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大阪市、自転車の過剰撤去で陳謝、150万台調査と賠償検討

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大阪市は2023年1月より、放置自転車を見つけ次第撤去する「リアルタイム撤去」を開始、自転車撤去に関するいわゆる「自転車法」を拡大解釈した条例を制定、市内広域に駐輪禁止エリアを拡大し「放置自転車」を次々に撤去しています。本ブログでは2022年1月の投稿「大阪市、撤去自転車売却6万台の闇」にて、現状と問題点を指摘し、過剰撤去の背景にある在日静脈産業の調査を続けています。

 

 


北朝鮮に輸出される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

 

8日、横山市長は不適切な自転車撤去が組織内で慣習となっていた可能性があるとして組織ぐるみの不正を陳謝、業務報告書には虚偽の記載をしていたことが発覚しました。

 

「市政全体への信頼を揺るがす非常に深刻な事態で大変申し訳ない。外部の意見を取り入れ、信頼回復に向けて事実関係の把握に向けた調査と再発防止を徹底していきたい」

 

今回の不正陳謝の2年も前から私が過剰撤去を指摘できたのは、実際に自転車を撤去された方の証言と2020年に国土交通省が公開した自治体の自転車撤去台数です。大阪市の撤去台数が6万台以上に対して、人口で上回る横浜市が10分の1以下の5665台、いくら大阪人がマナーが悪く、自転車依存率が高くといってもこの数値の差に違和感を感じずにはいられなかったのです。

 

 

———————-

大阪市 6万1590台
神戸市 8799台
横浜市 5665台
さいたま市 3261台
広島市  1294台
浜松市 1195台
(令和2年 国土交通省 交通安全対策室資料)

———————–

 

 

放置禁止区域の拡大は撤去事業を市が民間委託にした2006年頃から始まり、市内の無料駐輪場を次々と廃止、歩道上に有料駐輪場が設置され民間事業者が管理運営する独自方式を確立し、自転車利用の抑圧を計画的に実施してきました。そして圧倒的に不足する駐輪場にあふれた利用者の自転車を海外ブローカーに払い下げることで、財政に悩む市の収入としてきました。撤去自転車を売却する自治体は大阪市以外にない訳ではありませんが鉄くずとして分解後に廃棄されることが一般的で、私が知る限り大阪市のように払い下げが産業化している自治体はありません。

 

 

 

 

不適切な撤去は少なくとも3年以上前から慣習化、処分対象となる職員は氷山の一角で実際は複数人の職員が関与し継続的に虚偽報告を繰り返したとしています。市は撤去記録の不正の実態を調査、賠償の検討も進める方針示していますが、偽装工作のために防犯登録シールを剥がす行為もあったと報告されています。大阪府の防犯登録シールは非常に特殊な素材を使用していて容易にはがすことは難しく、思い付きでなく計画的な犯行であると断定ができます。

 

「わざわざ取りに来るのは不便だろうと判断して防犯登録シールをはがした」

 

大阪府では2008~12年までの5年間、大阪府府警が自転車盗など計8万件以上の事件を少なく装う戦後最大の偽装事件「大阪府警 治安偽装事件」が発生、内規に基づいて幹部を含む関係者が処分されています。

大阪でこのような自転車に対する不正が相次ぐ原因に、自治体に「自転車推進室」や「自転車推進局」といった専門事業部が存在しないために利用者視点にたった自転車まちづくり政策が未整備で、そのしわ寄せが不正や違反につながっているように思います。端的に自転車を厄介モノ扱いしてきたツケが回ってきているのです。

自転車を放置する行為は良くないことかもしれませんが、私は彼らが悪人だとは思いません。いたって普通の市民で、自分自身だと思っています。重要なのは誰しもがストレスなく過ごせる社会構造の構築であり、健全な自転車利用ができる安心できる環境整備の推進ではないでしょうか。私の店は防犯登録所であり、現場の人間として、是非、意見を取り入れていただきたいと思います。

