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大阪と奈良の境にある生駒山は歴史ある山で、二都を往来する山道が古くから利用されています。代表的なルートは東大阪市枚岡と額田の間あたりから生駒に抜ける国道308号線「暗峠」(くらがりとうげ)で1000年以上前からあり、最近ではヒルクライムの聖地として、全国から挑戦者を集め、ロードバイク愛好家に間ではひそかに有名スポットになりつつあります。最大斜度40%以上という日本屈指の急勾配の峠坂は、路面は一応はコンクリートやアスファルトで舗装されていますが、状態が悪く全国屈指の「酷道」と評されています。

 


ヒルクライマーの聖地「暗峠」

 

本ブログでは生駒山について何度か取り上げ、とりわけ大阪側の管理が悪く、道路の舗装状況だけでなく廃墟や立入禁止が目立ち、せっかくの歴史ある山が台無しとなってしまている現状を投稿しています。再整備して、もっと上手にPRをすれば高尾山や嵐山のように多くの観光客を呼び込むことができると思うのですが、どうにかならないものなのか、関心をもっていただくために、この山にまつわる伝承をひとつ紹介したいと思います。

 

日本に仏教が伝来してから100年ほどたった7世紀半ば、役小角は山岳信仰と仏教の融合「修験道」を大成します。円小角は円行者(えんの ぎょうじゃ)ともいわれ、箕面の滝や熊野の山に伏して、各地に伝承を残しています。小角はよく二体の鬼を従え石仏や絵巻に描かれていますが、この鬼は夫婦で「前鬼・後鬼」といい、もともとは暗峠に棲む人食い鬼でした。鬼は峠で小角を喰おうしたところ改心させられ修行に同行したそうです。

 


役行者ゆかりの教弘寺の石仏   1578(天正6)年作成とされている

 

現在も暗峠の奈良県側には「鬼取」という地名が残っていて、周辺にはゆかりの地が点在しています。生駒山の奈良県側は山腹まで人が居住していて、伝説が残っている鬼取山にも段々畑が広がり、林業や採石業が現在でも盛んです。暗峠の鬼取という字名は霊山らしくおどろおどろしい感じがしますが、実際に行くと牧歌的な集落で、一生かかっても建てれないような立派な御宅が峠道に並び、生駒の新興住宅地を見下ろしています。

 

 


▲前鬼・後鬼が棲んでいたとされる鬼取山

 

公共交通機関やコンビニはありませんが、集落には割と新しい宿泊施設やレストランがあり、都会の喧騒から放たれたゆっくりした時間が流れています。時代に取り残された過疎地の田舎暮らしではなく、最近のサイクリングやアウトドアなどの流行も取り入れ、サスティナブルで理想的な郷となっています。

 


環境に配慮された鬼取集落のレストラン

 

鬼取集落からそのまま道なりに北に行くと、宝山寺という大きな敷地の寺院があり、ケーブルカーで生駒の市街地まで降りることができます。宝山寺は水商売にご利益があるとされる山寺で、参道には精進落としの遊郭が並んでいます。さすがに令和のこの時代ですので、かなり寂れていますが、一部の料理旅館は現役で営業しているようです。観光客は数少ないながらも、廃業した料理旅館の建物の雰囲気を残し、カフェや服屋などに改装して大正~昭和頃のノスタルジックな街並みをなんとか維持しています。

 


ノスタルジックな宝山寺の参道   写真を撮っても怖い人がでてこない(?)唯一の遊郭

 

生駒ケーブルは大正時代にできた日本で最初のケーブルカーで子供や鉄オタにも人気です。実は私はこのケーブカーが好きで生駒市から取材を受け、市の広報紙に掲載されたことがあります。私はそれほど鉄オタという訳ではないのですが、大阪側の旧生駒トンネルも鉄オタならずとも、観光資源として貴重な財産だと思いますが、閉鎖後は立入禁止となってしまっています。例えば、鬼・遊郭・大正時代・列車、と絡めて、人気漫画「鬼滅の刃」のオタクやコスプレイヤー向けのイベントとか開催してはどうでしょうか。

 


経産省「近代化産業遺産」に認定された旧生駒トンネル 大阪側は柵によって立入禁止となっている

 

 

役行者に同行した前鬼・後鬼は、修行により人間となり、奈良の山中に移り住み、現在でもその子孫が宿坊を営んでいるそうです。奈良県吉野郡下北山村「前鬼集落」は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に認定、大峰山の麓で伝説を語り継いでいるようです。