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今年の3月から調査中の生駒山西麓の「ホトトギスの道」ですが、今のところ有力な情報もなく、当時の状況や頓挫している再開計画の詳細は依然としてよく分からないままです。本ブログでは、このサイクリング道の再開のため、自転車走行禁止になった詳しい経緯や整備道の現状などを調べております。長年放置され、役所でももはや存在そのものが忘れ去られた荒道に再び光をあてるべく調査を継続、中之島の図書館に向かいました。

 

【参考】
えっ?!自転車走行禁止のサイクリング道「ホトトギスの道」(2024年3月17日投稿)
幻の自転車道「ホトトギスの道」の全貌とは         (2024年3月24日投稿)

 

 

大阪府には府立図書館が東大阪と中之島に2館あり、中之島は主にビジネス書と郷土資料を所蔵、2012年に橋下徹知事が廃館を表明しましたが、13年に松井一郎知事が撤回、耐震工事や外壁リニューアルをして、現在も書庫の工事中で、明治期の中之島の歴史的な建造物のひとつとして、図書館機能を堅持しています。大阪市内には西区北堀江の大阪市立図書館もあり二重行政のひとつと位置付けていましたが、廃止が報道されると抗議が殺到、すると一転して、三軒隣に絵本など児童書専門の図書館「こども本の森 中之島」が20年新設されました。

ただ中之島図書館は古い建物ゆえに市立図書館と比べ利用しづらく、法律で設置が義務付けられている駐輪場の設置もありません。個人的には統合して民間に貸し出してレストラン等にした方がいいと橋下案を支持していましたが、北堀江にない持ち出し厳禁の古い府政資料があるようなので閲覧しました。

 

中之島は2021年に「こども本の森」の前を通る車道を自動車通行禁止に再整備、憩いの空間が広がりました。市内は外国人観光客であふれている場所もありますが、中之島は歴史景観と都市公園の緑地が見事に融合した美しい地区なのですが、大阪らしさがないためか外国人観光客の姿はあまりありません。

中之島公園では、以前に大阪市が主催で「スマイルサイクルフェスタ」という交通マナーや交通安全をテーマにした自転車イベントを開催、市の関係者に聞くと予想以上の人出があり好評だったようです。しかしながら、予算がカットとなり、18年以降は開催が見送られ今年も開催されないようです。近年では、主婦や自走式自転車の利用者の交通違反動画をSNSで拡散することが娯楽化していて、今こそこのような啓発イベントを開催する意味があるように思います。

 

 

少し話がそれてしましましたが、中之島図書館には「府政百年記念 府民の森」という1968年に府の農林部が作成した資料が蔵書されているようなので、書庫から取り寄せ、事業のあらましを調べました。1週間待って司書の方が差し出した資料は1枚モノの見開きで詳細な記述がないパンフレットのようなもの、分厚い年史のようなものを想像していただけに落胆しました。

資料を開くと帯となった生駒山の山影写真がヘッダーとなり、その下にスケッチとポエムが並んでいました。
スケッチは風景画と挿絵・詳細に描かれた地図がそれぞれ数点あり、事業はあらましが小さく書かれていました。

 

 

地図は割と山道や谷が詳細に描かれ森と森をつなぐ自転車専用道のコースも記されています。1969年3月20日の読売新聞にはサイクリングコースは全長55km、10ヶ年計画で総工費が90億円余り「生駒山を貫く壮大な計画」と紹介され、「ホトトギスの道」という呼称こそみられませんが、計画が遂行されていたことが分かります。また、1992年10月9日の朝日新聞によると自転車道がゲートで閉鎖されたのは1979年であることが分かりました。

 

 

 

資料のあらましには1967年からの9年間で事業費60億円、自転車道は40kmと掲載されていますが、計画と言っていい程の計画はなく完全にどんぶり勘定で、事業自体も明解に大失敗で幻となっています。

 

事業期間  昭和42年度から昭和50年度まで(9ヶ年)
事業費 約60億円
面積  約560ヘクタール 4地区
道路 自動車道(5メートル) 15キロメートル
   自転車道(3メートル) 40キロメートル
   遊歩道(2メートル) 60キロメートル
緑地帯として道路を含め巾員30メートルとし展望台苑35ヘクタールを設置する。

 

これらの無謀な計画は鳥取環境大の吉村元男客員教授が現地調査やデータの収集を含めて、わずか10日で作成を依頼されたもので、時間的な余裕がなく論理的な筋立ては「簡略化」され政府に提出されたようです。というのも、プロジェクトは大阪湾の埋め立てに使用される採石事業の妨害が主目的で、自転車道の敷設など美辞麗句は口実にすぎなかったのです。

 

 

1979年から放置されていた自転車道は、92年に北川イッセイ府議会議員の指摘により、農林水産部長が出入り口の改修と自転車道ネットワークの形成のため様々な施策を協議したいと復活させる意向を示し、9月には開放イベントが開催、家族連れから最高齢の70歳男性など600名、広がり始めたマウンテンバイクブームに多くサイクリストが参加しました。

 

「家族とふれあうゆとりができた」
「自転車ほどおもしろいものはおまへんなあ」

 

北川氏は現地に何度も足を運び計画を「ほんとうに素晴らしい」と絶賛、古い行政資料を発掘し繰り返し陳情しました。その後、北川氏は第2次安倍内閣で国土交通副大臣を歴任、21年に志なかばで永眠されたようです。

 

 

北川氏の死後も門扉は固く閉ざされ、もはや管理道が自転車道であったことも忘れ去られようとしていますが、私は暗峠を含めて、遅れている大阪のサイクルツーリズムの起爆剤として再活用すべきと考えています。今後も再開のための調査を続けていきたいと思います。

 

 

 

<生駒山 ホトトギスの道 年表>
1958 生駒山 国定公園に指定
1968 府民の森計画 開発開始
1969 読売新聞「90億円 壮大な計画」と紹介
1973 ホトトギスの道が開通
1979   ゲートが閉鎖 (自転車道 廃道)
1992 府議会での質疑
2002 府議会にて再陳情