 

 


 

 

毎日新聞 5月19日 朝刊
自転車 不正撤去 大阪市2019~22年 職員、慣習化か 

 

 

 

朝日新聞 5月9日 朝刊
放置自転車 不適切に撤去 大阪市、期限待たず2200台

asahi 20240509

 

 

 

| 産経新聞 5月9日 朝刊
自転車 不正撤去 大阪市職員、放置期限待たず

 

 

 

 

| 読売新聞 5月9日 朝刊
放置自転車 不適切撤去 大阪市職員 期限待たず

 

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グレーター千里構想は「第二東京」となるか

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2024年3月、大阪の大動脈である地下鉄御堂筋線から直通する北大阪急行の終着駅の千里中央から2駅北側に新駅が増設されました。新設駅は2か所とも箕面市内にあり、大阪大学箕面キャンパスがある「箕面船場阪大前」と大阪平野の最北「箕面萱野」で、地価上昇などのよる経済効果は3200億円以上、年間600億円以上に及ぶとされています。鉄道の延伸は箕面市民にとって60年越しの妄想路線で、箕面出身の私にとっても親世代のころからの悲願です。まあ、そんな感じで、折角なので久しぶりに実家に帰ってきました。

 


延伸開業した北大阪急行「箕面萱野」

 

箕面市は人口13.7万人の新興ベッドタウンですが、実家は市の南西側の旧集落地区にあり、箕面村と豊川村の合併前から先祖代々住んでいます。1970年の大阪万博をきっかけに国道171号線が敷設され徐々に開発され、子供の頃は水田と竹藪がまだ結構残っていましたが、今では戸建住宅やマンションが建ち並んでいます。
箕面市は住之江競艇による収益金が累計1000億以上あり、都市開発など公共政策に広く使用され北急延伸にもこの資金が利用されています。

一方で、これまで始発駅だった豊中市の「千里中央」は途中駅となり、商業施設「千里セルシー」や「大丸ピーコック」は閉鎖されるなど豊中市民にとっては素直に喜べない不穏な影響が発生、バス路線の再編など将来的な不安の声も上がっています。箕面・豊中・池田・吹田・茨木の大阪北部一帯は、「千里」と呼ばれ千里中央はこれまで文字通りその中心的役割を果たしていました。箕面萱野が発展しても、千里中央が衰退するなら3200億の経済効果も怪しくなります。

 


閉鎖されたアイドルの登竜門「千里セルシー」AKBやBTSなどイベントが定期開催された

 

箕面・豊中・池田・吹田・茨木の5市の人口を合計するとおよそ130万人、京都市や神戸市が150万人前後であることを考えれば、京阪神の真ん中に実はもうひとつ大きな都市が存在していると考えることができます。70年大阪万博の成功の立役者である文化人類学者の梅棹忠夫は、これら千里ニュータウンを中心した広域都市圏を「グレーター千里」として一体的な開発を提案、万博跡地利用や大阪モノレール等を構想し、一部実現化しています。

 

 

<自治体人口>
豊中市 40万人  大阪市 270万人
吹田市 37万人  堺市 84万人
茨木市 28万人  神戸市 153万人
箕面市 13万人      京都市 147万人
池田市 10万人  奈良市 36万人
千里5市合計129万人

 

 

千里の住民の特色として進学意欲が高く、阪急電車沿線といった文化的価値観が同質で、チェーン店を選好する傾向が強くみられます。古書店と言えばBOOKOFF、中華料理店と言えば王将、自転車も基本的にサイクルベースあさひで購入、他県からの転入者が多いため地元意識が大阪南部と比べて弱いように感じます。このような傾向から、私は5市はいっそのこと合併して、政令市を目指すべきだと考えています。

