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2015年12月の記事一覧

街は楽しい、清澄白河「TOKYOBIKE TOKYO」

東京・清澄白河「TOKYOBIKE TOKYO」に行ってきました。

 

 

「TOKYOBIKE TOKYO」は東京都江東区にあるトーキョーバイクのショールームです。本ブログではオープンした2021年7月に一度紹介していますが、4年ぶりに再訪してきました。東京メトロ「清澄白河駅」から南東へ歩くこと10分、築60年の地上3階建て鉄骨造の倉庫をリノベーションしたおしゃれな雰囲気の建物、美術館のようで少し入りにくそうな感じの施設ですがスタッフの方の笑顔に導かれ自然と入店、中に入ると木のぬくもりが感じられる空間となっています。

 

 

中にはサイクルショップ203でもおなじみの自転車が美術品のように見事に展示され、同ブランドの全ラインナップがみることができます。クロスバイク、ミニベロ、子供用、キックバイク、東京の街にあうスタイリッシュで実用的な自転車の数々、今では大阪でもよく目にするようになりましたが、21年前に全国で初めてtokyobikeを扱った自転車専門店はまだ南船場にあった頃の203です。

そのころはスポーツ自転車といえばマウンテンバイクが主流で、650cタイヤのクロモリ製自転車は皆無、細いロードタイヤの自転車に乗ってる人も部活や実業団や競輪の選手くらいの冬の時代でした。

 

 

単色に塗装されたフレームカラーはスタッフ総出で意見を出し合い商品化、ただ販売データやトレンドを追及するのではなくあえて売れにくい色もラインナップすることで大量生産の他のメーカーとはまた違った独自のスタイルを確立しています。

建物内には自転車だけでなく、専用部品やカスタムアイテム、そして日常生活を彩る小物も展示され、販売もしています。

 

 

1階の入り口横には、清澄白河らしくアジア産の厳選されたスペシャリティコーヒーの専門店「亜良以豆珈琲」(アライズコーヒー)が併設、清澄は2015年にブルーボトルコーヒーの国内1号店があり、一帯にはサードウェーブコーヒーのショップが続々と増え、今では注目のエリアとなっています。

アライズのコーヒーを1杯いただきましたが、ただの飲み物ではなく香り立つ素材の風味と後に残るザラついた香ばしさが特別なひとときを演出してくれる異次元の体験で、他のコーヒー店にも行って飲み比べをしてみたくなりました。

 

 

すでにホームページやSNSで公開されていますが、近日電動アシストのカーゴバイクが発売予定となっていて、デモ車があったので試乗してみました。新モデル「TOKYOBIKE PORTER」(トーキョーバイク ポーター)は税込み297,000円となっていますが、これまでになかった発想の新しい電動自転車は自転車の活用の幅を広げるような注目度の高いバイクとなっています。12月末ごろ入荷予定となっています。

 

 

 

 

自転車博物館「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展

堺東のシマノ自転車博物館で開催中の「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展をみてきました。

 

 

シマノ自転車博物館はもともと、大仙公園の仁徳天皇陵の南西側に博物館ですが、シマノが創業100周年を迎えた2022年春に3.5倍に増床しリニューアルしました。新施設は以前の場所から南に1km、堺市役所などがある市の中心駅の南海高野線「堺東」駅から徒歩5分の好立地で、更地から建てられた自社施設となっています。大阪市内からだと南海「なんば」から乗り換えなしで20分ほどで行けるようになり利便性が向上、特別展「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」を見てきました。

 

 

施設の入場料は500円、特別展は2025年3月23日まで4階北側の特別展示室で開催され、追加料金は必要なく常設展示と併せて観ることができます。今回の特別展は「陸船車」と言われている舟の形の木製のレプリカが2台、享保年間の古文書の解説とともに展示されています。

 

 

 

 

