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国内最大級、ビンテージ自転車の蚤の市「シクロジャンブル」2025春

服部緑地公園で開催のシクロジャンブルに行ってきました。シクロジャンブルは西日本最大の自転車のスワップミートで1999年から毎年、春と秋の2回開催されています。2025年春は5月31日、北大阪急行「緑地公園駅」に近い「東中央広場」で開催されました。

 

 

朝9時スタートとなっていますが、8時にはすでに約40ブース出店され盛り上がっていました。出店は協力金1000円を払えば誰でも可能でコレクターから業者など様々な品々が交換取引されています。車体の出品は盗品売買の怖れから制約があるため出品は少なくパーツ中心で不用品から博物館級の年代物まであり、関西だけでなく中部や関東地方からも日帰り遠征に来ている方も結構います。

このイベントは毎回日曜日に開催されていましたが、今回は会場の都合により土曜日となり、曇天だったためか、前回よりやや人は少なめでした。

 

 

出品側はプロという訳ではないので、手さげ袋・小銭・メジャー・ノギスなど工具は持参した方がいいかもしれません。会場は趣味人の集まりで牧歌的な雰囲気なのですが、最近になって本ブログのような輩がイベントを拡散するため、悲しいことに盗難等のトラブルが発生しているようです。

イベントは20年以上続いていますが公園管理者が代わり基本的に園内での商行為を制限しているため、いちびった行為やマナー違反は管理者から指摘を受け、イベント開催が難しくなる事態となる可能性もありますので慎むようにお願いいたします。

 

 

また、実行委員会では2025年7月8日に豊中市立文化芸術センター小ホール(18:30開場 20:45終了予定)にて、ポルトガル映画「サイクリストの魂~ゆっくり走る人々」を上映するようなので、興味ある方はサイクルショップ203までお問い合わせください。映画は予約制で代金は1000円、自転車切り絵作家の白井嗣章さんと季刊紙「cycle」編集長の杉谷紗香さんのミニ講演付きのようです。

 

 

 

衰退する市街地の象徴「和歌山競輪場」をどうすべきか

これまで、本ブログでは関西を中心にいくつか競輪場の現状について投稿してきました。競輪は日本発祥の世界スポーツで1948年に北九州「小倉競輪場」と大阪府「住之江競輪場」で始まりました。和歌山競輪は1949年12月に始まり、主催は県、競輪場も県営施設となっています。88年に大阪の春木競馬場の廃止の影響で競走馬不足なり紀三井寺競馬場が閉鎖となって以降は、県下唯一の公営競技施設となっています。

 


▲和歌山市中心部から徒歩8分、県営「和歌山競輪場」

 

施設は和歌山市の中心市街地から近く「和歌山市駅」の北東側徒歩8分の紀ノ川沿いという好立地となっています。バンクは400mの屋外型で、600台の無料駐車場が完備されています。少し昭和な感じはしますが、施設は管理されていて、訪問時もバンクの改修作業が行われていました。

京都や奈良の県営競輪場が些末に扱われている現状を考慮すると、人口が下回る和歌山県がそれなりに維持管理されていることは評価できます。1960年代競輪場は迷惑施設として忌避され、ピーク時で60以上あった施設が43施設まで減少、特に関西では共産系首長が次々に廃止、滋賀と兵庫県内は空白地帯となり、大阪市営および府営施設もすべて解体されました。

 

 

競輪はギャンブル依存対策として休催日が多く、和歌山も月間3日ほどしか開催していません。ターミナル駅から視認できるほどの好立地に所在しているにも関わらず、月に25日以上競走がなく、公益に資さない状態です。

 

<本ブログで紹介した競輪場の評価>
S
  なし

玉野
B  岸和田・小松島・和歌山 ココ
C  奈良・京都向日町(改修中)
D  明石・住之江・甲子園・大阪中央・鳴尾

(S-国際基準を満たす  A-良い  B-良くない  C-デンジャラス  D-廃止)

 

私が和歌山県に具体的に提起したいのが、この競輪場を自転車観光の拠点としてリニューアルし、スポーツや環境都市といった県のイメージに沿った新しい価値を持った公共空間に転換、市街地再生のシンボルとすると案です。

 

 

