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文化・スポーツの拠点「明治神宮外苑」再開発問題

東京の中心部・青山一帯に広がる明治神宮外苑、2度のオリンピック会場に使用され都民の憩いの場となっている広大な敷地の再開発をめぐって対立がおきています。

明治神宮は明治天皇を追頌する施設として1920年創建され、鳥居や社殿のある森厳荘重な内苑と外苑に分かれています。外苑は市街地化した北参道を挟んだ内苑の東側に一般からの献金で1926年完成、文化・スポーツ施設があり、緑豊かな空間となっています。献木された10万木の人工林の杜が再開発によって破壊されると、地域住民や活動家、政治家、ミュージシャンや作家が声を上げ、反対運動へと発展しています。

 

 

とりわけ、外苑を象徴する青山口から真っすぐ伸びた四列のイチョウ並木は秋には黄金色に輝き、ひっそりたたずむ聖徳記念絵画館を美しく彩ります。並木は関東大震災後に植樹され、交通量の多い自動車道に並行しアスファルトのプロムナードが敷設されています。計画ではこの並木には手を付けず、オープンスペースを倍増し緑地面積を減らさないとしていますが、充分な説明が届いておらず合意形成ができていません。

私は石原慎太郎都知事の時代に東京に住んでいて、何度か外苑も行ったことがありますが、大阪に移住しこのような報道を受けて久しぶりに苑内を歩いてみました。

 


▲開放され自転車イベントが定期開催された神宮外苑

 

並木のイチョウの幹径は御堂筋なにわ筋のものより太く、樹形が整っています。明治期の建築家 伊東忠太による異彩を放つ外苑の世界観は現代には再現不可能で、安藤忠雄や隈研吾のスタバにするのはもったいないような気がします。ただ、実際に行ってみると、人影はまばらで自動車が抜け道としてただ利用しているような感じで、確かに再開発の必要性も感じます。

伊東は辰野金吾の弟子で、幻獣をモチーフとした阪急梅田の旧コンコースや築地本願寺の設計でも知られています。再開発議論は樹木の伐採に矮小化されていますが、私はむしろ重要なのは明治期から積み重ねてきた文化をどのように破壊せず継承するかに重点を置いた方が良いのではないかと考えています。

 


▲人の姿がまばらな神宮外苑の遊歩道

外苑は戦時中は兵練場となり、1941年3月10日には戦意高揚のための2300人の青年が銃を背負い自転車でのパレード走行「国防自転車行進」が実施され、終戦後の68年からは日曜祭日にサイクリングコースとして開放、自転車文化や交流の拠点となっています。

一日3万台交通量のある外苑をサイクリストに開放というのは前例がなく、警視庁は難色を示しましたが、明治神宮側は双手を挙げて賛成、我が国の自転車道建設の原点となり、ニューヨークのセントラル公園などに広がりました。こうしたことから、谷垣禎一代議士が代表を務めていた「日本サイクリング協会」(JCA)やシマノが運営するコミュニティスペース「OVE南青山」などが中心となり集会や走行会も頻繁に行われていました。

 


▲再開発で取り壊された神宮球場隣の「神宮外苑サイクリングセンター」

 

 

再開発工事以前には、苑内に1.2km周回コース「神宮外苑 サイクリング道路」が敷設され、自転車の試乗会やレンタルサイクル、小中学生を対象にした自転車安全教室など、自転車文化の向上・交通環境の改善を目指したイベントが定期的に開催されていましたが、一般にはほとんど知られていなかったような気がします。

 

「見たこと無いヤツいっぱい並んででるけどオマエら大丈夫か、コケんなよ。分かってるな」
「センセー前出てこい!雑魚ども道開けろ、退けっ!」

 

本年2月に苑内で開催のロードレース大会「第1回東京クリテウム」にて、全日本実業団自転車連盟(JBCF)の安原昌弘理事長のレース前の冗談交じりであいさつが、あらぬ形で「暴言」としてSNSで拡散され炎上、不本意な形で注目を集め、安原氏は理事長を辞任し連盟は謝罪をしました。本件に関しては関係者ではないのでコメントは差し控えますが、普段の自転車イベントや活動も拡散や報道をお願いしたいものです。直近では5月5日に「サイクルドリームフェスタ2025」があるようですので、拡散をお願いします。