大阪市内を通らないのに「大阪モノレール」、吹田市で開催されたのに「大阪万博」、池田・豊中市に所在するのに「大阪空港」、ガンバ千里ではなく「ガンバ大阪」、もちろん箕面にキャンパスが新設されても箕面大学にはならず「大阪大学」となり、千里は福岡市や広島市と伍する都市規模を持ちながら、全国的な知名度が低く、その潜在性を十分に生かせていないように感じています。

 

 


吹田市にある「万博記念公園」 1970年に大阪万博が開催され大阪が絶頂期をむかえた

 

 

平成期には経済低迷や人口減少でシュリンクする地方自治体の合併が政府主導で行われ、大阪府でも豊中市や吹田市など周辺自治体を大阪市に取り込み「大阪都」とする「グレーター大阪」構想が提起、副首都議論が議題に上がり、東日本大震災が発生すると具体的に大阪空港(池田・豊中市)と万博公園(吹田市)を候補地として検討されました。

 

 

「副首都」建設、与野党で機運高まる 国家的危機管理必要
年内にも建設着手 伊丹空港跡地が最有力

候補地として大阪国際空港(伊丹空港)跡地(大阪府、兵庫県)、関西文化学術研究都市(大阪府、京都府、奈良県)、万博公園(大阪府)、愛・地球博記念公園(愛知県)、名古屋空港跡地(同)を検討。敷地の広さや交通アクセス、東京からの距離など7基準から総合評価した結果、伊丹空港跡地が最有力となった。
(産経ニュース)

 

 

副首都議論は石原慎太郎知事や橋下徹知事が賛同、副首都建設を目指す超党派議連が結成され、災害時のバックアップ機能として首都機能の一部が構想されていました。スーパーコンピュータ富岳によると、南海トラフ地震が発生すると津波により梅田で1mの濁流が押し寄せ地下街は浸水しその致死率100%、東京・名古屋も広い範囲で地盤が液状化し長期に渡り都市機能がマヒするようです。危機管理という観点からも、政府と直接やり取りできる政令市になることは必要な条件のように思います。

 

 


2011年東日本大震災により津波被害など大きな被害で副首都の建設が構想された

 

 

千里5市合併は二重行政解消を目的とした「大阪都構想」より、大阪の成長を望めるように思います。京阪神に支店を構えている企業が、もし4支店目を出店するなら、奈良や滋賀ではなく自然と人口の多い「千里」となります。豊中や池田市のままなら、そうはならないのではないでしょうか。さらに私は首都のバックアップ機能を考慮するなら、合併後の名称を「第二東京市」や「新東京市」と改称すれば、千里市・北摂市・北大阪市などと月並みにするより全国的なインパクトが与えられ、大阪のみならず国内経済の成長のドライバーになるように思います。

ここまで読んで多くの方は「自転車屋の妄想も大概にしろ」と感じたことと思います。しかし、梅棹は一部のエリートや専門家ではなく一般の市民も思想気軽に扱おうと呼びかけ、小松左京などと「千里眼」という同人誌を出版しました。

 

思想はつかうべきものである
思想は西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではないのであって
アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである
プロにはまかせておけない
アマチュア思想道を確立すべきである
(梅棹忠夫「アマチュア思想家宣言」1954)

 

過去には保育園に落ちた女性の「日本死ね」といった匿名ブログが、国会で取り上げられ待機児童問題がクローズアップされたこともあります。本ブログも以前に有名ユーチューバーの方に動画内で読み上げていただき、投稿内容が60万人以上に拡散されたこともあります。

 

 


吹田市と箕面市の境界

 

私は人口減少に歯止めがかからない日本は全地域が均等に成長し続けることは困難で、将来的に各自治体が人(若者)の争奪戦となり、魅力のない地域や公共政策に乏しい自治体は衰退していくように思います。そのためにも私は公営競技の実施による財源の確保、なかでも最もギャンブル依存症対策がなされていて、低コストで実施できる競輪場の運営は、自治体の選択肢として有力のように思います。

