私の目の前に1冊の古い本があります。
数年前に入手したこの書籍は1982年に出版された「アフリカよ、キリマンジャロよ」というタイトルの冒険記で、著者は大阪出身の池本元光というアドベンチャーサイクリスト、79年にアフリカを走破した記録が綴られた1冊です。
私はこの冒険家が好きで、同書籍と前作「世界ペダル紀行㊤㊦」(1974)を併せて図書館で借り、以前に読んだことがあったので、購入後もしばらく読まずに書棚に置いていました。そして、忘れたころに何気なくページをめくってみて大変驚きました。

40年前の本の初頁には1枚に写真とともに著者のサインが書かれていたのです。
親愛なる
髙橋 勇さまへ
どうやらこの本は著者が自転車研究家の髙橋勇氏に贈った本だったようなのです。
– – –
(前回の続き)
大阪・河内長野市の自転車遊園地「関西サイクルスポーツセンター」の正面入り口を入って左手にターミナルハウスという2階建ての建物があります。1階部には総合案内所や売店がありスタッフもいるのですが、2階に上がると古い自転車や資料の展示コーナーがあり、賑やかな遊園地の中の静かな空間が広がっています。
これらの貴重な展示品は、関西の自転車企業から寄贈されたもので、なかでも高度経済成長期に大阪の自転車業界のリーダー役として存在感を示した城東輪業社(大阪市)の寺島常雄氏のコレクションが目を引きます。

当時は本格的な自転車博物館が国内にはなく、ニューサイクイリング誌(1973年1月号)では、前田工業の資料館と寺島・髙橋の両氏のコレクションの存在を挙げています。前田工業は変速機メーカー「サンツアー」として一時代を築きましたが1990年代に廃業、髙橋氏も他界し収集品が散逸状態にあります。
私は数年前から髙橋氏の収集していた書籍類の再収集のため、古書店や骨董市巡りなどをしていた経緯があり、冒頭のサイン本「アフリカよ、キリマンジャロよ」を偶然にも入手したのです。
著者の池本氏は1947年生まれで、髙橋氏のサポートを受け68年から4年4か月をかけ5大陸を走破、帰国後も同氏の紹介で関西サイクルスポーツセンターに勤務、自転車冒険家との二足のワラジを履きながら昨年に勇退されるまでセンターで勤めました。そして、ねぎらいを込め昨年11月から「世界を駆け抜けた自転車冒険家の軌跡」と題して、池本氏の愛車「タルーゼ号」など10台のキャンピング自転車が常設され、体験を伝えています。

▲ 1978年にキリマンジャロ登頂したタルーゼⅢ号
「タル―ゼ号」のネーミングは「やったるぜ!」という意気込みが由来でNational製のツーリング車です。池本氏は、髙橋氏とメーカーによるサポート、そして持ち前のタルーゼ精神により、世界五大陸走破やキリマンジャロ登頂など偉業を成し遂げます。
その冒険旅行は書籍だけでなく、雑誌広告やカレンダーにもなり、僻地の記憶とロマンを当時の人たちに紹介しました。バックパッカーのバイブルとされている沢木耕太郎「深夜特急」が1980年代の紀行書なので、その10年以上前に道なき道を単独で自走していたというのですから驚きです。

▲1974年ナショナル自転車のカレンダー (所蔵:サイクルショップ203)
アフリカから帰国後、池本氏は日本アドベンチャーサイクリストクラブ(JACC)を創設。自転車で世界一周を達成したメンバーを中心に構成されるこの団体には、植村直己賞受賞者の中西大輔氏や劇作家の平田オリザ氏などおよそ300名が所属、次世代へ夢をつなげています。

また、JACCが1982年から年4回発行している季刊紙「ペダリアン」は、150号を超え、現在の発行部数は10000部と冒険家たちの体験を伝え続けています。

センターには「タルーゼ号」を含む10台が出展者の行程やメッセージなどと共に展示されていますので、遊びに行った際は是非ご覧ください。




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