 


青山アートスクエア「自転車とモード展〜門外不出の八神商会コレクション〜」(2017年撮影)

 

また再開発では高層ビルが2棟建ち、秩父宮ラグビー場の南側の伊藤忠商事の東京本社ビルも建て替えとなります。本社屋入り口脇には「青山アートスクエア」という小さなギャラリーがあり、2013年から「アレックスモールトン 素晴らしき小径車の世界」「自転車とモード展〜門外不出のヤガミ・コレクション〜」など毎年5月に独特の切り口で自転車に関連したとアート展示を無料開催、東京の文化水準の高さを象徴していました。

このような文化も建て替えで断絶してしまわないか大いに懸念されます。

 


建築家 隈研吾氏デザインの新国立競技場

 

開発業者は2036年完成で「世界に誇れるスポーツ拠点の形成」を標榜していますが、自転車競技施設の計画が示されておらず、全く議論されないまま開発が進み、せっかく培ってきた自転車文化が縮小してしまうのではないかと心配をしています

ワースト1、止まぬ大阪市の「銀輪公害」の闇

大阪市ではこれまで御堂筋などで試験的に路上駐輪された自転車を間髪入れず撤去する「リアルタイム撤去」や同じ場所を繰り返し撤去する「集中撤去」を実施してきました。これに加えて4月からは万博を控え、放置車両の夜間撤去も実施されています。道路交通法では路肩に自転車を駐輪することは違法ではありませんが、大阪市は1988年に「自転車等の駐車の適正化に関する条例」を独自で制定、放置禁止区域の駐輪を管理してきました。

 

<放置自転車数 ワースト> (2021年)
①東京23区 7238台
②名古屋市 5718台
大阪市  2552台
④札幌市  1575台
⑤横浜市  1471台

 

 

放置禁止区内の自転車撤去数は年間で20万台、日本全国の撤去数64万台のおよそ3分の1が大阪市ということとなります。大阪府は1世帯あたりの自転車保有率は全国で第1位、主に通勤や通学に利用され、庶民の足となっています。それゆえ放置自転車数が全国でワースト3位、撤去数がある程度多くなるのは仕方ないことかもしれませんが、わずか全国民の2%ほどの大阪市民が総数の3分の1を占める常軌を逸した異常な状況です。

 

 

<1世帯あたりの自転車保有台数> (2021年)
大阪府 1.356台
② 高知県 1.293台
③ 埼玉県 1.274台
④ 滋賀県 1.196台
⑤ 富山県 1.180台

 

大阪市の中心部では自転車が有効に利用され、交通分担率は全国の政令市のなかで最も高い25%と海外の自転車都市を標榜する自治体と比べても高くなっています。市内は地下鉄網や公共交通機関が充実、街路も自動車が走りやすいように整備されロードプライシングのような交通制限もない競合状態で市民は多様な移動選択肢の中からわざわざ自転車を選好している現状があります。

 

<自転車都市の交通分担率>
・大阪市 25%
・ローマ 20%

・東京 13%
・ベルリン 13%
・パリ 11%
・深セン  11%
・マニラ  3%
・NY 2%
・ロンドン  2%

 

放置自転車の増加は1970年代終期から社会問題化、新聞・マスコミは「銀輪公害」と称し、道路や駅周辺の現状を取材、自転車社会のありようを問いかけました。政府はスーパーマーケットやデパートに置き場設置を定め、自治体および利用者に長期間放置された自転車の撤去努力を求めた「自転車駐輪場整備法案」を提出、1980年に通称「自転車法」が成立しました。そして、各自治体は法令に従い、鉄道事業者と共に駐輪場の設置を進めました。

 


▲1980年代に広がった「銀輪公害」 読売新聞 1982年1月29日朝刊

 