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戦後の魔窟、自転車窃盗集団「猪飼野愚連隊」

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終戦直後に朝鮮半島から引揚げをする日本人の中には朝鮮人による強姦等により妊娠した女性が多く存在し、その数は福岡の二日市保養所に報告書があるだけで28名、中には帰国船から身を投げた妊婦もいたといいます。昨日までともに戦った戦友が突然と姿を変え牙を剥く、それが戦争の恐ろしさということだといえます。

日本国内に居た朝鮮人の場合はより複雑で、日本軍が引き揚げた半島はここぞとばかりにソ連に侵攻を受け祖国は二分、帰国のタイミングを逸し日本に在留する者も多くいました。こうした在日朝鮮人が国内で最も多住する地区が大阪市東部の生野区・東成区の猪飼野(いかいの)と呼ばれる地域で、現在は当時の事を知らない在日4世、5世・・によって、独特のコミュニティが形成されています。

 

 

「お母ちゃんが言うとったんや。北鮮、毎日ただでハム食えるし、でっかい家にも住める」

 

 

北朝鮮の帰還船が新潟が寄港し始めたのは、テレビ・冷蔵庫・洗濯機「三種の神器」が一般的に普及し始めた1959年末で、金日成首相は平壌で開催された「建国十周年記念祝賀大会」にて、すべての条件を保証するという帰還キャンペーンを実施、共和国をまるで楽園のように喧伝しました。当時の在阪の朝鮮人はほぼ定職にありつけず75%が無職、多くは日雇いや古鉄収集で何とかその日を生き、ヒロポンやドブロクの密造・空き巣や洋犬盗といった社会秩序とは無縁のハードボイルドな生活環境で、暴力組織が群雄割拠していました。

 

 


▲終戦当時の古鉄回収の様子 (写真「愛天愛国愛人」より) ㊨ 若き日の久保木修己

 

 

李ヨーカ(通名:西山)は在日二世、父親が服役中に死亡したため母と兄妹の4人で、腐乱したネコやネズミの死骸が転がる猪飼野の路地裏の細民窟に居住、家族そろって帰還船に乗ることを話し合っていましたが煮え切らず、犯罪組織の指示役の朴マサオ(通名:白井)とともに自転車盗を繰り返していました。この頃、大阪府下の自転車盗が2万3000件を上回り、一掃作戦のため府警は無灯火の自転車を片っ端から職質するなど、重点警戒の網を敷いていました。

 

 


▲ 北朝鮮に輸出される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

 

ヨーカはマサオと二人で布施駅前のパチンコ店から二台の自転車を盗み、マサオと別れると鼻歌交じりで自転車に乗っているところを捕まり、布施署に補導され新聞沙汰となります。背後には大きな闇組織がありましたがヨーカは黙秘、非行グループ内での地位がマサオと逆転したといいます。

ルポライターで、ヨーカと旧知の仲の黄民基(ファン・ミンキ)氏は「一人の自転車ドロの専門家を捕まえてみると、ついこないだまでは空き巣の名人と謳われた男であったという事実も実際にあった」として、古鉄窃盗団「アパッチ族」との関連を指摘、時代の表現者たりうるとしています。そして、ノンフィクション「奴らが哭くまえに」にて幼少期に公園に自転車でやってくる太田紙芝居を楽しみにしていた二人の思い出を綴っています。

 

「父子そろって殺人犯やなんて、血は争えんな」

 

ヨーカは1968年、盗みに入った家の主人をジャックナイフで突き刺し特別少年院に収容、ヨーカの母は新潟に向かい、そのまま行方不明になったと言われています。

 


1958年頃の猪飼野 「猪飼野少年愚連隊」黄民基より

 

 

現在、猪飼野に行ってみるとキムチや精肉店など半島の文化を継承した街並みがみられ、特に御幸通り商店街はK-POPや韓国コスメ店などはこのような歴史を知らない若い世代の女性が全国から押し寄せています。私は虚像と虚飾に満ちた新世代の韓流文化には全く興味がなく、BOA・ヨン様・KARAくらいが辛うじて知っているくらいで、RAIN(ピ)以降は誰が誰だか、何が何なのか、皆目判りません。

