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小林一三は不滅の「阪急ブランド」をいかに築いたのか

ユダヤ人経営学者ピーター・ドラッカーは戦後日本の経済復興の主因に資本主義の選択があったとしています。そして、成熟した資本主義は社会主義に移行することは不可避で、日本の成長の鈍化を予想しました。停滞する日本の処方箋として提唱したのが名著「マネジメント」です。マネジメントとは「マーケティング」と「企業家精神(イノベーション)」の両輪で、ドラッカーはダイエーの創業者中内功を実践者として高く評価しました。

中内は新商売は西から東へと流れるのが定説で、常に関西で生まれ、世界に名高いユダヤ商人も、大阪商人の相手ではないとしています。そして、その神髄をつかんでいた商人中の商人は阪急グループの創業者小林一三だと評しました。

本ブログでは以前に中内によるユダヤ商法を規範とした米国型チェーン店形態の日本導入を残存資料から考察、自転車販売のチャネルの多様化を追体験することで縮小する自転車市場の再活性化のヒントを模索しました。資料から阪急百貨店はダイエーが着眼する10年以上前から自転車販売に取り組んでいたことが分かりました。現在、阪急は自転車販売から退いていますが、阪神間における「阪急」の存在感は別格で、鉄道沿線の生活水準は平均を上回る高いものになっています。小林の企業家精神とはどのようなものだったのでしょうか。
池田市にある追頌する施設「小林一三記念館」にいってみました。

 

 

阪急は鉄道を中心とした企業グループで都市開発、小売業、観光、エンターテインメントなど20世紀初頭より阪神間において生活基盤となる事業を広く展開しています。同じころ半官半民の南満州鉄道が巨大化していましたがこちらは石炭や大豆等の物資の輸送の収益で都市開発の赤字を埋める収益構造となっていました。一方、阪急は郊外型住宅やターミナルデパートなど都市開発を軸に西洋スタイルのハイカラな生活スタイル「阪神間モダニズム」を導入、持ち前の経営手腕で質の高い「阪急ブランド」を構築、沿線は関西随一の住みやすさを誇っています。記念館は阪急宝塚線池田駅から北へ15分ほど歩いた大阪平野北端の五月山の麓にあります。

 

 

記念館は住宅地にある小林一三の旧邸で、茶室がある日本庭園の中にある洋館です。施設は品があり、文化財に登録され歴史の流れを感じることができます。館内には小林の交友関係から人柄を示唆する展示から阪急の歴史が分かる鉄道古物、実際に使用されていた書斎など入館料300円とは思えない充実したものとなっています。

また、記念館の西側には無料で利用できるライブラリー「池田文庫」があり、宝塚歌劇や阪急球団など阪急関連書籍が閲覧することができます。

 

 

阪急電鉄の前身となる箕面有馬電気軌道は明治末期の1907年創業、小林が専務となり1910年に梅田-宝塚間、箕面-石橋間が開業、当初は兵庫県の有馬温泉まで延伸予定でした。しかしながら、延伸計画が温泉街に歓迎されず、神戸線や京都線が敷設され、社名も阪急電鉄に変更となります。小林は設立時から実質的な代表として、郊外の宅地開発に取り組み、都心に電車通勤するサラリーマンをターゲットとして最初に開発されたのが猪名川左岸の池田市室町です。

1910年から始まった室町の住宅は木造二階建ての庭付きの戸建てで200戸が販売され、その後も宝塚沿線の服部駅(1912年)、豊中駅(1914年)、石橋駅(1924年)、曽根駅(1931年)、蛍池駅(1934年)などと売り出し、開発は兵庫県にも及びました。

 

 

また並行して、音楽校や実業専修女学校、商業校の運営や関西学院等の支援など教育にも力を入れ、文化スポーツ振興にも取り組みました。1937年に神戸線西宮北口駅南側に開設された西宮スタジアムはプロ野球球団阪急ブレーブスの本拠地となり、1949年から2002年まで西宮競輪も開催されました。