大阪市同様に自転車分担率が高く、長年放置自転車問題に苦しんでいた京都市は2万台あった放置自転車が昨年は統計上「ゼロ」に。撤去ありきの対策ではなく、計画的な自転車政策の専門部署を設け、生活の質を高める安心安全の自転車共生都市の実現のため、適切な駐輪ニーズや利用ルールを推進、厳しい財政下で実績をだしています。一方、大阪は京都のような部署はなく、市民に自転車の利用を控えるように呼びかけ、責任を利用者に転嫁してます。放置自転車の問題は文字通り公による害、銀輪公害であり政策責任者のイシューなのです。

大阪市が積極的に撤去を本格的に始めたの今から15年程前にさかのぼり累計撤去台数は287万台以上、大阪市の人口が280万人なので、全市民が1回は自転車を撤去されている計算となります。ルールを守らない馬鹿者が放置しているのではなく、善良な一般市民が日常生活を行えないほどの駐輪環境なのです。京都は大学の街で優秀な人間が住み、大阪市の中心部には国立大学や総合大学が1校もなく頭が良くない人が多住している、というのは多少はあるかもしれませんが、それにしても大阪には300万の馬鹿者がいて、京都はゼロというのはおかしな話です。問題の本質は自転車法を曲解した適正化条例に基づく広域な駐輪禁止区域制定による過剰撤去なのです。

 

 

 

では、なぜ大阪市は他の自治体のように駐輪場を適正化しないのでしょうか。大阪市は公営競技の廃止により財政が赤貧化してきた経緯はあり、長らく設置コストを賄えず表層的な対策に甘んじていました。しかしながら、ここ数年はインバウンドや万博の影響で財政が健全化しています。それでもなお自転車政策を推し進めないのは、撤去自転車を外国人企業に売却し大きな財源を得ているからです。

 

 


半島へ北送される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

大阪市には戦後から連綿と在日アパッチ族を源流にする朝鮮人による中古自転車ビジネスが産業化しており、本ブログでもこれまで批判的な立場で調査・考察してきました。在日アパッチ族というのは1957年に成立した大阪府金属屑営業条例成立後に組織化された在日朝鮮人窃盗団で、主に大阪城周辺の軍事施設跡の古鉄を盗み転売稼業を営んでいた犯罪グループです。

在日朝鮮人による中古自転車ビジネスは閉鎖的で、古書店のブックオフが講談社や集英社など出版業界と接点がないのと同様に、シマノやジャイアント、ブリヂストンサイクルなどの自転車産業と関連がなく、自転車協会や自転車産業振興会も実態を把握していません。大阪市はこれら在日ビジネスは自転車盗など犯罪の温床となっていました。

 


大阪市による組織ぐるみの自転車の不正撤去の釈明会見 朝日新聞2024年5月9日

 

このような静脈産業はあまり注目を集めることはありませんが2017年発行のフリーペーパー季刊紙「CYCLE」(33,34号)では引き取られなかった自転車のその後を追跡取材しています。大阪市の自転車の返却率は54%、売却台数は年間6万台以上で他の自治体と比べ桁外れに多く、年間3億円の利益を出し、収益確保のため撤去車の売却ありきの規制が進められています。基本的に他の自治体は自転車を鉄スクラップとするのに対し、外国人企業に払い下げるため、大阪市では不正撤去など様々な問題が発生しています。

 

「市民の財産権を侵害した事実を受け止め大阪市としては二度と起こらないようマニュアルの大幅な見直しを進めています」

 

大阪市は防犯登録を剥がすなど14年間で4万台の不正撤去があり2千円の賠償を行う方針を示していますが、2千円では自転車の賠償どころか、徴収した保管料(3500円)の返金にもなっていません。4万台という数は287万台という撤去総数からみれば、少ないように感じますが、他の自治体の数年分の撤去台数に相当する大変な数です。そもそも、287万台もどうやって再調査したのか、この伏魔殿には第三者によるさらなる調査が必要です。

 

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■撤去自転車の処分台数

大阪市 6万1590台
神戸市 8799台
横浜市 5665台
さいたま市 3261台
広島市  1294台
浜松市 1195台
(国土交通省 交通安全対策室資料 2020年)

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夜間撤去は万博が終了するまで毎晩実施されるようですが、このような沙汰は類をみません。ピークには7000台あるというミナミのあふれた路上車両に見合った駐輪ニーズを満たすには、前時代的な後手策を改め、将来を見据えた持続可能な自転車政策が必要なのではないでしょうか。

