集めていたパチンコが景品交換所を介した「三店方式(大阪方式)」が心斎橋から広がり、財源を手放した府市のふところ具合は徐々に悪化、高い代償となっています。2007年にこのような状況に打破すべく出馬した橋下徹知事は政治団体「維新の会」を発起、東京都知事時代に「東京ドーム競輪」や「お台場カジノ計画」を立案した石原慎太郎を共同代表に迎え、財政健全化とカジノ法を推進、現在も府政を担っています。

各地で税金の使途に厳しい目が注がれるなか、2024年8月にANA総研というシンクタンクより「Jリーグは誰のものか」という強烈にJリーグを批判する詳細なレポートがまとめられリーグが抱える問題点を指摘、ANAはJクラブ「横浜ASフリューゲルス」を1998年までサポートした厳しい内情を吐露しています。

 

 

Jクラブは、本体の事業の赤字補填は責任企業から受け、競技場の赤字補填は自治体から受けるという、夢のような構造によって成り立っている。

 

レポートはJがプロスポーツとして成り立っていない点や宣伝媒体としても機能していない状態を指摘、そして、後半は天然芝競技場の維持コストや稼働率の低さをその他スポーツと比較しサッカーのすねかじり体質をまとめています。東大阪市「FC大阪」は2019年から「花園ラグビー場」を本拠地にJ3リーグを主戦場としていますが、資金不足から市との契約を履行できず、協定締結が難航しています。

私見ですが同じスポーツ施設を運営するなら、税金を払って天然芝サッカー場を維持するより、競輪場を運営して収益を得た方が住民のためになるように思います。現存する43の競輪場はすべて黒字運営され、収益金は主催自治体のインフラ整備・福祉施設・教育文化育成・公衆衛生など広く活用されています。

 

<近畿の廃止・休止の競輪場>
※カッコ内は廃止年

鳴尾競輪場  (1950) 暴動により閉鎖
豊中競輪場 (1955) 知事の独断で休止
宝ヶ池競輪場(1958) 市長の独断で休止
神戸競輪場(1961) 市民からの陳情で休止
明石競輪場(1961) 知事の独断で休止
大阪中央競輪場 (1962) 知事の独断で休止
住之江競輪場 (1964) 知事の独断で休止
西宮競輪場 (2002) 政治的判断で休止
甲子園競輪場 (2002) 政治的判断で休止
大津びわこ競輪場 (2011) 不採算

 

関西には岸和田以外に奈良・和歌山・京都向日町競輪場があり、競走が実施されていますがいずれの施設も老朽化していて、2000年に制定された国際規格に合致しておらず、アジア大会などの国際大会が開催できません。KEIRINは日本発祥の世界スポーツで五輪の正式種目に採択されていますが、関西の施設はすべて屋根すらなく、いまだに屋外競技なのです。2024年パリ五輪で自転車のトラック種目で日本がメダルゼロだったのは、端的に整わない練習環境が原因だと断言できます。屋根付き自転車競技場は、欧米先進国はもちろん中国・韓国・オーストラリア・シンガポール・香港・インド・ブラジル・コロンビア・マレーシア・ベラルーシ・トルクメニスタン…たいていどこでもありますが、関西には一つもなく昭和遺産が残るだけなのです。

 


耐震基準を満たさず老朽化した県営施設「奈良競輪場」 

 

遅々として進まないこのような地方の状況に対応すべく、2017年には自転車活用推進法が施行され、地方公共団体に「自転車競技のための施設の整備」(第八条の四)がもとめられています。推進法に基づいて2021年に策定された「第2次自転車活用推進計画」では、より具体的に国際規格に合致した自転車競技施設の整備促進と明記され市町村に競輪場の設置を提起しています。法令に基づき、京都の向日町競輪場はようやく建替えを決議しましたが、大阪からはまだそのような話は上がってきません。

競輪場の設置は地域経済において、ほぼ失敗例のない社会システムですが、政治家や社会学者、経済学者も無視を決め込み有益性が正しく評価されておらず、新設は半世紀以上もありません。大阪は2030年頃にカジノの誘致を目指していますが、競輪場の成功は43施設すべて黒字と再現性が非常に高く、安定的な財政確保のため併設を検討すべきではないでしょうか。

自転車博物館「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展

堺東のシマノ自転車博物館で開催中の「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展をみてきました。

 

 

