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2021年03月の記事一覧

奈良競輪は本当に盛り上げっているのか

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少し前のインターネットのニュースで奈良県営競輪の売り上げが急増しているという記事が取り上げられていたので、実態を確認すべく奈良競輪場に行ってみました。

nara keirin

奈良競輪場は大阪市内から近鉄電車でおよそ1時間、平城宮のある平城駅で下車して、徒歩10分ほどの場所にあります。

 

kintetsu

古都として繁栄した一帯には、古墳や寺院と昔ながらの田園風景が広がっています。競輪場以外には高層の建造物はあまりなく、電車の車窓からも、競輪場が確認できますので、迷うことなくたどり着けます。

 

heijyou

奈良競輪場は県営施設です。関西では奈良の他に和歌山が県営で、京都向日町競輪場が府営となっています。以前の投稿で、大阪府の公営競技場が知事の意向により全廃された鳴尾事件について投稿しましたが、兵庫・滋賀県も老朽化や収益性などを理由に平成期に廃止されました。全国に60以上あった施設も現在では42施設となり、統括するJKAはこの体制を堅持する意向を強く示しています。

 

nara kennei kyougijyou

バンクは直線の短い333m、1950年に開設のようです。70年経つとさすがに建物の老朽化が目立ち、走路も亀裂を補修したような跡が残っています。施設は古いのですが、ナイター設備があり、この日も夜の20時半まで競走が行われるようでした。

 

333m bank

毎日新聞の記事によると、奈良競輪の車券販売金は2019年度が約131億円、20年度はその1.4倍となる187億円となる見込みだそうです。そんなに好調なら観客席には多くのファンがいるのだろうと普通は思いますが、暖かな日和にも関わらず、観客席はガラガラです。なんと見渡す限りの空席。出入り自由なので正確な観戦者数は分かりませんが、多く見ても50人もいないのではないでしょうか。

 

nara bank

 

売上急増なのにこの散々な有様は、一体どういうことなのでしょうか。

競輪の車券の売上げは5年程前に底を打ち、その後、女子競輪の復活などで人気が回復してきています。一方で、競輪場の入場者は、減少に歯止めがかからなくなっている現状があります。

パチンコやカジノなどと異なり競輪を含む公営競技はインターネットによる投票が合法化されています。ファンは競輪場に行くことなく自宅にいながら、スマホやパソコンで投票し、競走を配信動画で見ることができるのです。

県の担当者も毎日の取材に対し 「コロナ禍の『巣ごもり需要』が影響したと考えている。自宅で楽しめるため、ネットでの発売が大きく増えたのではないか」とネット投票が売上急増の原因だとしています。

 

keirin power
(出典: 経済産業省 競輪関連データ)

 

競輪場に行かなくても、車券が購入できる―
コロナやインターネット投票の普及は確かにファンの競輪場離れの要因になっているのかもしれません。

しかし、私はそれ以上に施設自体に問題があるのではないかと思っています。

 

深刻な競輪場の老朽化問題

この奈良競輪場も老朽化が激しく、ビニールシートがかけられていたり規制線が張られていて立入ができないエリアが結構あります。公共施設にもかかわらず、車いす用エレベーターや外国語案内も一切ないどころか、ほとんどの建物が耐震強度を満たしておらず閉鎖されていて、中には今にも崩れてきそうなものもありました。

nara velodrome

 

競走開催日なのに場内にある休憩場や飲食店もほとんど閉まっていて、野球場やサッカーのスタジアムとは全く違う場末感が漂っています。廃屋化してもうなんだかわかんないオンボロの建物があったり、管理ができないのか街路樹は伐採され、地面のアスファルトも継ぎはぎだらけでボコボコで、本当にここが21世紀の日本なのか疑いたくなるほどです。繰り返しになりますが県運営の公共施設です。

 

niconico

 

さらに、みなさんに知っていただきたいのは、こういう状況は奈良競輪だけでなく、他の競輪場も大差なく、奈良はむしろ08年にはアジア大会も開催されたり、これでも報道の通り好調な施設なのです。全国のほとんどの競輪場は開場から半世紀を超過し、過渡期を迎え、各地で存廃の議論がなされ始めているのです。
車券の売上げが好調なのにJKAが、体制を現状維持に留めているのも、このような背景があるからなのです。