なぜスーパーマーケットで自転車が売れるのか

私が自転車店を始めた20年前、自転車の平均価格は1万500円、局所的には末端価格4000円台で販売され非常に低廉化していました。自転車店も廃業する店が多く、スポーツ自転車店など市内では数えるほどしかありませんでした。物件を借りる時も、自転車店というと難色を示され、なかなか賃貸契約を結べませんでした。

 

「これからはITの時代だから自転車なんて売れないよ」

 

1980年代には3万7000軒以上あった自転車小売店の数も減少の一途をたどり、従事者も3分の1となり、もはや斜陽産業とされていました。しかしながら予想に反し、自転車専門店は2007年を境に反転し2018年の販売動向調査では52%が専門店で自転車を購入、意外なことにインターネット通販は10%程度と伸び悩みました。ただ、およそ3割がホームセンター・ショッピングセンターで自転車を購入しているというのも無視できない事実です。

 

 

自転車の購入は、ホームセンター15% 、スーパーマーケット等14%とインターネット通販を上回っています。片手間で販売されている自転車が、専門店の脅威となっている現状は業界としても目を覆いたくなる事実で、対策を検証する必要があります。

 

「ダイエーの自転車販売に関するの調査・研究は、本学ではこれまでおこなわれておりません」

 

小売りの歴史資料を調査するため神戸市西区の流通科学大学内にある「ダイエー資料館」に行ってきました。ダイエーは昭和期に流通革命の旗手とされた大企業で、資料館には黎明期からの写真や文献が所蔵され、興亡史の裏側を探ることができます。創業者の中内功は2005年に亡くなり、ダイエーは現在イオングループの一ブランドとして存続しています。

 

 

本ブログでは以前にダイエー創業の千林商店街を紹介しましたが、戦火の爪痕が残る1957年から低価格・セルフサービスのチェーンストア形態を確立、ダイエーはわずか5年で100億円企業へと成長しました。

躍進を支えたのは「ペガサスクラブ」という研究団体を主催する渥美俊一という人物で、徹底した米国型経営理論でイトーヨーカ堂や岡田屋(現・イオン)といった個人商店を大企業へと導きました。渥美は東京大学在籍時代にナベツネこと渡邉恒雄が率いる共産主義細胞「東大新人会」に所属、メンバーの藤田田(日本マクドナルド・トイザらス)・堤清二(西武百・無印良品)・高丘季昭(西友・ファミリーマート)と共に共産主義に疑問を持ち、現在の米国追随型の流通業の礎を築きました。

 

■ペガサスクラブ発足時の参加企業 (1960年)

<企業名> 所在 業種 参加者名
・ダイエー 千林商店街 ドラッグストア 中内功
・セルフハトヤ (後のマイカル) 千林商店街 下着 西端行雄
・赤のれん (後のマイカル) 天神橋筋商店街 衣料 岡本常男
・イズミヤ 西成 花園 衣料 和田満治
・イトーヨーカ堂 (現セブン&アイ) 東京 洋品店 伊藤雅俊
・岡田屋 (現 イオン) 四日市 呉服 岡田卓也
・コマストアー (現 西友) 東京 生鮮 田中敬一郎

他6社の小売企業で、合計13小売業業者が参加

 

 

中内は渥美のクラブの中でも傑出した存在で、73年には三越を抜き国内の小売業首位となり、薬局や食品スーパーだけでなくコンビニ「ローソン」やプロ野球「ダイエーホークス」など多角化の戦略を実施、帝国を築きました。

現在、スーパーマーケットやホームセンターに自転車売り場があることは見慣れた光景となっていますが、自転車の販売には修理や組み立てなど専門技能が必要で始期にはラインナップされておらず、販売がいつ頃から始まったのか明確な記録が残っていません。そこで私は膨大に残された新店の売り場の記録写真を古いものから順番に閲覧、チラシと照らし合わせながら自転車コーナーがないか調べました。

 

 