シマノ自転車博物館はもともと、大仙公園の仁徳天皇陵の南西側に博物館ですが、シマノが創業100周年を迎えた2022年春に3.5倍に増床しリニューアルしました。新施設は以前の場所から南に1km、堺市役所などがある市の中心駅の南海高野線「堺東」駅から徒歩5分の好立地で、更地から建てられた自社施設となっています。大阪市内からだと南海「なんば」から乗り換えなしで20分ほどで行けるようになり利便性が向上、特別展「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」を見てきました。

 

 

施設の入場料は500円、特別展は2025年3月23日まで4階北側の特別展示室で開催され、追加料金は必要なく常設展示と併せて観ることができます。今回の特別展は「陸船車」と言われている舟の形の木製のレプリカが2台、享保年間の古文書の解説とともに展示されています。

 

 

 

 

2台のうち1台は「門弥式陸船車」(千里行車)と呼ばれる車で埼玉県の農民の庄田門弥(しょうだ もんや)が江戸時代中期1729年に制作されたとされる船の形をした乗り物で、踏み板を踏んで車輪を回転させる機構にぜんまいが組み込まれているとされ、実在したとするなら世界初の自転車となります。マクミランによってペダル式自転車が考案されたのが1839年なので実に100年近く前にこのようなペダル付の乗り物が考案されていたということです。

 

 

近江藩の平石久平次(ひらいし くへいじ)によって書き写された「新製陸舟奔車之記」に解説と図面が記録され、方向を変える操舵機構はなく、後に考案される「久平次式陸船車」の原型となったとされています。復元されたレプリカはコム製のタイヤのないの木製四輪車で、構造図や後の資料を元に製作されたものとなります。

 

 

もう1台は「久平次式陸船車」(陸奔舟車)と呼ばれる舟型の三輪車で、1732(享保17)年に彦根藩の武士の平石久平次(ひらいし くへいじ)によって考案され、下駄でできたペダルで車輪を駆動して走る方式で、テレビ朝日が復元したものが現在は彦根市立図書館されているようです。

 

 

そもそも自転車の起源は1813年のドイツとされていますので、1700年代に西洋文明から遠く離れた日本のこのような乗り物の資料の存在は非常に興味深く、文明史におけるオーパーツと言えます。連綿と続いている西洋の自転車文明と接点がなく、途絶えてしまって現車が残っていないため、自転車史の原点と考えられることはほとんどありませんが、素晴らしい着眼点だったことは間違えありません。

 

 

 

 

|シマノ自転車博物館

[開館時間] 午前10:00~午後4:30(入館は午後4:00 まで)
[休館日] 月曜日(祝日の場合は火曜日)、年末年始
〒590-0073 大阪府堺市堺区南向陽町2-2-1
代表:072-221-3196

 

ながら運転・飲酒運転の現厳罰化、「改正道交法」を各紙はどう伝えたのか

2024年11月から道交法が改正され「ながら運転」や「酒気帯び運転」の罰則が厳罰化されました。本稿では各紙の紙面を読み比べてみたいと思います。

 


 

読売新聞 11月1日 ★★★★☆

・改正道交法施行 自転車「ながらスマホ」懲役も [1面]
自転車を運転しながらスマートフォンを使う「ながら運転」の罰則を強化し、自転車での酒気帯び運転に罰則を新設する改正道路交通法が施行された。背景には、危険運転による事故が・・・

 

・酒気帯びに罰則 新設 [社会面]
・・大阪府内では酒気帯び運転が初めて摘発された。ながら運転はスマホを手に自転車を運転し、画面を注視したり通話したりする行為だ。これまでは都道府県の公安委員会規則で禁止され・・・

 

 

 

 

産経新聞 11月2日  ★★★★★

・自転車「ながらスマホ」厳罰強化 [1面]
携帯電話を使いながら自転車に乗る「ながら運転」の罰則を強化し、酒気帯び運転に罰則を新設するなどした改正道交法が1日、施行された。大阪市の繁華街ではあ法改正を認識していないのか、スマートフォンを手に・・・

・走行中にスマホ 若者の死傷者事故多発 [地域面]
・・近年、スマホの普及でながら運転の事故が増加し、特に若者の死傷者が多い。・・・ながら運転による死者や重傷者は過去5年間、30代までが9割近くを占め、大半はスマホ画面の画面を注視していたことが原因だった。警察長の担当者は・・・・

 

・ペダル付き電動バイク「モペット」ルール明確化[社会面]
・・・この日のモペットの公開取り締まりで、警視庁が確認した違反は、無免許や歩道走行など計13件に上ったという。

 

 

 