和歌山市駅と競輪場の間には数十件のバラック小屋があり廃屋化しています。和歌山に入り、車窓からまず見える光景がこれでは、衰退イメージから脱却できません。これらはどっちみち南海トラフ地震の津波で流される運命の木造家屋なので、競輪の収益で一帯を再整備し強靭化すれば減災にもつながります。

経済学者の宇沢弘文(1928-2014年)は「自然環境・社会的インフラストラクチャー・制度資本」の3点をゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にする「社会的共通資本」として目指す社会像としています。競輪場はまさしくこの「社会的共通資本」であり、地域と共進化する公共空間です。

 


鉄道の車窓からも目立ち、「顔」となる和歌山競輪場

 

和歌山市駅の駅ビルには市立図書館があり、スターバックスが併設されサードプレイスとなっています。エキナカはおしゃれなのですが、一歩外に出ると廃屋群となるとおしゃれなのは和歌山ではなくスタバだとなります。

天王寺「てんしば」やうめきた公園のように駅前を再整備、連動性を持たせ、競輪場もカフェや飲食店など商業施設を誘致、文化やスポーツ観光施設を設置すれば賑わいを取り戻し、都市型の競輪という新たな魅力も国内外にアピールできます。城址や砂浜はだいたいどこでもありますが、競輪場は母国日本といえども43か所しか現存せず、好立地の和歌山競輪場は大きな観光資源となりえます。しかも、税金やテナント料ではなく、競輪事業それ自体が収益を生んでいるため、大失敗がない確実な再開発なのです。

 


カフェが併設された「和歌市立図書館」

 

前回の投稿で成功の一例としてあげた玉野競輪場は岡山駅からローカル線を乗り継いだ終着駅からまだバスに乗り、競輪場以外なにもないような海辺の僻地に所在しています。人口5万人ほどの自治体ですが、収益を活用した施策が話題を集め、2022年にはモンストで知られるIT大手MIXIが地域振興や防災拠点として、子会社のホテルを建設、世界中から観光客が訪れるまちとなっています。

また、京都府の向日町競輪場も敷事地内に1万人収容の大型アリーナを併設する計画を発表、全国一ボロいとされていたバンクを改修しバスケットボール・バレーボールやK-POPライブなどコンサートも楽しめる複合運動施設に作事する予定で、地域住民からは来街者が集まりすぎて困るのではないかといった懸念が上がっているそうです。

 

 


▲人気観光地の香川県直島の対岸にある岡山県玉野市「玉野競輪場」

 

和歌山市は千葉県銚子市から1500km続くナショナルサイクリングルート「太平洋岸自転車道」の終点となっています。千葉から長距離ライドのサイクリストの目標地点としてエイドステーションや風光明媚な紀ノ川沿いを観光できるレンタルサイクルなどを競輪場に設置すると、なお地域が活性化するのではないでしょうか。

小津安二郎や北野武の映画にも描かれる日本の競輪、五輪の正式種目で世界スポーツ「KEIRIN」は外国人観光客にも受け入れられるはずです。そのためにも、国際基準に合致した施設の整備をまちを上げて取り組んではどうでしょうか。

和歌山は本当に「サイクリング王国」なのか

2017年に自転車活用推進法が施行され、各地で自転車を活用した観光「サイクルツーリズム」が盛り上がっています。和歌山県は「サイクリング王国わかやま」を自称し、県内を自転車で一周する「WAKAYAMA800」を企画、自転車走行レーンの整備やガイドマップの作製など精力的に取り組んでいます。今回はそんな和歌山の実状を調査するため、県民の4割が居住する県庁所在地の和歌山市に行ってきました。

 

 

和歌山県には高野山や白浜など誰しもが知る有名な観光地はありますが、意外と関西人でも和歌山市内にはなかなか行かないものです。大阪市内から電車で1時間、本ブログでも和歌山については初投稿となります。和歌山市には中心駅が「和歌山駅」と「和歌山市駅」の2駅あり、両駅はおよそ2キロほど離れ、駅間に商店街や歓楽街があり、和歌山城のある官庁街はさらに駅から離れた位置に所在しています。1971年までは路面電車が運行されていましたがモータリゼーションの影響で廃止され、中心街の元気がなくなってきているようです。

 

 