2台のうち1台は「門弥式陸船車」(千里行車)と呼ばれる車で埼玉県の農民の庄田門弥(しょうだ もんや)が江戸時代中期1729年に制作されたとされる船の形をした乗り物で、踏み板を踏んで車輪を回転させる機構にぜんまいが組み込まれているとされ、実在したとするなら世界初の自転車となります。マクミランによってペダル式自転車が考案されたのが1839年なので実に100年近く前にこのようなペダル付の乗り物が考案されていたということです。

 

 

近江藩の平石久平次(ひらいし くへいじ)によって書き写された「新製陸舟奔車之記」に解説と図面が記録され、方向を変える操舵機構はなく、後に考案される「久平次式陸船車」の原型となったとされています。復元されたレプリカはコム製のタイヤのないの木製四輪車で、構造図や後の資料を元に製作されたものとなります。

 

 

もう1台は「久平次式陸船車」(陸奔舟車)と呼ばれる舟型の三輪車で、1732(享保17)年に彦根藩の武士の平石久平次(ひらいし くへいじ)によって考案され、下駄でできたペダルで車輪を駆動して走る方式で、テレビ朝日が復元したものが現在は彦根市立図書館されているようです。

 

 

そもそも自転車の起源は1813年のドイツとされていますので、1700年代に西洋文明から遠く離れた日本のこのような乗り物の資料の存在は非常に興味深く、文明史におけるオーパーツと言えます。連綿と続いている西洋の自転車文明と接点がなく、途絶えてしまって現車が残っていないため、自転車史の原点と考えられることはほとんどありませんが、素晴らしい着眼点だったことは間違えありません。

 

 

 

 

|シマノ自転車博物館

[開館時間] 午前10:00~午後4:30(入館は午後4:00 まで)
[休館日] 月曜日(祝日の場合は火曜日)、年末年始
〒590-0073 大阪府堺市堺区南向陽町2-2-1
代表:072-221-3196

 

ながら運転・飲酒運転の現厳罰化、「改正道交法」を各紙はどう伝えたのか

2024年11月から道交法が改正され「ながら運転」や「酒気帯び運転」の罰則が厳罰化されました。本稿では各紙の紙面を読み比べてみたいと思います。

 


 

読売新聞 11月1日 ★★★★☆

・改正道交法施行 自転車「ながらスマホ」懲役も [1面]
自転車を運転しながらスマートフォンを使う「ながら運転」の罰則を強化し、自転車での酒気帯び運転に罰則を新設する改正道路交通法が施行された。背景には、危険運転による事故が・・・

 

・酒気帯びに罰則 新設 [社会面]
・・大阪府内では酒気帯び運転が初めて摘発された。ながら運転はスマホを手に自転車を運転し、画面を注視したり通話したりする行為だ。これまでは都道府県の公安委員会規則で禁止され・・・

 

 

 

 

産経新聞 11月2日  ★★★★★

・自転車「ながらスマホ」厳罰強化 [1面]
携帯電話を使いながら自転車に乗る「ながら運転」の罰則を強化し、酒気帯び運転に罰則を新設するなどした改正道交法が1日、施行された。大阪市の繁華街ではあ法改正を認識していないのか、スマートフォンを手に・・・

・走行中にスマホ 若者の死傷者事故多発 [地域面]
・・近年、スマホの普及でながら運転の事故が増加し、特に若者の死傷者が多い。・・・ながら運転による死者や重傷者は過去5年間、30代までが9割近くを占め、大半はスマホ画面の画面を注視していたことが原因だった。警察長の担当者は・・・・

 

・ペダル付き電動バイク「モペット」ルール明確化[社会面]
・・・この日のモペットの公開取り締まりで、警視庁が確認した違反は、無免許や歩道走行など計13件に上ったという。

 

 

 

朝日新聞  11月5日 ★★☆☆☆

・酒気帯び 自転車でもダメ[地域面]
・道交法改正 飲食店で注意喚起

・・これまでの罰則対象は正常な運手のできないおそれのある「酒酔い運転」だったが、改正道交法で呼気1㍑あたり0.15㍉グラム以上のアルコールを含む「酒気帯び運転」も対象となった。酒気帯び運転や飲酒した人に自転車を貸すと、3年以下の懲役または50万円以下の罰金。自転車に乗る人への酒提供も・・・