では、競輪場はこのままオワコン化してしまうのでしょうか。

deep nara

 

注目される国際規格の新しい千葉競輪場

千葉市が運営している千葉競輪場も開場から70年が経過し、廃止が検討されていました。千葉県にはもう一つ松戸市が運営する松戸競輪場があるだけでなく、県内に競馬場も2施設抱えています。

なんとか改修し、存続を希望する競輪関係者に対し、千葉市市長は驚きのプランを提示します。

 

chibacity 250
画像:千葉市のホームページより

 

現状の老朽化したバンクを解体し、建設費70億をかけて国際規格の屋根付きバンクを千葉公園内に建設するとしたのです。

市長は自身のSNSで「国際規格での競輪実施は千葉市のみならず日本にとって大きな挑戦です。」とし、市民が誇れる場所にすると意気込み、計画では250mの板張りトラックに客席も3000席設ける設計になっているようです。

関係者も仰天したこのプランを先導した市長こそが、先日、森田知事の後を受け千葉知事に当選した熊谷俊人氏なのです。

私は千葉市のことはあまり詳しくありませんが千葉公園というのは千葉市の中心にある大きな公園なので、大阪でいうなら天王寺公園か中之島公園に相当するような公園なのでしょうか。大阪人の私からするとそんな場所に競輪場があるのが少し驚きなのですが、特に熊谷氏は、これらを含む公園管理の実績を高く評価され、他の候補に100万票以上の差をつけての圧勝となったのです。

 

chiba keirin
写真:千葉市のホームページより

 

さらに、千葉市は同施設で「250ケイリン」(仮称)という新ルールの競輪を年内中に実施するとしています。この競技がどれほど盛り上がるかは分かりませんが、JKAは「今までとは違うスポーツエンターテイメント色の強い演出」の競輪を実施するとしています。

私はこの「250ケイリン」が今後の競輪場運営に大きな影響を与えるではないかと考えています。

同競技が成功すれば、存廃議論中の他の老朽施設も新規格の競技場にドミノ倒しの様に変わり、一気に競輪のイメージが変わり、新しいファンの獲得ができるのではないかと考えています。

 

夢のような話をしましたが、最後に奈良競輪場に話を戻したいと思います。

同施設は千葉市と異なり見渡す限り水田が広がる場所に所在しています。奈良県民であっても、通りすがりに行けるような場所ではありません。しかし、観光資源として平城宮を始め寺院や古墳が点在しています。私は、この奈良競輪場を広島・尾道市「Onomichi U2」のように、地域観光の拠点として再活用してはどうかと考えます。

onomichi u2 hotelcycle

 

施設改修のお手本「Onomichi U2」

今、国内の観光業において「サイクルツーリズム」という言葉がキーワードとなっています。

国土交通省が後押しをする自転車を活かした観光スタイルなのですが、私の知る限りこの言葉が使われ出したのは2010年代中頃とそう古い言葉ではなく、日本独自の和製英語ではないのかと思っています。仏語由来の「シクロツーリズム」と混同されることがあるかもしれませんが、「サイクルツーリズム」は地域振興といった意味を含蓄した全く違う新語で、いつの間にやら自転車雑誌などでも多く目にするようになってきたと感じています。

この言葉の普及にも一役買ったのが、この広島・尾道市「Onomichi U2」です。

 

onomichi u2

 

2014年開業の同施設は、使用されなくなった海沿いの県営倉庫をリノベーションした施設で、道の駅の様な地域物産・飲食店と宿泊施設がある複合施設です。普通の道の駅と異なるのは「スポーツ自転車」をコンセプトとしていて、運営は民間に委託しているようでした。

私は2016年に宿泊したのですが、行ってみて本当に驚きました。

施設がかつて倉庫であったことを思わせる部分は残りながらも「禅」のような日本的で落ち着いたおしゃれな異空間が館内に広がっていたのです。

 

cogbar

 