大阪府下の豊中・住之江・大阪中央競輪場が廃止となると西宮は近畿地区一の車券を売り上げ、甲子園競輪と両輪で沿線の都市開発の大きな資金源となりました。6月の投稿でも言及しましたが、テレビ放送が始まるまでは職業野球より競輪の方が人気で、電話やインターネット投票のない時代に車券を買い求めにスタジアム出向いた来場者数はブレーブスや大阪タイガースの公式戦の観客数を上回っていました。

 

 

 

京阪神に張り巡らされた鉄道網沿線は文化や価値感を共有し、社内報で北大阪沿線は「阪急平野」と称していたようです。本ブログでは以前から北大阪の千里地区の池田・豊中・箕面・吹田・茨木の5市を合併し、政令都市として日本経済のこれからのあるべき姿を示すべきだと投稿を繰り返しています。この地域は京都市・神戸市に匹敵する人口を擁しながら大都市と認識されず、高層ビルや基幹店のようなものがあまり設置されない傾向にあり、国際会議や大型イベントなども誘致する発想すら湧いていないのではないでしょうか。詳しくは過去の投稿を読んでいただきたいのですが、一帯は国内屈指の住みやすさとなっています。

 

・グレーター千里構想は「第二東京」となるか    (2024.5.9投稿)

 

小林の企業家精神はより良いまちづくりの規範となり、東急や近鉄、西武、東武、小田急、京王、名鉄、阪神などの私鉄各社に大きな影響を与えました。ただその評価は意外にも国内に留まっているような気がします。私は日本中を阪急沿線のような都市につくり変えることにより、国民がより豊かな生活を手に入れることができるのではないかと思っています。

違法モペッド販売店「G+DOCTOR」中国籍の劉玥(41)逮捕

2023年7月、道路交通法が改正され、特定電動小型原動機付自転車が合法化され、一定の要件を満たせば電動キックボードなど電動小型モビリティが免許なしで自転車同様に使用できるようになりました。多くの国民が「特定電動小型原動機付自転車」という謎の乗り物の合法化にとまどい、民意のないままLUUP社のレンタルサービスが各地でスタートしました。

自転車の開発・製造には通常1年以上、電動ならそれ以上の期間が掛かるため、法改正を前になぜLUUP社だけが大量のモビリティを供給できたのでしょうか。非常に不透明で謎だらけの経緯でしたが事業は飛躍的に広がり、定着をみせています。

 


改正道交法を機に躍進するLUUPの広告 2023年7月1日 日経新聞

 

このようなシェアリングモビリティは2010年代中頃の中国を発端にして、アリババやソフトバンク等が出資し拡大、破格の利用料で話題となり、なかにはGIANTを買収する計画を公言する企業もありました。しかしながら、なかなか収益化がうまくいかず撤退する事業者が相次ぎました。

国内においては、2017年に施行された自転車活用推進法(第8条三)にて、レンタル自転車の増進が自治体に求められNTTドコモなどが電動アシスト車を投入、営利性を担保した公共交通機関プラットフォームとして定着をみせつつあります。

LUUPのモビリティは主に電動キックボートと特定小型原動機付自転車と2種で兎角キックボードに注目されがちですが、私は自転車技士として同社の自転車が驚くほど高性能で他社が追従するのは難しいのではないかと所感をもっています。同社において課題はあるかもしれんが、コロナ期に工場がロックダウンしていた時期にどうやってあれだけの自転車を製造できたのか、1ベンチャー企業の所業ではなく、自転車業界に与える影響は小さくないと考えています。一度、電動車に乗った人は電動車を選好する傾向があり、日本の自転車業界は類型車の製造を急ぐ必要があります。電動自転車の開発というのは思った以上に難しく、これまで国内市場ではパナソニック・ブリヂストン・ヤマハの国を代表するような3社の寡占市場でしたが、今後は新規参入に取って代わっていくのではないでしょうか。

 


2025年6月26日 読売新聞[大阪版]

 