朝日新聞  11月5日 ★★☆☆☆

・酒気帯び 自転車でもダメ[地域面]
・道交法改正 飲食店で注意喚起

・・これまでの罰則対象は正常な運手のできないおそれのある「酒酔い運転」だったが、改正道交法で呼気1㍑あたり0.15㍉グラム以上のアルコールを含む「酒気帯び運転」も対象となった。酒気帯び運転や飲酒した人に自転車を貸すと、3年以下の懲役または50万円以下の罰金。自転車に乗る人への酒提供も・・・

 


 

 

読売と朝日は中央区の同じお好み焼き店に取材、飲酒運転を呼びかける啓発活動を仲良く報道しています。朝日は読売から4日遅れて記事にしていますので、残念ながら記事を読む価値があまりありません。産経は二紙が一切触れていないペダル付電動バイク「モペット」の分類を明確に明記、誤解により違反が取り締まられている記事を併載しています。モペットは一見すると自転車のように見えますが、無免許運転などが問題となっていますので、他紙も報道してもいいのではないでしょうか。特に若い男性が違反をしているという現状はオールドメディアが好みそうな話題で年配の読者にフィットするような気がします。

昨年、大阪府は自転車事故による死者数が37人と全国ワースト、本年も今のところワーストとなっています。産経は大阪人のマナーの悪さと事故を結び付け、府警の地道な広報や啓発活動を紹介しています。しかし、マナーの問題でしょうか。事故が多いのは、他府県に比べて自転車の普及率や利用率が高いにも関わらず大阪市に自転車推進に関する部署がなく、総合的な自転車政策がないからではないでしょうか。自転車道路網など自転車を中心としたまちづくりをしっかりと推進すれば事故は減らすことができます。

各紙の記者の方の取材をお待ちしております。

西日本最大、自転車の蚤の市「シクロジャンブル」2024 秋

ようやく秋らしくなってきた11月23日、国内最大級のビンテージ自転車やパーツの蚤の市「シクロジャンブル」にいってきました。

 

 

シクロジャンブルは大阪北部・豊中市の服部緑地公園で開催される中古自転車と部品のフリーマーケットです。西日本最大規模で1999年から毎年春と秋に実施され、関西の自転車マニアの間では恒例の行事として定着しています。これまで、イベントは園内の「古民家集落広場」で主に開催されていましたが、公園のリニューアルにともなって今回は「東中央広場」に会場が変更となりました。

延伸された北大阪急行「緑地公園駅」から公園へ向かうプロムナードを歩くとすぐ、中央に彫像のある噴水が見え、囲むようにブースが出展されています。緑地公園は、2022年からパークPFI制度により大和リースが管理者に選定され公園を管理、スターバックスやフードトラックが出展され以前より賑わいが出てきています。

 

 

朝9時スタートとなっていますが、8時にはすでに大勢の人で賑わっていました。出店は協力金1000円を払えば誰でも可能でコレクターから業者など約40ブース、自転車部品の出店が多く、不用品から骨とう品まで様々な品々が交換取引されています。車体の出品は盗品売買の怖れから制約があるため出品は少なく、メインはロードバイク・マウンテンバイク・ランドナー・ミニベロ・クロスバイク等の部品で新古品や年代不明のジャンク品などが活発に取引されています

 

 

絶好の行楽日和でいつもよりも広場には人が集まり、物珍しさから自転車に関心のない通りすがりの人もしげしげと様子をみています。出店者は関西だけでなく中部や関東地方からも日帰り遠征に来ているようで、ここでしか見られない珍しいものもあります。

 

「愛知県で自転車鞄の製造を25年、コットンや天然革を使用してます。要望にも応えますよ」

 

愛知県のかばん製造「RSAサンバッグ」はキャンバス地を使用した自転車鞄を手作り、普段は通信販売を行ってるようです。実際に大きさや風合いを確認でき、手にすると思ったより軽量で使いやすそうなバッグでした。商品を見ている人が「ショルダーバッグとして使いたい」というと、代表者の足立一雄さんは「後でカスタムして送りますよ」と日本製ならではの対応をみせていました。

 

 

他にも様々出店者がいて、商品は一応値札のような数字の書いたモノが張ってあるありますが、気になれば出展者の方に交渉してみるといいと思います。出品者は金儲けで来ている訳ではない(公園での商行為は禁止されている)ので、交渉次第では譲ってもらえるかもしれません。特に昼頃になると持ち帰るのも荷物になるので、無料でもらえたり、おまけをしてくれたりします。出品側はプロという訳ではないので、手さげ袋・小銭・メジャー・ノギスなど工具は持参した方がいいかもしれません。

 

 

主催者の方に話を伺うと、会場での自転車盗難に気を付けて欲しいのと、通路に自転車を置くのは避けてくださいと言っていました。イベントは20年以上続いていますが、管理が変わるたびに説明が求められ、手続きなどでいろいろと大変なようです。