温泉もない、仲居さんもいない、過度なサービスもない、窓もない閉鎖された宿泊部屋。それでも宿泊して不満に感じないのは、芸術的な内装やライティングなどのコンセプトが総合的に考え抜かれた施設だからなのだと思います。

尾道は階段の町として知られ決して、自転車の乗りやすい場所ではありませんでした。「Onomichi U2」開業以来、四国と尾道を結ぶ一般道「しまなみ海道」はサイクリストから聖地化され、多くの観光客で連日賑わい、成功事例として全国に同じようなコンセプトを掲げた施設も後を追うように開業しています。

 

hotel u2 sofa

私は奈良県が千葉市や尾道市に劣っていると言いたいのではありません。
千葉には千葉の良さがあり、奈良には奈良の良さがあり、尾道を真似ても同じように成功する訳ではないということは分かっています。

競輪が公営競技の王者だった時代は遠く昔のことであり、施設の老朽化などによりイメージも良いものではなくなってきています。公営賭博に反対する意見もありますが、ギャンブルのない先進国はというのはありません。

全国にパチンコ店は10000施設あります。それと比べると競輪場というのはまだまだ発展の余地があり、千葉競輪場の「250ケイリン」はその一端ではないかと、そう私は考えます。

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自転車パーツ合同展示会 @京都2021春

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コロナの影響でしばらく展示会がなかったのですが、久しぶりに京都にて自転車パーツの合同展示会が催されていたので行ってきました。

 

iwai shoukai

京都の老舗自転車卸商の岩井商会が主催する小売店向け展示会で、主にスポーツ自転車を扱う西日本の関係先向けのイベントです。

 

kyoto cycle

小売業としてあまり仕入れ先を明らかにするというのは、ライバル店に手のウチを明かすような行為であり、メリットもないように思えますが、最近では消費者では見分けがつかないほど精巧にできたコピー商品(偽物)が出回ったりしてますので、SNSや動画などで公明正大に可能な限り店の実情をオープンにしている店も増えているように感じます。

 

cycleparts kyoto

入場制限などコロナ拡散の対策が取られた展示会で、そのせいか来場した方が例年より人影がまばらだと口にしていました。

 

注目のコロナ時代の新製品

さて、注目の新商品の動向なのですが、定番商品の安定供給が優先され例年に比べ華がなく、なかには「新商品はありません」というメーカーもありました。

 

それでも意欲的なメーカーが数社ありましたので、注目の新製品をピックアップし紹介したいと思います。

 

ogk helmet

まずは東大阪のヘルメットメーカーOGK kabutoから、通勤など街乗り向けのヘルメット「Canvas」は4800円という最低ラインの価格設定で10カラー展開と次世代の日本の標準スポーツヘルメットとなりそうな安定感です。ユニクロのこれでええやろ感に近い感じです。

 

irc tire

IRC 井上タイヤからは、チューブレスレディ対応のグラベルバイク向けタイヤ「BOKEN」。サイドに補強材が入っていてサイドカットに強いオールコンディションタイヤです。

 

cateye ampp500

東住吉のCATEYEは角型シェイプの充電式前照灯AMPPシリーズのリアル店舗限定モデルも追加発売。
自転車ライトはネット通販を介した盗品売買が問題になっています。なるべく現物の明るさを確認して、店舗で購入いただく方がいいのではないかと思います。

 

uber smartphone

フランスの老舗自転車用品メーカーZEFAL(ゼファール)から、スマホを入れたりするのに便利そうなトップチューブバッグ「Console Pack T2」を発売。UBERデリバリーパートナーからも需要ありそうです。

 

vittoria ebike

イタリアのタイヤメーカーvittoriaからは定番の街乗りタイヤ「RANDONNEUR」(ランドナー)のE-BIKE向け仕様「E-RANDONNEUR」が追加。サイズは700x48cと少し太い規格で、29×1.95インチと互換があります。

 