大阪市内では2023年7月の道交法改正を契機に、夜間営業の飲食店の従業員やホストなどを中心に電動3社以外の中国製電動車の利用者が増加、中国の年間のモーター付車体の生産台数は3000万台以上と、日本の30倍です。中国メーカーは日本の厳格な道交法と小さな小さな成熟市場を天秤に掛け、これまで日本市場を無視していましたが、インターネット通信販売等で容易に入手ができることから中国車じわじわと普及、道交法に合致しない違反車両や発火する危険性がある低品質な車両があり社会問題化しつつあります。2025年6月には中央区心斎橋のモペッド販売店「G+EBIKEDOCTOR」の関係者を逮捕、経営者は中国籍の男でした。

 

違法走行黙認モペット販売容疑で4人逮捕、送検

違法な状態で公道を走行する可能性があることを把握しながら、ペダル付きバイク「モペッド」を販売したなどとして、府警は25日、大阪市中央区の販売店「G+EBIKE DOCOR」の経営者で中国籍の劉玥容疑者(41)らを道路交通法違反ほう助容疑などで逮捕、送検したと発表した。府警は認否を明らかにしていない。発表では、4人は6月上旬、同店で、サイドミラーやナンバープレートを….(読売新聞 2025年6月26日)

 

報道で容疑者が中国籍であることに驚いた方もいるかと思いますが、大阪市内では歴史的背景からブリヂストン、パナソニック、シマノ、ジャイアントといったいわゆる自転車業界と全く縁のない外国人経営の中古自転車チェーン店シンジケートがあり、店舗数ではサイクルベースあさひを上回っています。

 

 


違法車両を販売していた心斎橋「G+EBIKE DOCOR」

 

最近、埼玉県の川口市や蕨市の外国人が社会問題となり排斥運動が高まっていますが、大阪では戦前より在日朝鮮人が多住、本ブログでもこれまで大阪朝鮮人騒擾事件(1948年)、東成署襲撃事件(1951年)、親子爆弾事件(1951年)、吹田事件(1952年)と朝鮮人の徒党による大暴動を取り上げてきました。埼玉が針小棒大に報道される一方で、大阪のこれら戦後史は全く顧みられることはありません。

大阪で朝鮮人暴動が多発した時期は朝鮮戦争の最中で、金属価格が高騰し大阪では朝鮮人窃盗団による組織的な古鉄盗が相次ぎました。対応策として1957年に大阪府金属屑営業条例が施行されると、窃盗団は金属屑からターゲットを自転車に移し、府の自転車盗数は年間2万台以上と膨大な数となりました。この頃、朝鮮人はほぼ定職にありつけず75%が無職、多くは日雇いで何とかその日を生き、自転車盗だけでなく空き巣や洋犬盗、ヒロポンやドブロクの密造を稼業としていました。

 


半島へ北送される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

1950年代後半から日本は高度経済成すると、72年に日中の国交が正常化、87年には朝鮮半島南部の韓国が民主化しそれぞれ経済発展、東アジアの治安が安定化し、日本は留学生など移住者を積極的に受け入れはじめます。中国人経営の中古自転車店が大阪で増加したのは、今から15年程前にさかのぼり、シンジケートの実態はベールで包まれていますが、市が撤去した放置自転車を僑務としてブローカーが買い付けて各店舗に差配しています。

大阪市の放置自転車の過剰撤去については本ブログでもたびたび問題にしていますが、背景には在日朝鮮企業と中国人ブローカーの大きな暗躍があり、大阪市は独自で「自転車等の駐車の適正化に関する条例」を制定、禁止区域を拡大しながら、路上駐輪された自転車を間髪入れず撤去する「リアルタイム撤去」や同じ場所を繰り返し撤去する「集中撤去」、万博開催を口実とした「朝晩撤去」を”試験的”に導入し媚中体制をとり、全国の65万台の撤去車両のうち3分の1相当する20万台が大阪市と、不均衡に多くなっています。

 

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■撤去自転車の処分台数

大阪市 6万1590台
神戸市 8799台
横浜市 5665台
さいたま市 3261台
広島市  1294台
浜松市 1195台
(国土交通省 交通安全対策室資料 2020年)