古いチラシを見ていると現在よりおもちゃや育児用品など子供向けの商材が多きことに時代背景を感じます。ダイエーでは1964年11月に三輪車がチラシに登場、66年3月には「お子様用の乗り物」が掲載されています。60年代は競合店のやニチイ(後のマイカル)や長崎屋(ドン・キホーテ)でも、同様に子供用のみで大人用自転車のチラシ掲載は確認できません。

1970年代になると西友や阪急百貨店などで徐々に大人用の自転車の広告がみられ、ジュニアスポーツ車やママチャリの始祖となるミニサイクルなどが商材となっていったようです。ママチャリも育児用品と考えられなくないので、ベビーブームといった時代に沿った商品提案といえます。

話はそれますが、サイクルベースあさひも創業時は都島区のおもちゃ屋で千林商店街のダイエーを参考に業務を自転車の量販店に転換したといいます。社名の「あさひ」も千林商店街のある大阪市旭区の「あさひ」に由来し、社長の下田進は存命中には中内へ敬意を表していました。

 

 

ダイエーの広告を年代を追って見ていくと1980年代に入ると自転車の広告が急増していることが分かります。子供車だけでなく自転車専門店に引けを取らない品揃えで、販売や修理だけでなく、サイクリストを招いてサイン会やパネル展示イベントなどの催事を積極的に開催したりしています。この頃には自転車の専門スタッフを社内で育成できる体制が整っていたのではないかと推測できます。

一体、どういう切っ掛けがあったのでしょうか。

 

 

社内報「ダイエー白書」には、1979年9月に神戸市三宮の繁華街に「スポーツワールド33」というスポーツ用品専門大型店のレポートが掲載されています。地上7階地下1階、ファッションビル風の開放的な店内にはテニス・ゴルフ・スキー・アウトドア・ダイビング・オートバイ用品まであり、ズラリと並んだ商品に全フロア回るのに三時間かかり、神戸の高級で知的で新しい流行と情報の施設と紹介しています。元阪神タイガースの選手やコンピュータを用いた会員制高級ボディビルジムなどこれまでのダイエーとは違ったアンノン族をターゲットした新業態のようです。

 

「よくこれだけ集めはったものやなぁ」

 

白書では自転車コーナーについては全く言及されていませんでしたが、資料館の書棚の奥に「スポーツワールド33 ①」「スポーツワールド33 ②」という背表紙のファイルが残され、めくっていくと開店時に撮影された貴重な写真があり、自転車売り場のものも10枚ほどみつかりました。写真にはスタイリッシュなロードバイクやBMXのディスプレイとギア板やステムなど熟練の自転車整備士でなければ扱えないマニアックな部品が壁一面に見事に陳列され、これまでのダイエーとの違いがはっきりと分かります。

 

 

 

神戸はダイエーの牙城で、ファッションビル「OPA」や会員制ストア「KOU’S」、新神戸オリエンタルホテルといった新業態をバブル経済の波に乗り積極的に展開しました。低価格戦略で競合店を駆逐し、独壇場となった地区を高付加価値化する経営戦略は、クラブメンバーの藤田田の著書に準え「ユダヤの商法」とされ、神戸はまさに帝国の象徴となりました。

現在でも「スポーツワールド33」があったビルは三宮本通の入り口にあり、クラブ加盟のニトリ・ダイソー・サイゼリヤといった遺志を継ぐ企業がテナントとして入居しています。

 

 

現在統計上、自転車専門店で自転車を購入する割合が多くなっていますが、その大半はダイエーの手法を模したチェーン店で、私の店のような零細店を選ぶ消費者はたった全体の1割程です。ペガサスクラブは巨大小売業のカルテルではなく、もともと小さな個人店が試行錯誤するグループでした。個人店は自転車に関する知識や技能を高めることだけでなく、こうした手法を謙虚に学び多面的に取り組まなければ生き残れない時代となっているのかもしれません。

自転車文化センター「競輪・ケイリン・KEIRIN」展

東京・目黒の自転車文化センターの特別展「競輪・ケイリン・KEIRIN」を見てきました。

 

 

自転車文化センターは、財団法人日本自転車普及協会が運営する総合施設で、希少な自転車や関連文献の管理や研究をおこなっています。定期的にテーマ展示をおこなっていて、一般の方も無料で自由に内覧できる施設となっています。