品不足? 予想が難しい不安定な自転車パーツのサプライ

コロナの影響で自転車パーツのサプライチェーンが不安定になっています。納期の遅れや生産の中止、長期欠品など影響も出てきています。どの業界にも言えることなのかもしれませんが先行きが不透明な状況が今後も続き、さらに悪くなる覚悟も必要だと噂されています。

サイクルショップ203としても経験のない状況を乗り切るため、ストックを多く抱えるなど通常業務に支障がないように一応の対策は講じていますが、事態が長期戦なればなるほど各メーカーの状況も悪化していくことは確実ですので、ただただ早期終息を願うばかりです。

 

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【歴史ポタリング】大久保利通の「大阪都構想」

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「高いところから失礼します。大阪の成長のために必要なんです。
都構想を再挑戦させてください。あの昔の、二重行政の…」

 

店前につけられたトラックの荷台には吉村洋文知事が乗っており、フリップを片手に演説が始まった。

 

yoshimura osaka

 

ソーシャルディスタンス演説と銘打たれたこの演説の聴衆は私を合わせて10人ほど、都構想の意義を丁寧に説明する姿は真面目そのもの。しかし、投票日を翌日に控え、連日各局のテレビに出演し大忙しのはずの知事を囲む人はあまりにも少なく、聞き入りながらも、もう少し別のやり方があるのではないかと思えるほどでした。

一方で、反対派は反目しあう自民・共産が手を組み、なりふり構ない姿勢で対抗。結果はご存じの通り前回同様に反対派が僅差で勝利し、知事の掲げる「大阪都構想」は実現には至りませんでした。

反対派のひとつの意見としては、「都」といっても別に東京都のように首都機能が備わる訳ではなく「大阪市」がただ消滅するだけであり、大阪の成長には「都構想」はふさわしくないという主張です。

 

– –

 

昨年のあの住民投票ももう随分前のように感じますが、
今から遡ることおよそ150年、1868(明治元)年に京都から大阪を首都を移転する「大阪遷都論」が議論されていたのをご存じでしょうか。

作家の若一光司氏は著書「大阪が首都でありえた日」(1996,三五館)のなかで、桜の通り抜けで知られる天満の造幣局は、その名残であるとしています。

一体、どういうことなのでしょうか。
当時の足跡をたどるためにサイクリングにいってきました。

 

盛泉寺 (守口市) スタート

1868年、徳川幕府の大政奉還を受け、維新の指導者であった大久保利通は、京都から大阪に首都を移転する「大坂遷都論」を進言、公家や諸大名が異議を唱えるなか、行幸という形で15歳の少年天皇を大阪へ向かわせます。大久保は天皇を公家から引き離すことで、新政府の権力を掌握できると考えたのです。

遷都の意思を持った行幸で、3月21日に三種の神器の八咫鏡と共に明治天皇は初めて京都を離れ、守口市の盛泉寺に到着、ここで天皇が初めて御所の外で一夜を過ごされます。

 

osaka shuto

 

盛泉寺 ~ 難宗寺 (守口市)  約3分

当時のことが分かるものが何かあるかと思いサイクリングでいってみたのですが、盛泉寺は門扉が閉ざされていて境内に入ることができなったので、近くにあるゆかりの寺社の難宗寺を参拝。こちらのお寺もそれほど参拝者が多く訪れるような雰囲気の寺院ではありませんでしたが、樹齢500年のいちょうの木が保存樹木として神木化されていたので、秋に本気出すタイプの寺やなと勝手に解釈して写真だけ撮って大阪方面に向かいました。

 

moriguchi

 

難宗寺 ~ 淀川 約20分

一泊した明治天皇は、天満橋の八軒家浜を目指し船で淀川を下り大阪に向かいます。
河川敷は整備されていて「淀川サイクリングロード」になっていて信号もなく気持ちよく走ることができます。
ただ、一定区間ごとに自転車を止め、ペダルを平行にしないと通行できない車止めの鉄柵がつくられています。この鉄柵さえなければ、もっと走行しやすくいいサイクリングロードになると思うのですが、、

 

yodogawa

 