コンプレックスを抱え「ニッポンっ、ダイスキー」と覚えたての日本語で言わされいるさまが、アイデンティティが喪失していて目を覆いたくなるのです。一方で、大阪人のユーモアと半島人の狂暴性を合わせ持つ在日文学は刺激的で、ますます興味が湧いてきます。また、なにか面白い作品があれば本ブログで取り上げてみたいと思います。

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燃やしてまえ! ! 廃墟「明石市立図書館」の整備問題

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国内では、過疎や人口減少が社会問題化していますが、兵庫県南部の明石市は11年連続人口増、子育てに重点を置いた政策で国や自治体から注目されています。私は10代の頃、明石に数年間住んでいましたが、当時は少年による窃盗や破壊行為・バイク暴走が日常茶飯事でした。箕面(←関西一のええとこ)から転入した私は、息を吸うように万引きをする「明石の子」に衝撃を受け、連座的に犯罪に巻き込まれないように、自衛手段として転出を選択しました。転居の数年後の2002年には、住んでいた明石のワンルームマンションの前で、大学生が暴力団構成員にシバき殺される凶行「神戸大生リンチ殺人事件」が発生、恐怖で肝を冷やしました。第二の故郷と言いたいのですが、明石というのはそういう場所だったのです。

 


活気を取り戻した明石「魚の棚商店街」

 

恐怖のまちの転機となったのは2010年、衆議院議員の泉房穂氏が市長に出馬を表明、僅差で自民党候補を破ると昨年まで3期12年間市政改革に取り組み、大きな成果を上げました。一方で、不適切な発言などで周囲と反りが合わず、釈明や辞任を求められることも多く、市政に未練を残したまま後任に席を譲る格好となりました。

 

「きょう、火ィつけて、捕まってこい!燃やしてまえ、建もん!」

 

20年ぶりに「第二の故郷」に足を踏み入れると、JR明石駅周辺は整備され、カツアゲに怯えていた当時からイメージが一変していました。建物だけが新しくなったのではなく、地元高校生による無料コンサートに暇を持て余した老人がパイプ椅子に腰かけて拍手を贈ってる光景、明石市は「戻りたい街ランキング」で堂々全国第1位に選出、子育て世代のみならず地元民の笑顔があふれていました。

 


▲駅前ビルに移転した「あかし市民図書館」

 

再開発された駅前ビルには、チェーン店だけでなく開発前からあった明石焼き店「道場」や子育て支援センター・中高生世代交流施設「ユース スペース」といった公共窓口が同居、明石公園内にあった市立図書館も移築され、以前と比べて活性化していました。私が明石に住んでいた頃、市立図書館はJR明石駅の北側の明石公園内に、兵庫県立図書館と隣り合って運営され、泉市長時代に移転したようです。駅前ビルに移築された結果、利用しやすくなり移転前の2倍の貸出数になり、移転は大成功となっています。

しかし、泉市長の退任後に問題が表面化、旧図書館の整備をめぐり県と市が対立しているようです。

 


市民の憩いの場、「兵庫県立 明石城公園」

 

明石公園は明石城の城址を公園化した県立施設で、重要文化財の櫓や堀だけでなく広大な敷地には野球場やテニス場、宮本武蔵ゆかりの日本庭園や自然林、子供が楽しめる遊具やペダルボートなど観光スポットとレジャーが両立した憩いの場となっています。

旧図書館は公園の東側、駅から園内を10分ほど歩き雑木林を抜けた先にあり、レンガ造りの3階建てとなっています。1974年に建造で県立図書館と一体したデザインですが内部で行き来はできず、南棟の市立図書館だった部分が2020年3月から4年間放置され廃墟化、21年には屋上からミイラ化した遺体が発見されました。

 