2月16日まで「競輪・ケイリン・KEIRIN」と題して、テーマに沿った歴史的な競技車両の展示をしていましたので、その様子の一部を撮影してきました。

なお、この展示会は終了しています。

 

 

競輪は戦後間もない1948(昭和23)年に北九州「小倉競輪場」と大阪府「住之江競輪場」で始まりました。当初は競輪と書いて「きょうりん」と読んでいましたが、格闘技や職業野球を凌ぐ熱狂的なブームが巻き起こり「狂輪(きょうりん)」と揶揄されたことから「ケイリン」と呼称があらためられました。2000年シドニー五輪からは日本発祥の世界スポーツとして「KEIRIN」が正式種目となりました。特別展が漢字・カタカナ・ローマ字表記となっているのはこのような歴史的な流れを意味しているものだと思われます。

 

 

自転車には説明パネルが添えられ、競輪や自転車に関心のない方でも分かるようになっています。現在、競輪場は全国に43施設あり、競技スポーツとして楽しむだけでなく公営競技として主催都市の財政を潤しています。競輪場の新設は1953年から70年以上なく、入場料も基本的には無料か開場当時の物価水準(50円ないし100円)とインフレの影響を全く受けない良心的な公共空間となっています。

使用する自転車も厳格な競技規則があり公正公平、選手にも八百長行為や違反薬物使用には大変なペナルティがありほとんどみられない世界でも最もクリーンなスポーツです。年間シリーズは経済規模としても仏ツールドフランスを凌ぐ巨大な規模で、登録選手は2300人と国内プロスポーツで最多で男女全選手が専業で充分生活ができる唯一の職業スポーツとなっています。

 

 

センターでは年間4回ほど企画展を開催していますが、競輪をテーマにした企画は人気でほぼ毎年開催されています。展示規模は大きなものではありませんが、私が来場した際は若い女性が関連書籍をめくり、調べものをしていました。

大阪はかつて、全国最多のバンクを有していましたが共産主義をこじらせ公営競技場を目の敵とし次々と廃止、大阪市営・府営の施設がひとつもありません。結果としてみるみると財政が赤貧化しました。ちなみに、このような歴史的経緯から住之江のボートレース場は所在しているだけで収益は大阪府市には入らず、箕面市の歳入となり潤沢な資金から鉄道を自費敷設、大阪大学の誘致に成功しています。

 

 

ボートレース場は設置に関して水辺という条件が必須となりますが競輪場は低コストで建設できるため、なぜ各自治体が設置しないのか分かりません。私の知る限り、競輪に対して積極的な首長は千葉市の熊谷俊人市長(現・千葉県知事)と石原慎太郎都知事くらいで、ほとんど議題に上がりません。

2016年に成立した自転車活用推進法では「自転車競技のための施設の整備」(第八条の四)が明記され、推進法に基づいた策定された第二次自転車活用推進計画では具体的に地方公共団体に国際規格に合致した自転車競技施設の整備促進を提起しています。競輪場は図書館や学校などと同様に社会的共通資本であり、設置計画を検討しないという自治体は違法なのです。

私は今春開催される関西万博の跡地に設置されるカジノ施設に競輪場を併設するべきと考えています。

 

 

ギャンブルは依存性があるからこそ公営でなくてはなりません。競輪はギャンブル依存症対策を長きに渡って真剣に取り組み、競輪場依存者をなくすことにほぼ成功しています。カジノは競輪を規範とし、住之江のボートレース場と共栄すべきなのです。

1970年大阪万博でも巨額の競輪マネーが使用され、資金により「動く歩道」(エレベーター)などが提供されました。ご存じの通り「動く歩道」は国内だけでなく世界に普及し日本の輸出品となりました。70年の大阪万博跡地は公園となり商業施設や博物館・水族館、そして関西サイクルスポーツセンター(万博事業所)となっています。夢洲も70年同様に関西サイクルスポーツセンターの事業所を誘致し、その中に国際規格に合致した自転車競技施設をつくれば、アンチの方にも合意が取れるのではないでしょうか。