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▲大阪市で増加する中古と新車を併売する中国系自転車チェーン店

 

最近では中古自転車店の増加により払下車が高騰、華人経営の店の不信感もあり、電動自転車に転業したのかもしれません。日本と中国で電動車のアシスト力が異なり、中国製のものをそのまま日本使用すると道交法違反となってしまいます。本来なら使用者も重い罰則があるのですが、大阪では事実上黙認状態となっていますので、劉の逮捕をきっかけに摘発が本格化するかもしれません。

ポルトガル映画「サイクリストの魂」豊中文化芸術センター

7月8日豊中市曽根の豊中文化芸術センターで特別上映されたポルトガル映画「サイクリストの魂~ゆっくり走る人々」をみてきました。

 

 

「サイクリストの魂」は2020年のポルトガルのドキュメンタリー映画で、クラシック自転車を趣味とするサイクリストたちの日常が断片的に描かれています。Amazon Primeに加入していれば視聴することができるのですが、和訳がAI(?)で情緒的な雰囲気がイマイチです。上映作品は茨木市出身でサイクリストの月本一史さんの翻訳で、訳者ご本人もゲストとして来場されていました。

 

 

 

映画の鑑賞は完全事前予約制、主催は豊中市のNPO法人「シクロジャンブルコミニティ」で会場には平日にも関わらず100名弱の来場者あり、私はボランティアで会場の入場受付をしていました。このNPOは毎年2回服部緑地でビンテージ自転車のスワップミートを開催している団体で、代表の安田実さんが関東で上映されていた同作品を観て配給元に交渉、上映に至ったようです。

 

「本当にいい映画なんで、みんなに見て欲しいと思って…思い付きで」
「最初は人なんてくるのかなぁと思ってたけど、赤字にならなくてよかった」

 

上映開催が決定すると監督や出演者からSNS経由で直接メッセージが寄せられ、遠く離れた日葡両国が作品とクラシック自転車愛を通じて、進化や効率とは真逆のゆっくりとした時間の価値を再認識、上映が終了すると温かい拍手が沸き起こりました。

 

 

映画上映に先立ち15分のトークイベントが同時開催され、白井嗣章井さんと杉谷紗香さんの2名が順に登壇、ただ映画を鑑賞するだけでなく文化芸術センターという開催場所を生かして、それぞれ「自転車と映画」というテーマでスライドを使い講演していました。

白井さんは2014年のイタリア映画「パンター二 海賊とよばれたサイクリスト」について自筆のスケッチ画と併せて熱弁、34歳で逝去したイタリアのロードバイク選手マルコ・パンター二の生き様を描いた映画のみどころを解説、白井さんは自転車切り絵作家としても活動していますが、このような講演は公演は今回が初めてだったようです。

 

 

杉谷さんはフリーペーパー「cycle」の編集長で11月25日から広島県尾道市で開催される「バイシクル・フィルム・フェスティバル(BFF)」の告知で、はるばる尾道から新幹線で来場されていました。BFFはニューヨーク発信で、世界のさまざまな都市で開催されている自転車映画の祭典で、今年で25年目を迎えるそうです。

日本上陸20周年を記念して本年は創設者のブレント・バーバー氏をアメリカから特別ゲストとして招き、東京・横浜・大阪でもイベントが開催され、大阪は11月24日(祝)に心斎橋ビッグステップを予定しているそうです。

 

 

主催の安田さんに聞くと、白井さんや杉谷さんのファンも集まり、思った以上に集客ができてイベントは黒字だったようで、できれば来年も開催したいと言っていました。

自転車パーツ Amazon店 売上げベスト10 【2025年上半期】

2025年上半期のAmozon店売り上げランキングです。
プライムでの出店なので送料もかからず、書籍や日用品類と同送できますので是非ご利用ください。

 

第1位(→)

【メーカー】MAXXIS
【商品名】PURSUER
【税込価格】4,400円
【特徴】マキシスの低下価格なロード用タイヤ

 