明石市が不法占拠する旧図書館跡   閉館後は廃墟化

 

兵庫県は明石市に対して、現状回復と土地の返却を求めていましたが、明石市は解体費用が8億円以上となることから先送り、後任の丸谷聡子市長は解決に意欲を見せましたが、前市長と兵庫県知事との対立で議論が平行線をたどり不法占拠状態となっています。閉館後の施設管理だけでも年間300万円の税金がかかり、問題解決の方法を模索しています。

図書館は、県営「明石公園自転車競技場」に隣接、窓からは明石海峡大橋と地元選手がトレーニングする様子が望めます。この自転車競技場は兵庫県下で唯一の現存競輪場で、1961年まで公営競技が実施されていました。昭和期には明石・西宮・鳴尾(甲子園)・神戸と県内の4ヶ所で競技が実施され、地方財政に寄与してきましたが、社会党の阪本勝知事時代に「県営ギャンブル全廃」の方針が表明され、他の競輪場は取り壊され、明石のコンクリートの400m走路だけが残されています。

 


明石海峡大橋を望む県営施設「明石公園自転車競技場」

 

兵庫県には複数の暴力団組織の勢力が分布、明石競輪場は山口組系細田組などが、テキ屋・予想屋・売店・警備の利権を分け合っていました。当時は暴力団の抗争は、まるでプロ野球の結果のようにスポーツ新聞で読む性向がありましたが、1980年代に神戸に本部がある一和会と山口組の抗争が激化、血で血を洗う抗争が続き高知競輪場で発砲事件が発生、2名の死者を出し、公営競技は暴力団と決別しました。

平成期になると競輪は依存症対策や不正行為対策など改革に真剣に取り組み、現在に至っています。かつては迷惑施設だった競輪場はインターネットや電話投票の登場で性質が変化、令和になり人気が復調し主催都市に大きな恩恵をもたらしています。

 

 


1950年に開場した「明石競輪場」 1961年まで市営競輪が実施された

 

郷里の箕面市も公営競技のボートレースを主催、先月はご存じの通り、収益金を活用し北大阪急行(地下鉄御堂筋線)が延伸されました。打ち出の小づちのように毎年、収益金が数十億も入ってくるのに、他の自治体の方は不公平に感じていないのでしょうか。いわんや、大阪府・大阪市・京都市のように利権を自ら放棄し、赤貧化した思想最優先の左翼政治は本当に不憫に思います。

私の提案なのですが、明石公園自転車競技場で競輪を再開し、その費用で図書館解体の代執行をすればいいのではないでしょうか。兵庫県がその意思を表明し、明石市に「即撤去」か「県営競輪の実施」の二択を迫れば、廃墟は有効活用されるはずです。

 

 


ホテルが併設された岡山県「玉野競輪場」 全国43施設ある競輪場はすべて黒字運営されている

 

旧図書館は草ボーボーですが、建物デザインは時代を感じさせない洗練されたものがありますので、玉野競輪場のように宿泊施設にしてもよさそうです。公営競技主催にアレルギーがある住民もいると思いますが、公営競技場の所在する宝塚市・向日市・久御山町・西大寺は、県下でも屈指の住みやすいまちとなっています。明石市は走路が残されているため、他市と比べて再開もしやすいのではないでしょうか。

 

 

<明石公園の秘史>
1950年 明石競輪場設営
1961年 競輪撤退
1974年 明石市立図書館開館
1984年 山一抗争
2010年 泉房穂市長就任
2017年 市立図書館移転
2020年 図書館跡廃墟化
2021年 ミイラ遺体発見
2023年 丸谷聡子市長就任

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住民が勝ち取った奇跡のサイクリングロード、東淀川「大野川緑陰道」

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先月、自転車通行禁止となった自転車道「ホトトギスの道」について投稿しましたが、今後もさらにこの林道が有効活用されるように調査・研究を続けていきたいと思っております。