 


 

 

読売と朝日は中央区の同じお好み焼き店に取材、飲酒運転を呼びかける啓発活動を仲良く報道しています。朝日は読売から4日遅れて記事にしていますので、残念ながら記事を読む価値があまりありません。産経は二紙が一切触れていないペダル付電動バイク「モペット」の分類を明確に明記、誤解により違反が取り締まられている記事を併載しています。モペットは一見すると自転車のように見えますが、無免許運転などが問題となっていますので、他紙も報道してもいいのではないでしょうか。特に若い男性が違反をしているという現状はオールドメディアが好みそうな話題で年配の読者にフィットするような気がします。

昨年、大阪府は自転車事故による死者数が37人と全国ワースト、本年も今のところワーストとなっています。産経は大阪人のマナーの悪さと事故を結び付け、府警の地道な広報や啓発活動を紹介しています。しかし、マナーの問題でしょうか。事故が多いのは、他府県に比べて自転車の普及率や利用率が高いにも関わらず大阪市に自転車推進に関する部署がなく、総合的な自転車政策がないからではないでしょうか。自転車道路網など自転車を中心としたまちづくりをしっかりと推進すれば事故は減らすことができます。

各紙の記者の方の取材をお待ちしております。

文明開化、大阪自転車はじめ「川口居留地」

日本に初めて自転車が上陸したのは幕末とされています。文献によると1862年に福井藩の藩主 松平春嶽(まつだいら しゅんがく)が「ビラスビイデ独行車」に乗ったとあることから、これが自転車(velocipede)のことではないかとされています。1858年の日米修好通商条約により神戸・長崎・横浜・新潟・箱館が開港、条約により大阪は外国人居留地となり、大阪湾に面する現在の西区川口にが外国人宣教師や商人が居留するようになりました。

 


大阪開港の地 西区「川口」

 

川口居留地は中之島のある大川河口にあり、現在は倉庫街となっています。神戸や長崎などは旧居留地を観光資源として景観を保護して、まちおこしをしていますが、川口居留地には当時の建物は一切なく、観光客の姿も全く見当たりません。しかし、この居留地は現在の大阪の近代化や文明開化に大きな役割を果たしており、調べていくと大阪における自転車を始め様々なルーツがそこにあり、空襲により戦後は急速に輝きを失い、現在に至っていることが分かりました。現在、川口居留地はどうなっているのか、クリスマス直前の晴れた日にポタリングしてきました。

 


▲川口の倉庫街  物流拠点として大型車両の激しい往来がある

 

川口はサイクルショップ203と同じ大阪市西区ですが、203がほぼ南端で川口は北西の先端となり、自転車では20分ほどとなります。大川の川尻で舟運が盛んだったころから物流の拠点で「大阪開港の地」の石標があり、現在でも住友倉庫やヤマト運輸などの流通業者の事務所が多く所在しています。対岸には中央卸売市場があり、軽バンや大型トラックの往来が多く、その関係から電撃的な交渉で知られる労働組合組織「全日本建設運輸連帯労働組合関西支部」(関西生コン)の活動拠点となっていて、堀江とは全く違った雰囲気となっています。

 


川口居留地跡 当時の建物はないが1868-99年までは外国人居留地となっていた

 

居留地時代の建物は全くありませんが、一部では雰囲気を残す洋風建築があり赤レンガの川口基督教会の大聖堂はシンボルとして登録有形文化財となっています。開港当時は多くの宣教師が来日、ミッションスクールにて英語教育の始め、大阪信愛学院・桃山学院・大阪女学院・立教学院(東京都)・梅花学園・平安女学院(京都府)・プール学院などの創設地となっています。しかしながら、多くあったミッション校も現在ではすべて移転し、キャンパスはひとつも残っていません。

英語教育以外にも宣教師が大阪にもたらしたものは多く、パン・バター・精肉・ホテル・クリーニング・オルガン・時計、そして自転車の発祥地とされています。

 


宣教師が西洋から大阪に伝えた自転車 大阪くらしの今昔館展示より

 

