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現在、西宮ガーデンズのある場所にはかつて「阪急西宮スタジアム」という野球場があり、プロ野球チーム阪急ブレーブスが本拠地として使用していました。そして、この球場で2002年まで西宮競輪が開催されていたことを昨年6月の本ブログで投稿しました。

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西宮競輪場では1993年11月に2900万円が奪われる強盗事件が発生、犯行は未解決のまま忘れ去られ時効を迎えました。その後、この事件が予期せぬ方向から、その犯行グループの姿が明らかにされました。

 

森下香枝著「グリコ・森永事件[最終報告]真犯人」(朝日新聞社,2007)
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2007年に出版された森下香枝著「真犯人」(朝日新聞社)は、前年に出版されたノンフィクションノベル「史上最大の銀行強盗」(朝日新聞社)をベースに、森本受刑囚や犯行リーダーの前田浩二への追加取材を加えたノンフィクション作品です。

 

「西宮競輪場の強盗事件も、鉄ちゃんと森本芳博と私の3人で下調べをしていた事件です。私が他の事件で逮捕された後、事件は鉄ちゃん、森本喜博で決行し、すべて成功しています」

 

犯行グループ「平成強盗団」はリーダーの前田を指示役に、実行部隊の森本喜博(よしひろ)、「鉄ちゃん」こと金翼哲(キム・イクチョル)の3人を中心にして、大阪の阪神ホテルの一室にて結成されました。グループは、小手調べに尼崎市園田の郵便局強盗を成功すると、西宮競輪場強盗を続けて決行します。

1993年11月24日11時、小倉競輪の場外車券の二日分の売上2740万円を積んだ「けんみん大和信用組合」西宮支店の2台のオートバイが競輪場の南東100mの西宮市高松町の路上で、突然二台の車に挟み撃ちにされ車から降りた男に短銃のようなものを突き付け職員を連行、現金運搬用の鍵を開けさせ強奪すると西宮市武庫之荘の路上で2人開放しました。

 

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朝日新聞 1993年11月24日夕刊 [大阪版]

 

競輪場強盗が成功すると犯行グループは次なるターゲットを神戸市元町の「福徳銀行」神戸支店に出入りする現金輸送車に絞り、下調べの尾行を繰り返しました。

1994年8月6日9時20分、JR元町駅から鯉川筋を60m南下した「福徳銀行」神戸支店に二人組の男が現金の詰まった3つのジュラルミンケースをわずか3分ほどで強奪、二人組は死角を突き、炎天下の繁華街を疾風のように目抜き通りを逆走し消え去っていきました。

国内の銀行強盗事件史上最高金額5億4000万円、二人のモンタージュ絵が作成され「サングラス男」「ミイラ男」とされ捜査されました。サングラス男が森本、ミイラ男がキムで、二人は犯行直後に強奪金の取り分を巡り揉め、それ以来一度も会うことはなかったようです。

 

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森本はその後海外に逃走、一連の事件の時効が成立すると帰国し2007年2月に名古屋市中区の「愛知信用金庫」西大須支店の駐車場にて、職員の持つジュラルミンケースを奪おうとし取り押さえられました。リーダーの前田は「5億4000万円強盗事件も鉄ちゃんがいればこそ成功したものであって、森本善博一人ではどうすることもできなかった」としています。懲役8年、奪おうとしたジュラルミンケースの中は空でした。

 

 

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<グループの起こした連続強盗事件>
・園田郵便局強盗事件 (1993年10月尼崎市)【未解決】500万
       ↓
・西宮競輪場強盗事件 (1993年11月西宮市)【未解決】2700万
       ↓
・福徳銀行強盗事件 (1994年8月神戸市)【未解決】5億4000万

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キムは在日二世、小学生時代の友人の末吉という苗字が気に入り、末吉鉄之助という通名で「鉄ちゃん」と呼ばれていました。実弟は帰化し「山下芳男」の日本名で大阪で鉄工所を経営、前田と山下は1997年7月27日に発生した東淀川のゴルフ場強盗事件で240万円奪った容疑で逮捕されています。

鉄ちゃんの実家は「鉄くず」回収工場で、朝鮮戦争の特需により一家は豊かな暮らしをしていたようです。柔道有段者で頭も良かったようですが「韓国人やから、就職できん」と定時制高校を中退し、父親の工場に「ダライ粉」と呼ばれる金属削りくずをオート三輪で収集する仕事をしていたようです。

 

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金属の削りくず「ダライ粉」 (写真の場所と本文は一切関係ありません)