 

第2位(

【メーカー】WALD
【商品名】137
【税込価格】6,820~7,700円
【特徴】米国製カゴ

 

 

第3位 ()

【メーカー】TOPEAK
【商品名】OMNI RIDECASE Ⅱ
【税込価格】4,400円
【特徴】ステムに取り付けるシリコンバンド式スマホホルダー

 

 

 

第4位()

【メーカー】TIOGA
【商品名】ADV TOP TUBE BAG
【税込価格】3,300円
【特徴】スマホや財布入れにちょうどいいトップチューブに取り付けるバッグ

 

 

第5位()

【メーカー】WALD
【商品名】215 リアラック
【税込価格】6,930~7,370円
【特徴】700c対応の米国製リアキャリア

 

 

第6位 ()

【メーカー】WALD
【商品名】37バスケット
【税込価格】4,950~5,720円
【特徴】ラックに取り付ける米国製カゴ

 

 

第7位(

【メーカー】TOPEAK
【商品名】ROADIE TT
【税込価格】5,940円
【特徴】独自のツインターボテクノロジー採用のロードバイク用ハンドポンプ

 

第8位 ()

【メーカー】TIOGA
【商品名】Acentia FORTIS
【税込価格】4,180円
【特徴】ゲル入りのコンフォートサドル

 

 

 

第9位  NEW!

【メーカー】ERGON
【商品名】GT1
【税込価格】6,820円
【特徴】人間工学に基づいたマルチポジションコンフォートグリップ

 

第10位 ()

【メーカー】TOPEAK
【商品名】ROADIE TT mini
【税込価格】5,390円
【特徴】独自のツインターボテクノロジー採用のロードバイク用ハンドポンプ

 


 

|「スポーツサイクル運搬」がスタイル化?!

数年前からUBER Eatsの配達員がスポーツ自転車に荷台を装着している光景を目にするようになり、配達員以外のスポーツ自転車ユーザーにもカゴやキャリアを取り付けて使用するというスタイルが定着を見せ、WALDのカゴ・キャリアの売れ行きが好調でした。

ERGONのグリップやTIOGAのグリップなど長時間の街乗りの使用を快適にする製品も人気となっています。

名門「関西大倉」は、なぜ、あんなとこにあるのか

最近の自転車販売の傾向として、マンガや親の影響から中高校生がスポーツサイクルを選好している傾向が顕著にみられます。これまでは通学車としては、前バスケット付の低廉なスタッガード型自転車(ママチャリ)が定番化していましたが、もう大阪ではあまりこういう中高生を目にしなくなりました。スポーツ用品メーカーのNIKEやアディダスのウエア・シューズを普段着にしている若者世代にとっては、むしろこのような流れは自然なことなのかもしれません。本ブログも若者世代に興味を持っていただけるような内容をたまには投稿していきたいと思います。

 

「保護されているのは義務教育まで、それが世の中の仕組み」
「日本は自己責任が原則、国を変えるか、日本から出るしかない」

 

2007年に大阪府知事に就任した橋下徹弁護士は、私立高校の助成金削減案をめぐっての地元高校生「大阪の高校生に笑顔をくださいの会」の陳情に対し、国を出て行くしかないと一蹴、女子高校生は涙を流し「父親が中3時にリストラとなり、私立にしかいけなかった」と直談判、大激論となりました。あれから18年、橋下知事が設立した「大阪維新の会」は教育改革を実施、府下の私立高を含む高校を無償化、国を変えることとなります。

大阪府下、北摂の豊中・吹田・箕面・池田・茨木市の5市は特に教育熱心で、大学の進学率も府下にある他の自治体より10%近く高くなっています。豊中・吹田・箕面市には大阪大学が所在、池田市にも1992年まで国立の大阪教育大がありました。各市にはそれぞれ公立の進学高校が1校あり、高い教育水準が培われています。

 

北摂5市の公立進学校
・豊中市 → 豊中高校
・吹田市 → 千里高校
・箕面市 → 箕面高校
・池田市 → 池田高校
・茨木市 → 茨木高校・春日丘高校

 