和歌山城は紀州徳川家の居城で、明治時代までは和歌山市は神戸市を上回る人口で商店街「ぶらくり丁」は心斎橋商店街に匹敵する賑わいがあったといいます。しかしながら人口流出が止まらず、立花通り商店街(オレンジストリート)や同じ人口規模の高槻市あたりと比較しても明らかに寂しい感じが漂い、シャッターを下ろした店舗や老朽家屋が目立ちます。かつての栄華の名残できれいに整備された通りや広がるアーケードの影響で、なおさら閑散とした雰囲気を感じ、インターネット上では衰退地方都市の象徴のように「激廃れ!」「激寂れ!」などと紹介され、訪問時にも老舗風のブラウス店が閉店セールを実施していました。

 

 

特に和歌山港に近い和歌山市側は瀬戸大橋ができるまでは賑わっていて、この四半世紀で一気にしゃがみ込み、対策が望まれています。大阪にもシャッター商店街はない訳でではありませんが意外と元気で、むしろバブル期に開発されたショッピングセンターが廃墟モールになっているケースの方が深刻です。和歌山市は大阪府に近い市の北側の郊外に巨大ショッピングモールや和歌山大学があり、旧市街地はそちらに客を奪われ百貨店やテナントが撤退、ゴーストタウン化が進行しています。

 

 

県下では、すさみ町「RIDE ON SUSAMI」やみなべ町「紀中サイクルフェスタHUB24」などイベントを実施、自転車レースも開催され官民連携のサイクルステーションも増え、2021年には「太平洋岸自転車道」が国土交通省「ナショナルサイクイングルート」に指定されました。

和歌山市でも自転車フォトコンテストやスタンプラリーが毎年企画され、このような一体となった地道な取り組みから市街地の賑わいが少しづつ戻ってきてるようです。市内の平坦な地形はまさに自転車移動に打ってつけで、商店街との相性も良く、さすがサイクリング王国を名乗るだけあり、環境循環型の理想的なコンパクトシティが形成されつつあります。

 

 

駐輪場を見てもクロスバイクなどスポーツ自転車の利用率が目に見えて高く、役所の部署も観光課ではなくスポーツ振興課が担っているようです。しかしながら、自転車道や自転車走行レーンといったハード面の整備が追い付いておらず、期待をして訪れたサイクリストは少々拍子抜けするのではないでしょうか。土浦市大津市などはこれみよがしに自転車のまちをアピールしていますが、和歌山市はブラりと訪れた人には自転車に力を入れているとは分からず、せっかくの取り組みがもったいなく、課題のように思います。

 

 

例えば広島県尾道市「Onomichi U2」は公営倉庫をリノベーション、官民一体となった施策が結実し多くのサイクリストを集め、地域の観光産業を支えています。また、岡山県玉野市でも市営「玉野競輪場」の収益を生かした芸術祭やホテル運営といった取り組みがなされています。このふたつの自治体は四国への架橋をきっかけに一時衰退したという和歌山市との共通点があります。和歌山はこの2つの自治体を参考にハード面の充実をするとオレゴン州ポートランドのような環境先進都市としてふたたび注目を集めるようになるのではないでしょうか。

次回は和歌山競輪場の現状を踏まえ、市のサイクルツーリズムについて私なりに論考したいと思います。

大正期最大の細民窟「新川スラム」の福音

幕末、ペリーが来航すると江戸幕府は交易のため、箱館・横浜・長崎・神戸・川口などを開市、外国人の居留を認めました。神戸では生田川を東側に付替えて外国人居留区を造成、欧米の牛肉食文化に合わせて新生田川下流には屠殺場や食肉処理施設が造られました。

現在、神戸牛や乳製品は兵庫県の特産品ですが、肉食文化のない日本ではかつてはこのような職は敬遠され、新生田川東岸の葺合地区は死線で生きる貧困者の行き着く先となっていました。大正期になると地区は売春婦やスジ者などを抱え込み、東洋一の貧民窟「新川スラム」が形成されました。

 

 

戦間期、新川スラムは国内で屈指の人口密度で、衛生状態や住環境が悪化しました。戦争が終わる度、貧してゆくこの地区の治安改善のため、心血を注いだのがキリスト教社会活動家の賀川豊彦です。

 