川口で宣教師が自転車の販売を始めたのは1894(明治27)年頃とされ、2,3軒の販売店があったそうですが、1899年には外国人居留地制度が廃止となりました。現在、大阪は自転車のまちとして知られていますが、明治期には条例で「遊戯のために自転車に乗ること」を禁止していて、やや普及が遅れていました。先行する東京を見習って、堺で自転車の部品製造を始めたもこの頃となります。

 

都道府県別自転車保有台数 1913(大正2)年
東京都  4.1万台

愛知県    4.1万
兵庫県    3.1万
岡山県    2.6万
大阪府    2.3万

 

 


▲1920年竣工の壮大な川口基督教会

 

居留地が廃止後もしばらく洋館が立ち並び、付近の江之子島に大阪府庁や市庁舎ができたことから、大阪の文明開化の象徴となり、市内における自転車の売買の拠点となりました。私が数年前に発掘した1932~42年(昭和7~17年)の川口輪業会の「物品買譲請明細帳」には当時の売買記録が詳細に記されています。当時は自転車は高級品で主用途は運搬など業務用で売買先は米穀店や運送業、洗濯店、銀行などとなっています。日華事変(日中戦争)の影響でインフレが凄まじく、1935年1台1円程だったのが、7年後の42年には1台10円以上となっています。

 


▲川口輪業会「物品買譲請明細帳」(昭和7~17年) サイクルショップ203所蔵

 

明細帳の末尾には天満警察署から1943年2月27日より3年間保存が命じられ、そこには「髙橋タツ」のサインが記されています。髙橋タツは上町にあった有力店「髙橋サイクル」の経営者で、髙橋勇の実母となります。髙橋サイクルは大阪空襲で被災するまで中之島にあり、髙橋家はこの頃から大阪の輪業会に大きな影響を持っていたことが推測されます。この明細帳は読んでいると興味深い内容で詳細に調べてみる価値があるのかもしれません。

 


物品買譲請明細帳には川口の自転車の売買記録が記されている

 

衰退する日本経済のなかで観光はまだまだ伸びしろのある産業です。大阪にも外国人を中心に多くの観光客がおとずれますが、さらなる成長と観光公害を踏まえた分散を考慮してこの辺りも観光地化してもいいように思いますが、クリスマスを前に教会の扉は固く閉ざされていました。

なぜ?! 名刹に人の姿がゼロ、東洋のミューズ「秋篠寺」

古都奈良は710年に遷都され、東に大仏でお馴染み「東大寺」、西に「西大寺」が建立されました。西大寺も東大寺に引けを取らないほど壮大な伽藍を誇ったそうですが、台風や火災で平安時代には衰退し、現在では西大寺といえば寺よりも近鉄の乗り換え駅「大和西大寺駅」が先に思い浮かび、「安倍晋三銃撃事件」の現場として一躍有名になりました。平城京跡西側には、西大寺だけでなく世界遺産「唐招提寺」「薬師寺」など寺社が多く所在しています。今回は名刹「秋篠寺」に行ってきました。

 

 

大和西大寺は特急停車駅で大阪から約30分、自然豊かで快適な環境のベッドタウンとして開発が進んでいます。駅前にはルイヴィトン・ユニクロ・スターバックスなどが入居する商業施設「ならファミリー」があり、休日には周辺道路が渋滞するほど混雑します。秋篠寺は駅の1km北西側にあります。駅には観光用のレンタルサイクルもありますが、徒歩なら20分くらいかかります。

 


高感度な店舗が入居する西大寺の商業施設「ならファミリー」

 

秋も深まった12月上旬、温暖化の影響もあってかパーカー1枚でも過ごせそうな行楽日和、木の葉も萌えるように色づくシーズンで、京都の東山や嵐山では観光客によるオーバーツーリズム(観光公害)が深刻化しているといいます。秋篠寺は境内の絨毯のような苔庭が有名で、あまり紅葉のイメージはありませんでしたが、差し色のようにコントラストで、詫び寂びを感じます。東洋美の到達点といった感じですが、意外なことに私以外に観光客の姿はなく、贅沢にも貸し切り状態でした。