「輪泊」という新しい価値を創造する星野リゾート「BEB5土浦」

(前回のつづき)
JR土浦駅の駅ビル「PLAYatré TSUCHIURA」の3~5階部分には星野リゾートが運営する輪泊施設「BEB5土浦」が入居しています。

 

 

2020年に完成したBEB5は土浦駅改札の目の前の徒歩数秒、出口やトイレよりも見つけやすいホント真ん前で自転車ごとチャックインができるアトレの中核施設となっています。ホテルは自転車観光のイメージを押し付けていますが、普通にビジネスホテルとして間違いなく土浦イチ便利な立地です。

館内はできたばかりなのでさすがにキレいで、ところどころに自転車ユーザーに利用しやすいような工夫がなされています。

 

 

高級旅館のイメージが強い星野リゾートですが「BEB」は「居酒屋以上、旅未満」をコンセプトとした気軽に過ごす施設で沖縄と軽井沢にも同様の施設があるようです。食事は持ち込み推奨で24時間営業のカフェがあり、自由な空間が満喫できるようになっています。

私が宿泊した日はオフシーズンということもあり朝食付きで8000円ほど、2人で宿泊すると1人6000円ほどで宿泊できます。

 

 

空気入れや工具のある専用スペースや洗濯乾燥機の共用スペースあり、壁のスクリーンには自転車レースが上映されていました。カードゲームやボードゲームも自由に使え、大人数で来るとより楽しめそうです。専用の裏通路でコンビニや薬局に雨にぬれずスグに買い出しに行けますし、便利で快適です。

 

 

これまで本ブログでは、尾道市「Onomichi U2」や玉野競輪場「HOTEL10」を紹介してきましたが、自転車ホテルは進化しているように感じます。BEB5土浦は値段の割に部屋が広く、私1人で宿泊した部屋「ヤグラルーム」はゆうに3人は寝れそうな感じでした。あえて言うなら、部屋に飲料水とパジャマがなく別料金なのと、風呂に鏡がないのが難点でした。

 

 

24時間使える「TAMARIBA」では自分でペダルを漕いでスムージーを作って飲むバイクがあり、楽しみながら自由にくつろぐことができるようになっています。レンタル自転車も3車種あり、チェックイン前でも自転車を借りてサイクリングを楽しむことができます。

 

 

 

大阪にはまだ自転車をコンセプトとしたホテルはありませんが万博を控えてインバウンド需要が高まる今後はこのようなアクティビティと融合した施設は人気が高まるのではないでしょうか。「BEB5」が大阪にもできればいいのになあ。

土浦のサイクリング拠点「PLAYatré TSUCHIURA」

(前回のつづき)

東京よりJRで50分、土浦駅に直結する商業施設「PLAYatré TSUCHIURA」(プレイアトレ土浦)に行ってきました。

 

アトレというのはJR東日本が運営する商業施設で、東京圏を中心に20施設以上駅ビルの開発を行っています。プレイアトレ土浦は2018年開業で、サイクリングをイメージした5階建て駅ビルで霞ヶ浦などサイクリングの拠点となっています。

土浦駅の改札から「ようこそ土浦へ」と書かれた青い線が施設内に伸び、自転車をそのまま館内に持ち込むことができる画期的な施設です。

 

 

テナントはカフェやラーメンなどの飲食店、コンビニや薬局・土産物屋、そして自転車店が入居していて賑わっています。店内はおしゃれで、観光客だけでなく親子連れや地元の人がのんびりとできる空間づくりがされていて、高校生が勉強をしたりしています。

 

 

地下には約200台の駐輪スペースがあり、レンタル自転車もあります。コインロッカーやシャワー、無料の更衣室など他の商業施設にはみられないフロアとなっています。無機質な内装にグリーンがレイアウトされ、今まで見てきたなかでも最もおしゃれな駐輪場でした。

 

 

少し茨城県をみくびっていましたが施設は感心するくらいサイクリングに特化していて、よく住民がこのような施設を受け入れたなと感心しました。大阪にもいくつか廃墟モールがありますが、同じような取り組みをしても良いのではないでしょうか。

 

 

この施設の極めつけは、駅の改札前に星野リゾートが運営する輪泊施設「BEB5土浦」があるというというところです。(つづく)

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