 

本ブログではこれまで、「アパッチ族」の金時鐘、「吹田事件」の夫徳秀、朝鮮寺「龍王宮」の韓秀子管理人など在日朝鮮人による「鉄くず」関連の記事を投稿してきました。それぞれ違法行為には違いないのですが、各々複雑な事情があり、ブログを読んでいただくと悪人ではないことが分かると思います。しかし、鉄ちゃんはこの頃から古鉄盗みやヤクザの用心棒するなど前科14犯で「史上最大の銀行強盗」の片りんをみせていました。そして囚えられた前田・山下は、その凶悪な素性を供述しています。

 

はなよりも 箕面のさとの もみじ狩り みのひとつだに とれぬけいさつ

 

強盗事件が起こる10年前の1984年、昭和最大のミステリーとされる「グリコ・森永事件」が世を震撼させます。「かい人21面相」を名乗る犯人が、大阪の北部を中心に青酸ソーダ入りの菓子がバラ撒き挑戦状ともとれる犯行声明出す「劇場型犯罪」を繰り広げます。私の住む箕面でも毒入り菓子が見つかり、売り場では菓子の撤去が始まり、当時小学生だった私も憎き「かい人」の早期逮捕を待っていました。

 

一体、誰が何の目的でこんなことを、、
時効が成立し事件から38年の歳月を経た今でも謎は解明されていません。事件の発端は江崎グリコの江崎勝久社長の誘拐事件に始まり大事件へと発展し、謎を残したまま突如終わりを告げます。

 

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西宮市二見町の江崎邸跡 西宮競輪場から徒歩20分ほどで現在は駐車場となっている

 

グリコは道頓堀の広告看板で知られるように大阪の食品企業で、勝久社長はJR甲子園口から北へ300m先の閑静な住宅街の西宮市二見町に650平方メートルの敷地の2階建ての邸宅に家族と暮らしていました。84年3月18日夜、犯人は社長宅に侵入し、入浴中だった勝久社長を銃で脅し全裸のまま誘拐しました。

 

「ええか、グリコ・森永事件と5億4000万円の犯人は同じや」

 

社長はその後解放されますが、頭髪から少量の金属くずが採取されていました。連れ去られる際の目隠しに使用された布袋に微量に残っていたダライ粉が付着してしまったのです。

犯人のモンタージュ絵「キツネ目の男」が有名で単独犯のように思えてしまいますが、社長宅に押し入った犯人がすでに二人組で、鉄ちゃんは「ビデオ男」と呼ばれています。「ビデオ」というのは、事件が注目を集めていた同年10月に公開された「ファミリーマート 甲子園口店」の店内防犯ビデオのことで、撮影日時が森永の青酸入り菓子がバラ撒かれた時期で、どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相という紙が発見された事件です。このファミマは、江崎邸から60mと最寄りのコンビニで、鉄ちゃんの実家や競輪場も徒歩圏という立地で大胆な犯行です。

 

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国内最高金額の銀行強盗と戦後最大の怪事件の犯人が同一犯であるという衝撃的事実、犯人が特定されていて他のメンバーは逮捕されているのに、鉄ちゃんこと金翼哲はなぜ逮捕されないのでしょうか。

キムは福徳銀行強盗の強奪金を神戸市長田区のアパートの屋根裏に隠し、少しずつ資金洗浄をしていたのですが、犯行翌年にアパートが阪神大震災で被災し分け前の1億6000万円の大半が焼失してしまいます。そしてその後、神戸市中央区琴ノ緒町(ことのちょう)のマンションに住みパチンコ店で働いていました。

偶然なのですが、私も同時期に琴ノ緒町の二宮神社の向かいのワンルームマンションに住んでいました。福徳銀行まで歩いていける距離で、まだ震災の爪痕が残っていて少し寂しい雰囲気のする一角でした。もちろん凶悪犯が潜伏していたことを知るすべはありませんが、今思うとあの一帯は比較的捜査の目も及びにくい場所だったようにも思えます。

ところが1997年11月、自宅マンションを福徳銀行強盗の容疑で兵庫県警によって家宅捜索を受けます。強奪金は消失してしまっているためガサ入れは証拠不十分で失敗、キムは釈放されますが翌日に自宅から500m先で縊れた状態で発見されます。こうして、一連の犯行は時効が成立、県警の不手際もあるため未解決事件として処理され、謎を残したまま今でも世間を震撼させた怪事件として語り続けられているのです。