...ランプに火をつけて南京虫を取ると、毎晩四十匹五十匹と取るのであった。<中略> 戸の上に寝たが、南京虫はまた戸についてしまった。机の上に寝た。また机についている。それで彼は発狂するほど…
(賀川豊彦「死線を越えて」より)

 

賀川はスラムの環境改善のために教会や診療所・学校を設置、社会活動家として地区の救貧活動を続け、女性初の国会議員山口シヅエにも大きな影響を与えました。自伝的小説「死線を越えて」はベストセラーとなり、ノーベル文学賞候補にもなった後世に功績を残す偉人です。

 

 

現在、新生田川東岸の国道2号線沿いには賀川を追頌する施設「賀川記念館」があり、足跡をたどることができます。賀川の努力の賜物で周辺はかつて貧民窟だったことが全く分からないほど浄化され、記念館には教会や病院が入居しています。私はかつて兵庫県民で一時期は対岸の二宮に住んでいましたが、同地区にこのような歴史があったことは全く知りませんでした。

 

「アア、これだ。貧民が立ち上がれないのは!貧民は貧乏だから貧民なるというよりか、孤独だから貧民になるのだ」「赤ん坊は牛乳がなければ死んでしまう。組合で牛乳をやらなくては」

 

教会や診療所により新川地区の環境は改善に向かいましたが、皮肉なことに平和になると軍事関連の仕事が減少、職のない青年が賀川を頼りに集まり、地区の人口は一気に10倍になりました。そこで賀川は対策のため組合を結成し、牛乳配達を事業化しました。事業は試行錯誤で当初はハーレーダビッドソンで配達していましたが、地区にダンロップの工場に従事していた青年がいて、1934年からは自転車による配達が実施されました。

 

 

日英同盟が締結されるとイギリスとの交易が盛んになり、神戸を中心に貿易を営んでいたグリア商会は1909年に日本ダンロップを創設、新川地区の東側にあるダ社敷地内に英コベントリー「プリミア自転車」の工場を設け、それぞれタイヤと自転車の生産を開始しました。

この工場ではフレーム・タイヤだけでなくハンドル・リム・スポーク・チェーン・ギアクランク・フリー体・ペダル・ハブ・ブレーキなど金属部品全般を一貫生産、大阪の大問屋の丸石商会が販売元となっていました。

 

 

 

戦前、大阪では自社工場を持たない大問屋が主柱となり大小のメーカーを支配、なかでも丸石商会は最大規模の自転車問屋で自己資本の蓄積を武器に工業型の東京の宮田や名古屋の岡本を圧倒する地位があり、価格や総量を決定しカルテル的に統制、丸石製品の価格は名古屋の4分の1となり全国に占める割合は80%に達し、兵庫県の自転車の普及のきっかけとなりました。

 

 

賀川の事業の取り扱い品目は米・醤油・砂糖といった主食品から木炭・足袋・ワイシャツ・作業服など日用品に拡大、配給活動だけでなく、スーパーマーケットなどセルフ販売方式の店舗展開もおこない食肉や酒類などを扱うなど客の要望に応えました。賀川の死後、サービスは兵庫県だけにとどまらず大阪府北部や京都の一部まで展開、バブル期には宝石や貴金属・金の延べ棒を販売し「もうけ主義」と内外から非難されました。

 

「酒を扱うなら、女でも麻薬でもどんどん売り出せばいいじゃないか」

 

90年代には「コープこうべ」と名称を変えコンビニ型店舗も展開、世界最大規模の生活協同組合となり「マンモス生協」と言われ、クリスチャンらしい潔癖な賀川の理念に忠実でないという意見もみられました。

私も兵庫県民だった頃、コープこうべの印象はダイエーと何が違うのか区別がつきませんでした。80年代の年史には競合する近隣スーパーとの差別化の苦悩が残されています。コープこうべでは自動車やトラックを利用し移動店舗や送迎するなど独自の取り組みをしているようですが、基本的には単なるGMS(総合スーパー)と類似形態を執っていて生協運動の意義がなくなってきています。

 

 

 

ここ数年、食品や日用品のサプライにUberEatsの参入があり、徐々に配達エリアを拡大しています。このサービスはシェアリングエコノミー・スマホや位置情報の活用の視点から先駆性が注目されていますが、本当の独自的な革新性は「スポーツ自転車のビジネス活用」ではないでしょうか。