 

 


苔庭に紅葉が映える秋篠寺

 

本堂に安置される伎芸天は「東洋のミューズ」と謳われ、本尊などを含め国の重要文化財に指定されています。ミューズとは、ミュージックとか博物館または瞑想といった言語の祖語で、音楽などを司るギリシャの芸術神に由来する言葉のようです。「アーネスト・フェノロサが薬師寺東塔を凍れる音楽と表現した」と中学2年のとき類塾で教えられた記憶があり、ずっと「音楽」ってなんやねん、と引っかかっていましたが、秋篠寺の「MUSE」→「MUSIC」→「東塔は音楽」ということで、うまく説明できませんが自分の中ではなんかスッキリしました。

 


東洋のミューズ「伎芸天」が安置される国宝の秋篠寺本堂

 

本堂内は撮影禁止で仏像の画像がなくて申し訳ありませんが、本堂内で一人、瞑想をして帰りました。秋篠寺周辺は、お屋敷が建ち並び、東側には奈良競輪場があります。

奈良競輪場は1950年開設の県営の333m走路の施設です。老朽化が激しく、ビニールシートがかけられていたり規制線が張られていて立入ができないエリアが結構あります。車いす用エレベーターや外国語案内も一切ないどころか、ほとんどの建物が耐震強度を満たしておらず閉鎖されていて、悲惨な状態であるということを2021年に本ブログにて投稿しました。

コロナ期間を経てもスタジアムの状況はあまり変わっていませんでしたが、前回に来た時よりも観客が増えていたように思います。

 


▲県内唯一の現存する公営競技場「奈良競輪場」

 

競輪場と駅の間は農地が広がりのどかな雰囲気となっていて、農作業中のシニア男性にこの辺りのお話を伺うことができました。

 

「昔はここに競馬場があって、今は秋篠川の遊水地で開発調整地域になってるんよ。競馬場は不採算でなくなったけど、子供の頃に行ったことあるよ」

 

競輪が始まると併設されていた秋篠競馬場(地方競馬)の人気が低下、1954年に廃止となりました。このような事例は珍しいことではなく、長居(大阪市)・春木(岸和田市)・鳴尾(現在の西宮)も同様に、併設された後に競馬が廃止されています。春木競馬場では周辺住民とのトラブルの影響もあったようですが、秋篠競馬はそのようなことはなく、単に不採算が原因で、跡地は一部はダム建設で廃村となった村人の移住先に活用、ほとんどは農地となり、現在に至っているようです。

 


奈良競輪場の隣にはかつて秋篠競馬場があった

 

 

「上の人らがなんにも考えとらん、奈良は悪政の縮図よ。モツ煮込み屋はあるけど、レストランをつくるとか、もっと若い女性や子供とかが、楽しめるように工夫しないとアカンよ」

 

男性は奈良競輪場や秋篠寺について、行政がしっかりとマネージメントしイメージを変えることが地域の振興につながると指摘、場内にある飲食店の改善などできることはまだまだあるのではないかと言います。一応、倒壊寸前のボロボロだったバラックの飲食店は建て替えられマシになっていましたが、新テナントは入っておらず場末感は残ったままでした。私がふと岡山県「玉野競輪場」に行ったことを思い出して、施設をリニューアルして地元野菜を使用したレストランや観光ホテルを併設して注目されていることを話すと、男性は「それはいい!それはいいわ!ああ、そりゃいい」と笑顔で繰り返されていました。

 

【参考①】玉野競輪の食堂「FORQ」
【参考②】競輪場に泊まれる玉野競輪「HOTEL10」

 


老朽化が激しい奈良競輪場内の建替前の施設 2021年3月撮影

 