1977年4月号のサイクルスポーツ誌には、生駒西麓沿いのこの道以外に、大阪府下の20コースがリストされています。そのうちのひとつが西淀川区「大野川緑陰道」です。JR塚本駅北側付近から淀川と並行する形で河口付近まで約3.8kmが整備された自転車専用道です。まだ肌寒い3月上旬、大阪湾を目指してサイクリングしてきました。

 

 

西淀川区は大阪市の北西のはずれに位置し、24区あるなかでも最も影の薄い区と言っていほど行く機会に恵まれない地域です。鉄道駅はJR塚本駅・御幣島駅と阪神の姫島駅・出來島駅とあるものの下車したことはなく、これといった繁華街や観光地もありません。阪急の乗換駅の十三駅のある淀川区の西、神崎川と淀川に挟まれた低海抜地帯で、北側は兵庫県尼崎市となっていて、昭和期には大阪の鉄鋼・重化学工業の拠点として発展しました。

大野川緑陰道は、同地区のさらなる発展のため神崎川と淀川を結んでいた大野川を埋め立て、高速道路を建設する計画となっていましたが、大気汚染や公害が深刻化し周辺住民の強い反対により現在の緑道となりました。

 

 

 

走路は自動車や歩行者と完全に分離され、青色にペイントされ視認性も高く迷うこともありません。淀川沿いのサイクリングロードに比べて知名度こそ高くありませんが、周辺住民を中心に利用者は多く快適に走行することができます。

道沿いには公衆トイレや公園、文化施設などもあり、周辺にはコンビニやレストランやカフェも点在しています。といっても、ほとんど止まることもなく20分ほどで専用道は淀川の河口に合流します。あっという間です。

 

 

淀川沿いに出ると突然、強い風に吹きっ曝され、木々に覆われた緑陰道の快適性が改めて実感できました。淀川河口は、1月に迷いクジラの淀ちゃんが発見され、全国的なニュースとなり、にわかに注目を集めました。大阪でホエールウォッチングができるなんて滅多にないので見に行こうと思っていたのですが、淀ちゃんは衰弱し数日後にあっけなく死んでしまいました。

淀川北岸はそのまま自転車で走行できるように整備され、神崎川との三角地帯は海岸緑地「矢倉公園」となっていて大阪湾を望むことができます。

 

 

 

 

矢倉公園は2000年に整備された大阪市唯一の自然海岸公園で近隣住民の憩いの場となっているようです。私は初めて来ましたが、潮だまりや野鳥観察所などが整備され、開放的で自然を感じられます。大阪市内にもこんな場所があったんですね。

 

 

 

自転車を降りて園内を歩き大阪湾側の干潟に目を落とすと、ペットボトルなどのプラスチック製品のゴミが無数に散らばっていることに気づきました。ゴミの散らばり方から来園者のゴミではなく、湾内の漂流ゴミが潮の満ち引きなどで磯に打ち上がったような感じです。とても一人では拾いきれる量ではないため、見なかったことにして帰りましたが、考えさせられるものがありました。

区は地域ぐるみで清掃活動やイベントを熱心におこなっているようですが、毎年のように投棄される海洋ゴミは産業構造や文明そのものを変革しなければ減らず、深刻化しています。

 

 

西淀川区は70年代に公害汚染で人口が減少、住民が立ち上がり環境改善に必死に取り組みました。緑道の完成後は住みやすさが飛躍的に向上、汚染物質が環境基準以下になるようにコンビナートや工場と協調しながら、環境づくりに取り組んでいます。このような結果、80年代以降は人口が増加傾向に転じました。

大気汚染や公害のイメージが強い地区でしたが、実際に行ってみるととても住みやすそうな場所でした。緑陰道は西淀川区内で完結していますが、自転車道はネットワーク化することに価値があります。欧州では国を跨いだ自転車道路網が整備されていると聞きます。自転車が環境社会のアイコンとなり、政府や自治体・住民が目標をさだめて自転車の振興を目指しているようです。

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