自転車は低コストでエコロジーなツールであり、新川地区の未来を切り開きました。コープこうべも原点に返り、自転車をもっと活用をしてはどうでしょうか。三木市の「コープこうべ協同学苑史料館」には新川で使用された自転車が現在も当時を偲ぶように保存されてるそうです。

文化・スポーツの拠点「明治神宮外苑」再開発問題

東京の中心部・青山一帯に広がる明治神宮外苑、2度のオリンピック会場に使用され都民の憩いの場となっている広大な敷地の再開発をめぐって対立がおきています。

明治神宮は明治天皇を追頌する施設として1920年創建され、鳥居や社殿のある森厳荘重な内苑と外苑に分かれています。外苑は市街地化した北参道を挟んだ内苑の東側に一般からの献金で1926年完成、文化・スポーツ施設があり、緑豊かな空間となっています。献木された10万木の人工林の杜が再開発によって破壊されると、地域住民や活動家、政治家、ミュージシャンや作家が声を上げ、反対運動へと発展しています。

 

 

とりわけ、外苑を象徴する青山口から真っすぐ伸びた四列のイチョウ並木は秋には黄金色に輝き、ひっそりたたずむ聖徳記念絵画館を美しく彩ります。並木は関東大震災後に植樹され、交通量の多い自動車道に並行しアスファルトのプロムナードが敷設されています。計画ではこの並木には手を付けず、オープンスペースを倍増し緑地面積を減らさないとしていますが、充分な説明が届いておらず合意形成ができていません。

私は石原慎太郎都知事の時代に東京に住んでいて、何度か外苑も行ったことがありますが、大阪に移住しこのような報道を受けて久しぶりに苑内を歩いてみました。

 


▲開放され自転車イベントが定期開催された神宮外苑

 

並木のイチョウの幹径は御堂筋なにわ筋のものより太く、樹形が整っています。明治期の建築家 伊東忠太による異彩を放つ外苑の世界観は現代には再現不可能で、安藤忠雄や隈研吾のスタバにするのはもったいないような気がします。ただ、実際に行ってみると、人影はまばらで自動車が抜け道としてただ利用しているような感じで、確かに再開発の必要性も感じます。

伊東は辰野金吾の弟子で、幻獣をモチーフとした阪急梅田の旧コンコースや築地本願寺の設計でも知られています。再開発議論は樹木の伐採に矮小化されていますが、私はむしろ重要なのは明治期から積み重ねてきた文化をどのように破壊せず継承するかに重点を置いた方が良いのではないかと考えています。

 


▲人の姿がまばらな神宮外苑の遊歩道

外苑は戦時中は兵練場となり、1941年3月10日には戦意高揚のための2300人の青年が銃を背負い自転車でのパレード走行「国防自転車行進」が実施され、終戦後の68年からは日曜祭日にサイクリングコースとして開放、自転車文化や交流の拠点となっています。

一日3万台交通量のある外苑をサイクリストに開放というのは前例がなく、警視庁は難色を示しましたが、明治神宮側は双手を挙げて賛成、我が国の自転車道建設の原点となり、ニューヨークのセントラル公園などに広がりました。こうしたことから、谷垣禎一代議士が代表を務めていた「日本サイクリング協会」(JCA)やシマノが運営するコミュニティスペース「OVE南青山」などが中心となり集会や走行会も頻繁に行われていました。

 


▲再開発で取り壊された神宮球場隣の「神宮外苑サイクリングセンター」

 

 

再開発工事以前には、苑内に1.2km周回コース「神宮外苑 サイクリング道路」が敷設され、自転車の試乗会やレンタルサイクル、小中学生を対象にした自転車安全教室など、自転車文化の向上・交通環境の改善を目指したイベントが定期的に開催されていましたが、一般にはほとんど知られていなかったような気がします。

 

「見たこと無いヤツいっぱい並んででるけどオマエら大丈夫か、コケんなよ。分かってるな」
「センセー前出てこい!雑魚ども道開けろ、退けっ!」

 