茨木市は国立大はないものの立命館大や追手門学院大など有名私大があり、ほぼ全員が進学を希望する公立高校が、茨木高校と春日丘高校と2校あります。加えて、早稲田大阪・梅花女子・追手門学院といった有名私大の付属高校があり、さらには北大阪屈指の名門校「カンクラ」こと関西大倉高校があることでも知られています。

 


▲大阪平野の最北端、茨木市山中にある関西大倉高

 

 

関西大倉は大阪平野の最北端、24万平方メートルの広大な山の中に所在しています。自転車通学率30%、校門までは弱虫ペダルの総北高校を思わせるような「関倉坂」があり、生徒の70%がスクールバスを利用しています。なぜ関西大倉はこんなアクセスがに悪い場所に立地しているのでしょうか。

 

 


㊧関西大倉百年史より   ㊨毎日新聞 1961年12月5日

 

関西大倉高の前身となる大倉商業学校は1907年に実業家の大倉喜八郎によって創始されました。鉄砲商で財を築き、東京・大阪・京城(現在のソウル)に商業学校を創立、東京は現在の東京経済大となっています。大阪の大倉商業学校は中之島の大阪医科大(現在の大阪大医学部)の隣の大川沿いありましたが、1945年の大空襲で校舎が失焼、終戦後は存廃を賭けて関西商工と合併し関西大倉と改め、大淀(大阪市北区)にキャンパスを構えます。

日清・日露、日中戦争を背景に、軍事物資の供給が増加すると喜八郎のビジネスは拡大、大成建設、帝国ホテル、日清製油などに出資、一代で財閥を築きます。神戸の地下鉄「大倉山駅」北側の大倉山公園は喜八郎の別宅跡で、ハーバーランドにそびえる「ホテルオークラ」は喜八郎の長男の喜七郎によって設立されたホテルです。戦後は財閥解体で関連企業は減りましたが、大倉財閥は明治・大正期は大実業家で「死の商人」として列強を脅かす存在でした。

 

 


▲釜山の大倉町の商店街    「わが母なる学窓」(2007年,関西大倉学園)より

 

日中戦争は南満州鉄道のガードマン「関東軍」と蔣介石率いる国民党政府の衝突で、正式な宣戦布告がないまま陸軍主導で侵攻したため予算が下りず、アヘンの密売で戦費をまかなっていました。東アジアではアヘンが蔓延、戦略的物資として通貨代わりとなり、満州各地でアヘン窟が公然と営業されました。国際法上アヘンの取引は禁止され厳しく監視されているため、政府や軍部が直接関わることができず、大倉財閥が極秘任務として差配を担っていました。

一方、日本国内ではアヘンは厳しく取り締まられ、大阪北部の安威川上流茨木市と高槻市のみで栽培が許され、特務を受けた二反長音蔵の品種改良により福井種・三島種が作付けされていました。今となっては考えられないことですが、関西大倉高の南東側には一帯は広大なケシ畑が広がり、音蔵は満鉄の後藤新平総裁の信頼を受け、満州・朝鮮・蒙古など外地に出向き栽培の実地指導を行いました。

 


▲朝鮮半島の大規模な「大倉農園」  「わが母なる学窓」(2007年,関西大倉学園)より

 

 

藁や板きれ腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、古びた市電が– 小説「泥の河」宮本輝(関西大倉高1965年卒業生)より

 

「関西大倉学園百年史」(2002年)によると、終戦後の大阪市内は自動車の排気ガスによる環境汚染が深刻で、生徒がバタバタと倒れなど教育の場としてふさわしくないとされ、自然に恵まれ鉄道路線に近い現在の茨木市に地元の協力を得て1963年に移転をしたと残されています。主権回復から10年は経過したものの、まだアジア諸国に戦争の火種が残り、いつぞやまた日本が巻き込まれるのか分からない時代です。

 

