またの先月のブログで生駒山地にトレランに行った時の投稿のアクセス数が普段より良かったので、今度は暗峠から5キロほど南側の稜線にある十三峠(じゅうさんとうげ)に行ってきました。

 

jyusan touge

 

ロードバイクのクライマーには暗峠は全国的に知られていますが、あまりの急坂のためか、十三峠の方が地元のサイクリストに人気があり「サイクリストのための百名峠ガイド」(八重洲出版)では、特に大阪平野を一望できる夜景が魅力であるとして府下で唯一選出されています。峠道は舗装された一般道で、大阪側から峠を越えると奈良県平群町に抜けることができます。

ハイキング道に入ると額田谷と同様に霊山の雰囲気があり石仏や古寺が点在していて、マウンテンバイクで走行すると楽しそうだなと思ったのですが、条例で車両(自転車を含む)が走行できないエリアもあるようですので、少し時間をかけて調査し、また別の機会に紹介できればと考えています。

 

jyusan

 

山頂付近から平野を見下ろすと、麓にひと際目立つ白い建物が目に入ります。大阪経済法科大学です。大阪平野の東端、周辺には戸建て住宅や畑などがあり、峠道は同校の脇を通り、つづら折りになって山頂付近に続いています。

 

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大阪以外の他の都道府県の方は大学とというと普通は県庁所在地など市街地の真ん中で学生街などを形成するイメージかもしれませんが、大阪ではこのように山裾にへばりつく様に所在し、鉄道の終着駅からバスで揺られて通学するスタイルが多くなっています。比較として適切なのか分かりませんが、東京の山手線内側に東京大・早稲田大・慶応大・上智大・明治大・青山学院・学習院大・法政大学など枚挙にいとまがなく立地しているのに対し、大阪環状線の内側にメインキャンパスを構える総合大学はひとつもありません。

このキャンパスも交通アクセスは悪く、近鉄奈良線の東花園駅よりバスで15分かかり周辺には書店や飲食店などもなく学生生活を送るに不便な立地となっています。

 

osakakeho university

 

私立大学にはそれぞれ創立者の教育理念や方針など歴史があり、立地だけで大学を選ぶ人は少ないと思います。大阪経済法科大は沿革は他の大学と全く異なる独特な設立経緯があります。

同学園の創立者は金澤尚淑(金尚淑・キムサンスク)という在日朝鮮人で、1971年に文部省から設置の認可を受け、その後に理事長となりました。金澤は上本町にてトルコ風呂「上六トルコ」やアルバイトサロン、貸金業、パチンコ店などを経営、数十億という財を築きます。1964年10月、対立する暴力団の襲撃に備え山口組系暴力団員を用心棒に短銃、ライフル、日本刀で武装した疑いで大阪府警に逮捕され、懲役2年6ヶ月執行猶予3年の判決が下されます。それ以前にも、傷害・暴行行為で逮捕歴のある金澤は裁判にて「反社会的性格の持ち主」とされ、大学の設立許可がなかなかおりませんでした。そこで、サントリーの佐治慶三やダイエーの中内功など関西の財界人を網羅した評議会名簿を作成、金澤は今後とも理事会に参加しない誓約書付きで許可がおります。

 

 

osakakeho

 

ところが、文部省より許可が下りると72年に金澤が理事に就任、大学をコリアンの「民族財産」と位置付け、管理部門の人事をほとんど在日コリアンにするなど独裁的な支配体制で様々な問題が発生します。78年には合格者以外の受験生をほぼ全員を補欠合格とし「協力金」を条件に入学を許可するという通知を送付、このことが2月15日付毎日新聞大阪版が報道されます。さらに80年には一部の受験生に合格通知と不合格通知が二重に届く事態が発生、また同年、進路指導担当の複数の高校教師に2~5万円の商品券を配った事実を読売新聞にて明らかにされます。

 

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読売新聞 [大阪版] 1980年12月12日夕刊

 

なぜ、このような問題が立て続けに発生したのでしょうか。その内幕を同学園の元教授である前圭一(まえ・けいいち)氏が「闇を拓く光」(2014,ウインかもがわ)という書籍に綴っています。

同書によると金澤理事は支配体制に歯向かう教員を元ヤクザを雇用するなどして強要、通常では考えられないようなワンマン支配で不満をあらわにする教員を次々と解雇するなど、理事会と教員組合が対立し紛争状態で大学として体をなしていなかったとしています。ただ、この書籍は暴露本のような内容なので、双方の意見を聞かなければ真実は見えてこないように思います。残念ながら金澤理事は85年に死去、対立構造は表面化せずコップの中の嵐と終わり、学園は新体制となります。

 

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金澤氏が他界した後、理事長は長男の俊行(ジュネン)氏に、副学長に呉原清達(呉清達・ゴチョンダル)氏が就任、しかし今度は呉原副学長に「北朝鮮工作員」疑惑の文春砲が襲い掛かります。

 

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週刊文春   1999年9月から6回にわたって連載された呉原副学長「スパイ疑惑」

 

 

呉原副学長は1941年大阪生まれの在日2世、朝鮮総連大阪に所属した活動家の家系に生まれ、大阪大学工学部を卒業後の87年から大学の理事となります。「週刊文春」は99年9月から6回にわたって呉原副学長の記事を連載、75年に韓国ソウルで在日韓国人学生が21人逮捕された「学園浸透スパイ事件」に関与を示唆、副学長を「金正日”直属スパイ”」と見出しを掲げ関係者の証言や証拠を掲載します。

これに対し呉原副学長は事実無根であると損害賠償を請求、大阪地裁は文春の記事に「真実の立証、相当性がない」とし300万円の支払いを命じます。しかしながら、北朝鮮との不透明な関係性を問題視され志願者は激減、学園は存亡の危機に陥ってしまいます。このような状況に「闇を拓く光」では経法大には過去と現在はあるが、未来がないとしています。ちなみに、文春側が記事の真贋性を立証できなかったのは、執筆したライターのきむ・むい氏がルポの発表直後に自宅アパートの一室で死体となり発見され、部屋からは取材ノートやカセットテープがなくなっていたためです。

 

本ブログでは昨年から大阪市の自転車小売業の実態研究の一環で、在日朝鮮人の「鉄くず」回収業の戦後史を紹介しています。私は在日朝鮮人ではありませんが、在日朝鮮人の文化や思考は調べれば調べるほど独特で、ひきつけるものがあるように思います。しかし、教育の現場に理事長の強いイデオロギーを持ち込むのは、森友学園問題でどうしても拒否感があり、大阪人としては素直に受け入れることができません。経法大が今後どのような未来を描くかは分かりませんが、同学園のホームページには今でも「建学の理念」として金澤の信念が掲げられています。

 

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建設中止となった、森友学園「瑞穂の国記念小学校」 (2022年4月撮影)

 

ロシアのウクライナ侵攻によりまた世界情勢が大きく変化しています。日本はいまだ北朝鮮と国交がなく、朝鮮半島も統一の兆しがみえません。私は経法大の卒業生でも関係者でもありませんが、同学園が膠着している日朝関係を懐柔し東アジアの発展に寄与する窓口となるように期待したいと思っています。

 

 

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日本から北朝鮮に輸出される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

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