競輪場はギャンブル依存症や地域の治安低下などを懸念し、迷惑施設と考える人も多いのですが、奈良競輪場を含めこれまでいくつかの公営競技場を訪れた印象では、このような歴史的遺産の生かすも殺すも行政次第のように思います。奈良は京都に負けない歴史的建造物の宝庫です。奈良県は今春に知事が変わり、のっけから自転車道路網政策の白紙撤回を表明するなど不安な一面をみせていますが、老朽化した県営施設をどのように運営していくのか手腕が問われるように思います。同じく県営(府営)の京都向日町競輪場では、なにやら新しい動きがありそうです。(つづく)

シマノ自転車博物館「ロードバイクの進化」展

昨年リニューアルしたシマノ自転車博物館に行ってきました。

 

 

もともと、大仙公園の仁徳天皇陵の南西側に博物館ですが、シマノが創業100周年を迎えた昨春に3.5倍に増床しリニューアルしました。新施設は以前の場所から北に1km、堺市役所などがある市の中心駅の南海高野線「堺東」駅から徒歩5分の好立地で、新しく建てられた自社施設となっています。大阪市内からだと南海「なんば」から乗り換えなしで20分ほどで行けるようになり利便性が向上、特別展「ロードバイクの進化展」を見てきました。

 

 

入館料は一般500円、自転車に興味のない小学生から自転車マニアまで誰でも楽しめるようディスプレイ方法や映像で工夫されていて、充分に満足できると思います。ビルは4階建構造で1、2、4階が鑑賞エリアとなっていて、特別展は4階北側の特別展示室で開催されていました。

 

 

展示のロードバイクはスチール・アルミ・カーボン製の車両がそれぞれ1台づつあり、東京オリンピックが開催された60年代から現在までを「近代化の時代」「挑戦の時代」「科学の時代」の3つの時代に分け、当時の機材と同時代に使用されていたウエアやシューズと併せた展示となっています。

 

 

前々回のブログ投稿で戦後復興期に開催されたロードレース「ツーリスト・トロフィ選手権」に向けて開発されたアルミ合金自転車の三菱重工「三菱十字号」を紹介しましたが、同モデルは現在のロードバイクとは大きく異なることは、誰の目に明らかだと思います。その後、自転車競技法は施行され、競輪が国内で実施されるとスポーツ自転車熱が沸騰、国内メーカーは1964年東京五輪が開催される頃には、欧州の技術水準に匹敵するロード車を内製できるまでになりました。

 


三菱重工「三菱十字号」(常設)

 

欧州の中でも、イタリアとフランスは選手経験を持つフレームビルダーが次々と現れ、経験を生かした高性能な競走専用自転車生産、展示の1972年製「CINELLI」は、フレームのスチールに様々な混ぜものをすることで強度や剛性を高め、軽量化されたロードレーサーです。円筒型の細身の鋼管はダイヤモンド形状で、高速走行するための機能美が追及されています。

 


近代化の象徴イタリア製のスチールロード「CINELLI」

 

80年代に入るとフレームはスチールからアルミやカーボンといった新素材へと進化し、欧州の伝統的なファクトリーに加えて、北米やアジアのメーカーも欧州レースに参戦します。米「cannondale」は伝統にとらわれない太径アルミと独自のアルミ溶接で新境地を開拓、90年には変速やペダルにも今までにない画期的な機構が登場し変革が起こりました。

 


▲ 挑戦の時代のアルミロード「cannondale」

 

さらに、これまで試行錯誤を繰り返していたカーボン(炭素繊維強化プラスチック)フレームのモノコック生産が確立、2000年以降は高レベルな強度と剛性に加えて、科学的実験に基づいた最先端の空力や設計が研究され、変速システムは電子制御へ進化しました。これらの進化はレース用途だけでなく、サイクリングを楽しむ層にも浸透し、「GIANT」の新型の女性向けカーボンロードバイク「LIV」が展示されていました。

 


▲ 科学の時代のカーボン製ロードGIANT「LIV」

 

これらの車両以外にも、特別展ではスチール・アルミ・カーボンの重量差が比較できるフレーム展示や昔のロードレースの資料も展示され、併せて進化の変遷を体感できるようになっていました。展示は2024年3月31日(日)にまでとなっています。ロードバイク好きならずとも是非ご体感ください。

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