本年2月に苑内で開催のロードレース大会「第1回東京クリテウム」にて、全日本実業団自転車連盟(JBCF)の安原昌弘理事長のレース前の冗談交じりであいさつが、あらぬ形で「暴言」としてSNSで拡散され炎上、不本意な形で注目を集め、安原氏は理事長を辞任し連盟は謝罪をしました。本件に関しては関係者ではないのでコメントは差し控えますが、普段の自転車イベントや活動も拡散や報道をお願いしたいものです。直近では5月5日に「サイクルドリームフェスタ2025」があるようですので、拡散をお願いします。

 


青山アートスクエア「自転車とモード展〜門外不出の八神商会コレクション〜」(2017年撮影)

 

また再開発では高層ビルが2棟建ち、秩父宮ラグビー場の南側の伊藤忠商事の東京本社ビルも建て替えとなります。本社屋入り口脇には「青山アートスクエア」という小さなギャラリーがあり、2013年から「アレックスモールトン 素晴らしき小径車の世界」「自転車とモード展〜門外不出のヤガミ・コレクション〜」など毎年5月に独特の切り口で自転車に関連したとアート展示を無料開催、東京の文化水準の高さを象徴していました。

このような文化も建て替えで断絶してしまわないか大いに懸念されます。

 


建築家 隈研吾氏デザインの新国立競技場

 

開発業者は2036年完成で「世界に誇れるスポーツ拠点の形成」を標榜していますが、自転車競技施設の計画が示されておらず、全く議論されないまま開発が進み、せっかく培ってきた自転車文化が縮小してしまうのではないかと心配をしています

ワースト1、止まぬ大阪市の「銀輪公害」の闇

大阪市ではこれまで御堂筋などで試験的に路上駐輪された自転車を間髪入れず撤去する「リアルタイム撤去」や同じ場所を繰り返し撤去する「集中撤去」を実施してきました。これに加えて4月からは万博を控え、放置車両の夜間撤去も実施されています。道路交通法では路肩に自転車を駐輪することは違法ではありませんが、大阪市は1988年に「自転車等の駐車の適正化に関する条例」を独自で制定、放置禁止区域の駐輪を管理してきました。

 

<放置自転車数 ワースト> (2021年)
①東京23区 7238台
②名古屋市 5718台
大阪市  2552台
④札幌市  1575台
⑤横浜市  1471台

 

 

放置禁止区内の自転車撤去数は年間で20万台、日本全国の撤去数64万台のおよそ3分の1が大阪市ということとなります。大阪府は1世帯あたりの自転車保有率は全国で第1位、主に通勤や通学に利用され、庶民の足となっています。それゆえ放置自転車数が全国でワースト3位、撤去数がある程度多くなるのは仕方ないことかもしれませんが、わずか全国民の2%ほどの大阪市民が総数の3分の1を占める常軌を逸した異常な状況です。

 

 

<1世帯あたりの自転車保有台数> (2021年)
大阪府 1.356台
② 高知県 1.293台
③ 埼玉県 1.274台
④ 滋賀県 1.196台
⑤ 富山県 1.180台

 

大阪市の中心部では自転車が有効に利用され、交通分担率は全国の政令市のなかで最も高い25%と海外の自転車都市を標榜する自治体と比べても高くなっています。市内は地下鉄網や公共交通機関が充実、街路も自動車が走りやすいように整備されロードプライシングのような交通制限もない競合状態で市民は多様な移動選択肢の中からわざわざ自転車を選好している現状があります。

 

<自転車都市の交通分担率>
・大阪市 25%
・ローマ 20%

・東京 13%
・ベルリン 13%
・パリ 11%
・深セン  11%
・マニラ  3%
・NY 2%
・ロンドン  2%

 

放置自転車の増加は1970年代終期から社会問題化、新聞・マスコミは「銀輪公害」と称し、道路や駅周辺の現状を取材、自転車社会のありようを問いかけました。政府はスーパーマーケットやデパートに置き場設置を定め、自治体および利用者に長期間放置された自転車の撤去努力を求めた「自転車駐輪場整備法案」を提出、1980年に通称「自転車法」が成立しました。そして、各自治体は法令に従い、鉄道事業者と共に駐輪場の設置を進めました。

 


▲1980年代に広がった「銀輪公害」 読売新聞 1982年1月29日朝刊

 