淀川沿いを1時間ほど走り、大阪市内に入り毛馬(けま)の閘門(こうもん)で進路を南に変え、大川を下ります。大川も自転車道が整備されていて、中之島まで舗装された川沿いを走行することができます。

 

okawa

 

造幣局 ~ 北御堂 約30分

新政府は大久保の建白書により新首都の候補地である大阪に硬貨を鋳造する造幣局本局を設置することが決ます。しかし、こうした一連の大久保の行動に異を唱える人物がいました。のちに”郵政の父”とされる前島密です。前島は大阪の欠点を指摘、蝦夷地に近い江戸を新首都にすべきだという「江戸遷都論」を展開し両氏は対立します。

 

zouheikyoku

 

明治天皇は、坐間神社大阪城住吉大社天王寺公園などを訪問するなどおよそ1ヶ月間大阪に滞在、京都で足止めを食らっていた大久保は公家などを説得し、ようやく北御堂にて天皇への面会が許されます。

 

kitamido

 

北御堂 ~ 天保山 約50分

200年以上にわたって歴代天皇が目にすることができなかった海。

tenpozan

 

大久保は天保山に近代的な軍艦を並べ明治天皇に見ていただき、海軍の威力を用いて旧幕府軍の息の根を止め、天皇と一体化した新政府を大阪に樹立しようとしたのです。

ところが天皇が大坂から京都に還幸するやいなや風雲急を告げる事態が起こります。
江戸城が無血開城されると今度は江戸行幸が決定、江戸はそのまま東京となり事実上の首都となったのです。

 

meiji tenpozan

明治天皇が観艦した場所にはそれを示す碑が建てられいました。天保山と言えば海遊館ぐらいしか知りませんでしたが、そんな歴史があったんですね。

 

tenpozan 4.53m

ちょうどおなかがすいたので、近くにあったレトロなビルを改装したいい雰囲気のうどん店に行ってみました。

mitsuishosen

 

「カルボナーラうどん」という、これまたおしゃれなメニューです。カフェじゃなくて、うどん店というのがまた大阪らしくていいですね。

 

osaka udon

若一氏は自身の歴史音痴ぶりに自省の念を込めながらも、これら幕末から維新にかけての疾風怒濤の時代についてまとめられた書物が皆無で、大坂遷都に関する資料の調査だけでも何日もの試行錯誤が必要だったとしています。

私もこの書籍を読んで初めて詳しい経緯を知り、もし大阪が首都になっていたら今頃どうなっていたのであろうかと思いながらゆかりの地を巡りました。日本の文明崩壊まで東京が首都であることは変わらないような絶対的権威をもっているように思っていましたが、歴史というものは前島や大久保のリーダーの考え方ひとつで大きく変わるんだなと改めて歴史を知ることの大切さや面白さを思い知りました。

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パナソニックミュージアムにいってきた  -幸之助が輪界に残した轍 -

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松下幸之助歴史博物館に行ってきました。

matsuhita kounosuke

パナソニックミュージアム松下幸之助歴史館は、大手電機メーカーPanasonicが運営している企業博物館です。大阪・門真市所在し、無料で貴重な同社の歴史資料や創業者松下幸之助の足跡をたどることができる施設となっています。

panasonic

大阪市内からだと自転車で1時間ほど、京阪電車なら西三荘駅から歩いてすぐの場所にあります。
施設は1968年開設のようですが、改装されていて分かりやすく落ち着いた雰囲気になっています。

コロナで密になるを懸念していましたが
私が伺ったのは平日だったので、ほとんど来場者はいませんでした。

 

panasonic muse

 

松下幸之助は和歌山に生まれ、わずか9歳で大阪・心斎橋の八幡筋にあった宮田火鉢店に丁稚奉公に出されます。しかし、勤め始めて数ヶ月で火鉢店は廃業となり、幸之助少年は船場にあった五代自転車店で商売のいろはを叩き込まれることになります。

 

godai matsushita

 

23歳になった幸之助は、親戚縁者の井植歳男と共に電気器具の製作所を立ち上げ、事業を軌道に乗せます。井植は後に三洋電機を立ち上げ、良きライバルとなり共に大きな企業へと成長しています。