 

珍百景、琵琶湖に浮かぶ三輪自転車の島「沖島」

少し古いデータで恐縮なのですが、2018年滋賀県は自転車産業振興会の調査で1世帯あたりの自転車保有台数で大阪府を抑えて全国トップ、官民連携で交通安全など自転車振興に取り組み、琵琶湖の湖畔を周遊する「ビワイチ」は、政府が後押しする地域活性化策「サイクルツーリズム」の成功事例の筆頭で、自転車は観光のみならずレジャーや移動手段として定着、環境問題というメガトレンドに沿った計画が住みやすさとつながり、神戸・京都が人口減に苦しむ一方で、滋賀県は人口を堅持しているという投稿を8月にしました。

今回はまた滋賀県、沖島に行ってきました。

 

 

沖島(おきしま)は琵琶湖に浮かぶ有人島で人口約250人、1時間もあれば一周できるほどの小島で琵琶湖東岸の近江八幡市の堀切新港と沖島を連絡する航路があります。堀切新港からは所要時間は5分ほどですが、1~2時間に1本しか運航されていませんので、島に行くには時刻票をみてからでなければなりません。船には数人ほど観光に訪れた人が乗船していて料金は片道500円、普通は往復で購入することとなります。

 

 

島の中央部は山で、港は島の南側にあり、集落か形成されています。木造二階建ての住宅と畑、細い路地という日本の原風景で自動車・鉄道はなく、徒歩での生活となります。集落の路地は基本的に舗装されていて、山裾には階段が整備され墓や神社があります。島の主な産業は水産業で多くの世帯は船を所有、男性は生活のため島外へも行くライフスタイルとなり、一応自動車運転免許はほとんどの人が取得しているようです。

 

 

自動車がないためもちろんガソリンスタンドもなく、島民の移動はもっぱら自転車となります。1時間ほどの調査で島内で237台の大人用自転車が確認され100%近い所有率となっています。そして、特徴的なのはその6割にあたる142台が三輪自転車である点です。

見わたせばそこら中に三輪自転車が無施錠に放置され、サドルの汚れを防止するためかおかきの缶カンが被せられています。

 

 

島の北側のカフェの店主の方に話を聞くと、かつては漁業で水揚げされた魚介類を運搬するために利用された三輪自転車が島民の高齢化に従って増加していったと言っていました。

 

「クルマがないからみんな自転車、のんびりした島でしょう」

 

店主は中年男性で金儲けというより島の良さを知ってもらうため、Uターンで訪問者向けのカフェを開業したそうです。島には病院もコンビニもありませんが、小学校があり島外から通学する子供がいて寂しい感じはしません。

 

 

 

船着き場付近には三輪自転車のレンタサイクルもあり、修理もそこでしているそうです。少し前までこの島は猫が多住する猫の島として注目されたようですが、この日に見た猫はたった2匹でした。三輪自転車を活用したライフスタイルは独特で、何かをきっかけ大きな注目を集め、評価されてもいいのではないかと感じました。

 

 

インバウンドで観光客でごった返している京都や大阪にうんざりしている方は一度訪れてみてはどうでしょうか。

アパッチの叫び「大阪府金属くず営業条例」反対自転車デモ

大阪は戦前より在日朝鮮人が多住し、特に大阪市東部の生野区・東成区の猪飼野(いかいの)と呼ばれる地域は現在でもコリアンタウンや朝鮮学校など独自のコミュニティが形成されています。戦後間もない頃は激しく職業差別を受け、在日朝鮮人はほぼ定職にありつけず75%が無職、多くは日雇いや古鉄収集で何とかその日を生き、ヒロポンやドブロクの密造・空き巣や洋犬盗といった社会秩序とは無縁のハードボイルドな生活を送っていました。朝鮮戦争が始まると金属くずの買取価格が暴騰、在日朝鮮人の10人に1人が古物屑鉄商となり、大阪では朝鮮人の古鉄窃盗団が暗躍しました。

 


リアカーで古鉄を回収する久保木修己  写真:「愛天愛国愛人」より

 

鉄道各社・鉄鋼業界や婦人会等から金属盗に関する陳情が相次ぎ、府は対応に追われました。金属盗の88%がよせ屋と呼ばれるこれらの鉄拾い業者を経由することから、1956年12月の府会の定例会にて、身分証明の提示やよせ屋の届出制度など買い取りを厳格化した「大阪府金属屑営業条例案」が提出され、議会にて質疑応答や懇談会が進められました。

 