二反長家と大倉財閥に親交があったのかは分かりませんが、音蔵は戦後に所有していた広大な田畑・山林を手放し宗教活動にのめり込み、子供の二反長半(なかば)は農業は継がず作家となり「戦争と日本阿片史」という作品を残しています。ちなみに、二反長家が安威川でケシの作付する以前は、川端康成の川端家が一帯の大地主でしたが、祖父の代に寒天の作付に失敗、その代償に田畑を失ったようです。

 


戦時中、訓練に励む大倉商業の学徒  「大倉学園百年史」(2002年)より

 

軍都として栄えた大阪の戦争末期、大阪平野最北端の崖線には安威川地下倉庫や高槻火薬庫(タチソ)といった秘密基地が計画され、最終決戦に備えました。同じく茨木市安威にある追手門学院も陸軍の残党によって設立された学校です。逆コースから戦後日本が再右傾化するなかで、関西大倉は練兵施設に転用を念頭に置いていたのかもしれません。そのため、軍事施設が集中する現在の場所を選んだのではないでしょうか。

 


戦前に中之島にあった大倉商業の様子   「大倉学園百年史」(2002年)より

 

結局、日本は隣国で戦争や革命が起きても干渉せず、平和主義を貫きました。これから、戦争が起きるかどうかは分かりませんが、私学無償化で関西大倉高の受験戦争はより苛烈なものとなるのは間違いないと思われます。

先の大阪万博をきっかけに本格的に開発された北摂の豊中・吹田・箕面・池田・茨木市の5市は非常に似ています。私はこれからの関西経済のため、北摂5市は合併し政令市となり、人口流出に歯止めが利かない京都市・神戸市の受け皿になるべきだと考えています。はじめは抵抗がある人もいるかと思いますが、茨木市も福井村・三島村・安威村・豊川村・茨木町などが合併して生まれた市であり、元に戻したいという声は聴いたことがありません。詳しくは以前の投稿を一読お願いいたします。今後も独自の考察を交え、北大阪地区の投稿を多めにしていきたいと思います。

読売ジャイアンツが築地に移転? 「東京ドーム」はどうなるのか

競輪は終戦間もない1948年に始まり、テレビもパソコンもない時代に瞬く間に娯楽の頂点となりした。現在では野球やサッカー・格闘技など競輪以上に人気があるスポーツは多数ありますが、再び競輪が人気スポーツに返り咲くことはあるのでしょうか。

 


▲後楽園球場となりにあった後楽園競輪場 「競輪二十年史」(1971,自転車振興会)

 

1953年にテレビ放送が始まると、日本テレビは後楽園球場の巨人戦のプロ野球放送を開始、立教大のスター長嶋茂雄が入団すると観衆が倍増、巨人軍の黄金期となります。後楽園球場は後楽園競輪場の隣にあり、1987年に競輪場が東京ドームに建て替えられるまで巨人軍の本拠地とされていました。

長島を口説き、プロ野球を人気スポーツに押し上げたのは、読売グループ総帥の正力松太郎です。正力はA級戦犯容疑で巣鴨に疑獄され、釈放後は政界で閣僚を務め、球界では絶大な権力を掌握「プロ野球の父」と称されました。

 


▲右から正力松太郎・正力夫人・娘婿の小林與三次 「巨怪伝」(1994年,佐野眞一)より

 

グループただひとつの上場企業の株式会社よみうりランドは正力の娘婿の関根長三郎が代表となり、川崎競馬場や船橋競馬・オートレース場および場外投票券販売施設を管理、後楽園競輪も所有していました。現存する関西の競輪場はすべて公営で、企業による競輪場運営に違和感を覚える方もいるかもしれませんが、京王閣・西武園・富山・伊東温泉競輪場と一部に民間企業所有施設もあり、千葉県の松戸競輪場も読売グループ傘下となっています。