 

公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない

 

幸之助は「産業人の使命は貧乏の克服である」とし、その為には物資の潤沢な供給により、消費者の手に安定的に良質なものを提供し豊かな社会を創造するべきだと考えます。この経営思想は「水道哲学」といわれ、以降の日本的経営の規範となっていきます。

話は逸れますがサイクルショップ203が「スポーツ自転車の大衆化」を標榜しているのも、この水道哲学が大きく影響しています。多くの人がスポーツ自転車を活用することで、豊かな自転車社会ができるのではないかという考えです。

 

panasonic light

 

元号が昭和に変わり、幸之助も32歳になったとき、少年期の丁稚時代の自転車店での思い出が蘇ってきます。

自転車用のコンパクトなランプを作り、これを国民の必需品にしようと商品名を「ナショナルランプ」と命名します。この商品が1年間に3万個のヒット商品となり「ナショナル」が電池式ライトの代名詞となります。

 

matsushita national

 

手持ち式だった「ナショナルランプ」は、ハンドルを両手で操舵できるように砲弾型にし、タイヤの上部に取り付けれるように砲弾型ヘッドライトとして実用新案を出願、30時間以上も使用し続けることができる電池式ライトは、従来のろうそく式や石油ランプを駆逐し、ナショナルの販売代理店は全国へとさらに拡大しています。

 

houdan light

 

その後、日本は大きな戦争を経験し、敗戦からの復興を目指します。
軍事産業であった三菱や片倉工業は、平和産業である自転車生産に転業、
自転車の大きな需要に商機をみた幸之助は、追随するように自転車の製造にとりかかります。

 

自分には自分に与えられたがある。
天与の尊いがある。

 

松下電器はすでに大きな企業となっていましたが、幸之助の自転車にかける情熱は特別なものがあったようです。1987年にはスポーツ自転車「POS」の生産を開始、軍事産業からの転換企業の撤退が相次ぐなかで、自転車は米国にも輸出され高く評価されます。

米国輸出するにあたって、Nationalの商標を変更せざるを得なかったためPanasonicという名称を使用します。この時、後に社名になるとは誰が予想したでしょうか。

 

panasonic electricbike

 

96年には家電製造で培った充電電池技術を生かし電動アシスト自転車「陽のあたる坂道」を発売。自転車は主婦層を中心に人気を博し「ママチャリ」という日本の独特の自転車文化が大発展していきます。ママチャリは日本人の土俗的な乗り物ようにも思えますが、1960年代半ばまでは不妊になると敬遠され、自転車は基本的に男性の乗り物で、世界的に見ても日本のように利用者の男女比が半々の国は稀な存在なのです。国内にて自転車が欧米の半値ほどで購入できるのも、ひょっとすると「水道哲学」の賜物なのかもしれません。

 

kounosuke matsushita

1989年「経営の神様」といわれた幸之助は、94歳でその生涯をとじます。

 

国民に明るい「道」を示したナショナルが「仏壇の灯」状態に

2001年にはPanasonicは電器部門の経営不振から傘下の自転車企業「宮田工業」を売却、08年には自転車タイヤ部門「パナレーサー」を中国企業に売却、自転車の製造も電動アシスト車に集中することでさらなる合理化をはかります。残念ながら、弊社との契約もこの時期をもって終了となりました。

自動掃除ロボットの開発技術力はあるが、
仏壇のろうそくが倒れて火事になるため商品化しない

私は家電業界のことはあまり詳しくありませんが、今もなおPanasonicが日本を代表するような超一流企業であることは間違いと思っています。ただ、もうナショナリストではありませんよとばかりにナショナルの看板を外し中国企業に事業を売却し目先の利益を得たり、祖業をないがしろにする姿勢は、聊かここでみたような翁の思いとは違うのではないかと思えてなりません。高い技術力を示したPanasonicが、自動掃除ロボットの開発に大きな遅れをとり、それがあたかも日本社会の問題であるといったこんな開発秘話は全く聞きたくはないものです。

kounosuke

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