「金属くず営業条例案は、盗品の金属類が金属くずとして売買されないため、よせ屋・ひろい屋について必要な規制をおこなう」(赤間文三 大阪府知事)

 

12月の定例会にて継続審査された条例案は賛否両意見が飛び交い混乱もありましたが、翌年の57年2月28日に賛成多数で、無修正で可決されました。

 


▲大阪府金属屑営業条例案提出で混乱する府庁「廃墟の中から」中西清太郎(1988,羊書房)

 

リアカーひとつで商売ができる鉄くず回収は在日朝鮮・韓国人にとって、極めて低資本で確実に現金が手にできる数少ない継続できる職種で、条例の制定は生活に困窮する朝鮮人の反感を買い、条例案が提出されたの56年12月18日、大阪府庁にて大規模なデモが実施されました。

前日の17日に再生資源取扱業者約500名によって府庁まで自転車デモが敢行され各党議員に陳情、翌18日朝11時過ぎには観光バス3台など業者など含む約1000名が「金属条例反対」のプラカードやのぼりを掲げ「我々を泥棒扱いする条例をブッつぶせ!」と叫び、隊を組んで議事堂の扉を押し破り気勢を上げました。

 


大阪府庁に押し寄せる在日朝鮮人 「日本鉄スクラップ業者現代史」(冨高幸雄,2017)

 

記帳が義務化されている条例の制定には字が書けない朝鮮人にとっては死活問題であり、死ぬしかないと声を上げたとされています。デモでは藁人形を掲げるなど大騒ぎとなり、府警は暴力行為・器物破損の疑いで関係者から事情を聞くなどして申し合わせました。

しかしながら条例成立後も古鉄盗は収まらず、58年10月には城東区の軍事施設「大阪砲兵工廠」から鉄くずを盗む朝鮮人窃盗団「アパッチ族」が新聞沙汰となり問題視され、府警は自転車盗の一掃作戦のため重点警戒網を敷き、組織犯罪の対策を取ります。ルポライターで、在日朝鮮人の黄民基(ファン・ミンキ)氏は「一人の自転車ドロの専門家を捕まえてみると、ついこないだまでは空き巣の名人と謳われた男であったという事実も実際にあった」として、古鉄盗は時代の表現者であるとしています。

 


府庁を取り囲んだデモ隊 「矢田戦後部落解放史1」(部落解放同盟矢田支部編,1980年)より

 

本ブログでは、現在の大阪におけるローカル中古自転車チェーン店につながる在日朝鮮人による静脈産業について、これまで批判的な立場で実態の調査・考察してきました。

古書店の「ブックオフ」が講談社や集英社など出版業界と接点がないのと同様に、大阪の中古自転車店も一般的な国内の自転車産業とかかわりが薄く、シマノやジャイアント、ブリヂストンサイクルなどの企業と共存関係になく異質な閉鎖市場を形成しています。

メディアが取り上げられることはほとんどありませんが、外国人経営の中古自転車チェーン店は様々な問題を抱えておりその実態はベールに包まれています。特に私は大阪市がこの負のスパイラルに加担していることが最大の問題であると考えています。

 

 


日本から北朝鮮に輸出される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

1967年4月には、1000台以上の自転車を盗んだとされる「自転車ドロ名人」高 基雲(コ キウン)が逮捕され、西成周辺の中古自転車店から次々と高の盗んだ自転車が押収、当時の金額で1000万円相当、東署は押収車で自転車預かり所のようになり、盗品売買の闇ルートの一端が公然となりました。

 


高基雲逮捕で明るみになった闇ルート  大阪日日新聞1967年4月10日

 

大阪府庁ではこのデモの9年前の1948年にも在日朝鮮人による大規模暴動事件「大阪朝鮮人騒擾事件」が発生、在日朝鮮人が府庁を占拠し、政府が非常事態宣言を発令する事態となり、府警の警邏体制が抜本的な改革がされました。同事件は暴力によって政府が方針を転換するという悪しき前例で、断固としてこのようなことは許されません。

戦後、緊急事態宣言が発令されたのはコロナ・福島第一原発事故・国鉄危機と同事件の4例のみですが、なぜか誰も事件を顧みることなく風化してしまっていて、在日3世4世は初耳の人も多いのではないでしょうか。しかしながら、このような系譜は途絶えた訳ではなく現在も脈々と大阪の地下に根を張り独自のコミュニティを形成しています。

大阪は全国で最も自転車盗が多い都道府県となっていて、私はこの問題を軽視しておらず、多くの人に事実を知っていただき、行政がさらなる対応をすることを望んでいます。

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