後楽園競輪場は都の財政に寄与し人気を集めていましたが、美濃部亮吉都知事は独断で競輪の休止を宣言し政治家引退を表明していました。美濃部を支持してきた日本共産党と社会党は八鹿高校事件をきっかけに同和問題を巡り対立、1975年4月の次期都知事選には出馬しない予定でしたが、石原慎太郎が名乗りを上げると分裂状態の左派が「ファシストの石原だけには都政は渡せない」と一枚岩となり、美濃部を引っ張り出しました。

 

「都政の荒廃を立て直し、新しい東京をつくる。私は生まれ変わるつもりでこの大仕事に取り組みます」

 

石原は大学時代に「太陽の季節」(1956,新潮社)で芥川賞を受賞、産経新聞で「巷の神々」を連載したことをきっかけに宗教的な後援を獲得し、68年に自由民主党公認で参議院選挙に出馬、圧倒的知名度で史上最高の票数を集め初当選、その後に衆議院に鞍替えし任期中でしたが自民党の推薦を受けて新しい東京をつくると宣言し、都知事選に出馬しました。しかしながら大阪で共産党単独推薦の知事が誕生するなど革新勢力が躍進、石原は人生で賭けた選挙で屈辱的な大敗北を喫し、後楽園競輪の撤退が決定的となりました。

 


都知事選で美濃部に敗れ落選した石原慎太郎  (朝日新聞 1975年4月14日夕刊)

 

後楽園球場は阪急の小林一三らとの共同経営で複数の球団で使用され、正力は自前の球場の建設を夢みていました。不忍池を埋め立て球場にする構想や新宿に巨人軍専用施設「正力ドーム」建設の計画がありましたが、実現せず正力は1969年に他界しました。正力の死後、長男の亨、娘婿の関根と小林與三次が組織の要職となり事業は拡大、世界一のメディアグループとなり、競輪場の跡地は日本初の屋根付き球場「東京ドーム」が計画され、88年3月に竣工されました。

開場当初、東京ドームは日ハムファイターズとの共用球場でしたが、2003年にハムが札幌に本拠地を移して以降は巨人軍専用となり、よみうりランドと株式を持ち合っていました。

 


後楽園競輪場の跡地に建つ東京ドーム (2021年7月撮影)

 

一方、石原は1999年に再び立候補した都知事選で当選すると、東京ドームでの競輪開催を検討する方針を表明、災害復興の財源の確保や観光振興のため本格的な調査をするとしていました。

 

「これまでの常識を覆す、若者や女性にも楽しめる斬新でスマートな競輪を目指す」
「ドームは雰囲気も違うので、昔と違ったイメージ活用したらいい」

 

東京ドームのグラウンド地下には将来の後楽園競輪復活も視野に入れ400メートルのバンクが格納されていて、2008年までは競輪や自転車イベントが開催され、世界選手権やオリンピックの開催も検討されていました。石原はドーム競輪以外にも臨海の埋立地でカジノを運営する計画を立案するなど公営ギャンブルによる財政健全化を提唱しましたがいずれも任期中に実現にはいたりませんでした。

 


物議を呼んだ石原都知事の競輪再開表明  (朝日新聞 2003年6月24日夕刊)

 

2023年3月には読売新聞・よみうりランド・巨人軍が東京都稲城市にある遊園地内に2軍球場を中心とした複合型ボールパーク「TOKYO GIANTS TOWN」を一部開業、老朽化が懸念される東京ドームの築地移転も検討されています。築地市場を豊洲に移転を決定した石原は政治家引退後に住民訴訟や百条委員会で土壌汚染について激しく責任訴追され、移転の経緯を透明化求められましたが、自身が主導的立場でなかったと主張、2022年2月に他界しました。

読売新聞は築地移転を公言していませんが、築地市場跡地には読売新聞を中心とした企業連合が5万人収容の多目的スタジアムのパースが公開され、憶測を呼んでいます。歴史的経緯を見返すと巨人軍の本拠地移転に伴って、東京ドームで競輪が再開される可能性は期待できるのではないでしょうか。一部では長島茂雄と同時に国民栄誉賞を受賞した元読売軍の松井秀樹外野手の監督就任と併せて本拠地移転をするのではないかと言われています。

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