1月、第166回芥川賞が発表され、地方公務員の砂川文次さんの「ブラックボックス」が選ばれました。砂川さんは、1990年大阪府生まれの男性で元自衛官だそうです。
作品の舞台はコロナ禍の東京、自転車メッセンジャーのエースとして都内をひた走る主人公サクマの等身大の日常を描いた作品となっています。

自転車便メッセンジャーは1990年代に国内で解禁となり、映画「メッセンジャー」(1999年)は、当時のトップアイドルグループ「SMAP」の草彅剛メンバーが主演し注目されました。都会的でスタイリッシュなスポーツ自転車を使用した新業態は、郵政省独占だった郵便事業に風穴を開け、ファッションとしても「メッセンジャーバッグ」というショルダーバッグが流行しました。
この映画は国内の自転車業界にも新風を吹き込みました。panaracer「T-serv」タイヤやsugino「RDメッセンジャー」クランクセットなど自転車便をコンセプトにした今までにない商品がいくつか生まれました。その中でも後の輪業に大きな影響を与えたバイクがGIANT「FCR」というメッセンジャーバイクです。

このバイクはインターナショナルモデルであるロードバイクの「OCR」のハンドルバーをストレートハンドルにモディファイした国内向け商材で、マウンテンバイクが主流だった当時の日本のスポーツバイク市場に大きなインパクトを与えました。そしてさらにコモディティ化したモデル「ESCAPE」は、「クロスバイク」という新市場をつくり、スタンダードモデルとして定着しました。これによりGIANTは子供車や低廉なマウンテンバイク類型車を製造しているアジアのインチキ臭いメーカーというイメージから脱却し、欧米の一流メーカーと伍するブランドと認識されるようになります。
しかし近頃、大阪では自転車便メッセンジャーを見る機会がめっきりと少なくなっています。
インターネット通信、脱ハンコ、テレワーク。時代の流れのせいか、かつては複数存在していた自転車便業社も今では、個人で数名が稼働している程度になっているそうです。都市の規模は違えど、東京もこのような状況は同じで、小説でもこのような時代背景がサクマを苦しめます。
Yahoo!ニュースをスワイプする、レッドブルの缶をゴミ箱の丸穴に入れる、給料が安いながらもトラブルで職を転々としていたサクマが手に入れたメッセンジャーという自由で誇りある理想的な日々は、反抗的な性格が原因となり、離職。そして、それまで見下していたUBER EATSのデリバリーパートナーをしながら無気力な生活をしているサクマをドン底に落とす報告が突きつけられるというのが本作のあらすじです。
芥川賞受賞の大作ですが、私でもスイスイ読めるくらいに読み易い文体で、急展開する中盤以降は理想と現実が交錯しながらクライマックスとなり、将来なき現代日本の儚さをサクマという人物を通して描いています。
小説には「ケイデンス」や「アーレンキー」といった難しい自転車用語や「バッソ」「キャノンデール」といったロードバイクに関心のない読者なら耳にしたことないような自転車のブランド名も登場しています。逆に自転車好きには、あるあるネタのような描写が随所にあり、読み進めているうちに自然とサクマが自分自身と重なり引き込まれていきます。
タイトルの「ブラックボックス」とは外から閉鎖され見えない空間や状態のことと作中では表現されています。
自転車業界では、クランク軸の回転部品「BB」の別称をこのように表現することがあります。BBはボトムブラケット(BottomBracket)の略称で、ヒトでいうと心臓のような重要な役割があり、構造が複雑でガタが発生するなど不調が起きやすい部品です。フレームの中に入っているため目視点検ができず、規格も乱立しています。故障していると分かっていても、外さなければどの規格が使用されているのか判別できない場合も多く、一度外すとビックリ箱の様に戻すことができなくなってしまうためブラックボックス(BlackBox)と揶揄されています。スポーツ自転車用語というより、ママチャリ販売店で「クランクにガタのある自転車」を指す隠語なので、砂川さんがこれを意図してタイトルに使用したのかは分かりません。
急転直下の後半は、私を含め自由気ままに働いている人にはリアリティがあり肝を冷やします。特にUBERの配達員などワークスタイルを最近変えた人には示唆的で、読むとその後の行動が変わるかもしれませんので是非読んでみて下さい。


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