大阪市同様に自転車分担率が高く、長年放置自転車問題に苦しんでいた京都市は2万台あった放置自転車が昨年は統計上「ゼロ」に。撤去ありきの対策ではなく、計画的な自転車政策の専門部署を設け、生活の質を高める安心安全の自転車共生都市の実現のため、適切な駐輪ニーズや利用ルールを推進、厳しい財政下で実績をだしています。一方、大阪は京都のような部署はなく、市民に自転車の利用を控えるように呼びかけ、責任を利用者に転嫁してます。放置自転車の問題は文字通り公による害、銀輪公害であり政策責任者のイシューなのです。

大阪市が積極的に撤去を始めたの今から15年程前にさかのぼり累計撤去台数は287万台以上、大阪市の人口が280万人なので、全市民が1回は自転車を撤去されている計算となります。ルールを守らない馬鹿者が放置しているのではなく、善良な一般市民が日常生活を行えないほどの駐輪環境なのです。京都は大学の街で優秀な人間が住み、大阪市の中心部には国立大学や総合大学が1校もなく頭が良くない人が多住している、というのは多少はあるかもしれませんが、それにしても大阪には300万の馬鹿者がいて、京都はゼロというのはおかしな話です。問題の本質は自転車法を曲解した適正化条例に基づく広域な駐輪禁止区域制定による過剰撤去なのです。

 

 

 

では、なぜ大阪市は他の自治体のように駐輪場を適正化しないのでしょうか。大阪市は公営競技の廃止により財政が赤貧化してきた経緯はあり、長らく設置コストを賄えず表層的な対策に甘んじていました。しかしながら、ここ数年はインバウンドや万博の影響で財政が健全化しています。それでもなお自転車政策を推し進めないのは、撤去自転車を外国人企業に売却し大きな財源を得ているからです。

 

 


半島へ北送される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

大阪市には戦後から連綿と在日アパッチ族を源流にする朝鮮人による中古自転車ビジネスが産業化しており、本ブログでもこれまで批判的な立場で調査・考察してきました。在日アパッチ族というのは1957年に成立した大阪府金属屑営業条例成立後に組織化された在日朝鮮人窃盗団で、主に大阪城周辺の軍事施設跡の古鉄を盗み転売稼業を営んでいた犯罪グループです。

在日朝鮮人による中古自転車ビジネスは閉鎖的で、古書店のブックオフが講談社や集英社など出版業界と接点がないのと同様に、シマノやジャイアント、ブリヂストンサイクルなどの自転車産業と関連がなく、自転車協会や自転車産業振興会も実態を把握していません。大阪市はこれら在日ビジネスは自転車盗など犯罪の温床となっていました。

 


大阪市による組織ぐるみの自転車の不正撤去の釈明会見 朝日新聞2024年5月9日

 

このような静脈産業はあまり注目を集めることはありませんが2017年発行のフリーペーパー季刊紙「CYCLE」(33,34号)では引き取られなかった自転車のその後を追跡取材しています。大阪市の自転車の返却率は54%、売却台数は年間6万台以上で他の自治体と比べ桁外れに多く、年間3億円の利益を出し、収益確保のため撤去車の売却ありきの規制が進められています。基本的に他の自治体は自転車を鉄スクラップとするのに対し、外国人企業に払い下げるため、大阪市では不正撤去など様々な問題が発生しています。

 

「市民の財産権を侵害した事実を受け止め大阪市としては二度と起こらないようマニュアルの大幅な見直しを進めています」

 

大阪市は防犯登録を剥がすなど14年間で4万台の不正撤去があり2千円の賠償を行う方針を示していますが、2千円では自転車の賠償どころか、徴収した保管料(3500円)の返金にもなっていません。4万台という数は287万台という撤去総数からみれば、少ないように感じますが、他の自治体の数年分の撤去台数に相当する大変な数です。そもそも、287万台もどうやって再調査したのか、この伏魔殿には第三者によるさらなる調査が必要です。

 

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■撤去自転車の処分台数

大阪市 6万1590台
神戸市 8799台
横浜市 5665台
さいたま市 3261台
広島市  1294台
浜松市 1195台
(国土交通省 交通安全対策室資料 2020年)

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夜間撤去は万博が終了するまで毎晩実施されるようですが、このような沙汰は類をみません。ピークには7000台あるというミナミのあふれた路上車両に見合った駐輪ニーズを満たすには、前時代的な後手策を改め、将来を見据えた持続可能な自転車政策が必要なのではないでしょうか。

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