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9日、大阪にもようやく緊急事態宣言が発令されました。
大阪府全域で2月7日まで飲食店は夜の8時までの営業の時短営業となります。
サイクルショップ203は飲食店ではありませんが、感染拡大防止のため、通常より営業時間を1時間縮小し、期間中、19時までの営業とさせていただきます。ご迷惑をおかけしますが、ご理解お願いいたします。

コロナ以前、大阪は外国人観光客でにぎわい市中は活気がでていました。しかし、状況は一変し、観光業や飲食店の経営者から悲痛な声が聞こえてきます。政府は新型コロナ対策として、売り上げが前年同月比で50%以上減少している飲食業などに100万~200万円の「持続化給付金」を支給する緊急措置を決定、一時はコロナも沈静化したものの、関東1都3県を中心に再拡大し、大阪でも爆増しています。

 

このままでは、大阪の経済がもたない

緊急事態宣言の発令に伴う時短要請に応じた店舗には、1日当たり6万円の協力金が支給され、府の負担は最大350億円に上る可能性があるとされていて、維新体制の下、緊縮財政を続けていた府民には一層の負担が強いられます。

仮にワクチンや特効薬が開発されコロナが収束しても、飲食店や観光業から見返りとなる徴税ができるようになるのは、まだまだ先、それまで大阪はコロナが増える度に協力金をだすのでしょうか。もともとの財政状態が厳しいため、それも限界あります。

では、増税以外で必要なお金をねん出する方法があるのでしょうか。
「そんな、都合のいい方法があるなら、どこの都道府県でもやってるよ!」と思うかもしれませんが、大阪には他府県が精力的に行っている歳入を増やすある方法を放棄してしまった過去があるのです。

 

大阪には公営競技場が少ない現状

全国にはおよそ100施設の公営競技場があります。
公営競技とは、中央競馬・地方競馬・ボートレース・競輪・オートレースのことで、これらは都市部を中心に各地に点在しています。

 

全国の公営競技場の会場数
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地方の財政に大きな恩恵をもたらす公営競技ですが、大阪は岸和田市「岸和田競輪場」と住之江区「住之江ボートレース場」の2施設のみと、人口が多い割には地方都市並みの少なさとなっています。

大阪にはなぜ公営競技場が少ないのか ―
そう疑問を持ち調べてみると、そこには熱狂と混乱、そして「天皇」とまで揶揄された一人の知事の独断が影を落としていました。

 

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大阪府下唯一の競輪場「岸和田競輪場」(2018年撮影)

 

競輪場が大阪にもたらした熱狂と混乱

競輪は戦後間もない1948年に成立した自転車競走法に基づき福岡県・小倉競輪場にて始まり、翌月には大阪も住之江公園内の大阪住之江競輪場にて競走が催されるようになります。インターネットはおろか、テレビもまだ普及していない時代に競輪は瞬く間に人気を博し、53年までの5年間で全国各地に60を超える施設が突貫工事で次々に建設されていきます。大阪には、長居公園内に大阪中央競輪場、豊中市緑地公園内に豊中競輪場、岸和田市春木に岸和田競輪場の合計4施設が矢継ぎ早に建設され、熱狂はさらに過熱、競輪は公営ギャンブルの王座となり最盛期を迎えます。

売り上げが順調に推移していた競輪も順風満帆という訳ではなく、人気に伴い問題も続発するようになります。49年4月に住之江競輪場で八百長騒ぎが起こり、観客が走路内に侵入し抗議、これに対し主催者はあろうことか車券の払い戻しで対応してしまいます。さらに20日後にも同じような騒ぎが同会場で再発し不穏な状況になります。極めつけに翌50年、兵庫県の鳴尾競輪場にて、競輪の運営を問われる大事件が発生してしまいます。

 

鳴尾事件により窮地に立つ競輪

甲子園球場の南側にかつて甲子園競輪場という施設が存在しました。西宮市が中心となり運営していた施設ですが、残念ながら2002年に廃止となりました。同施設の前身となる鳴尾競輪場は1949年に開設されましたが、翌年50年のジェーン台風で大きな被害を受けてしまいます。当時の施設は突貫工事で作られただけでなく、競争法により戦災で倒壊した家屋の廃材の利用が競輪場の建設に義務付けられていて脆く、屋根が吹き飛ばされるなど開催継続が危ぶまれるほどだったそうです。

そのような状況にも関わらず主催者は災害救援と銘打ち競争を強行、そして三たび八百長騒ぎが発生し観客は暴徒化、スタンドは放火され、現金を強奪しようとした観客に威嚇射撃した流れ弾に当たり死者が出る騒擾事件が起きてしまいます。この「鳴尾事件」を契機に新聞各紙は競輪廃止論を社説で展開、政府内でも存廃が議論され瀬戸際に追いやられてしまいます。

 

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甲子園競輪場跡 (2021年1月撮影) 現在はマンションが建設され当時の痕跡はなくなっている

 

 

運営が厳しく制限され各自治体の出方に注目が集まるなか、大阪府は全国で初めて運営するの競輪・競馬の全廃を決意、難色を強く示した岸和田市を除き、府下の公営競技場は廃止に至ります。

 

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▲1955(昭和30)年3月22日 朝日新聞より

 

 

独断で全廃を決意した「赤間天皇」

当時の大阪の知事は赤間文三[在任期間:1947-1959年]、戦後初めて投票によって選ばれた公選知事です。第1回大阪知事選には社会党が早々と候補を立て優勢とされていて、対する自民はなかなか候補が決まらず、官僚出身の地味な赤間を擁立、結果は赤間が勝ち、3期12年在任し、先のジェーン台風への早期対応や千里ニュータウン構想などに尽力した人物です。

 

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初代 大阪府知事 赤間文三

 

 

一方で在任期間が長期化するにつれて高姿勢な態度をとり一部では「赤間天皇」と言われ不興を買ったようです。赤間は府下の施行都市や関連執務員に何の相談もなく公営競技の廃止を決定、「青少年に悪影響がある」と兼ねてからの考えで、朝日新聞は「知事選を控えてのこの決定は知事の人気とり政策」であると批判をしています。

そして、この赤間の決断は結果的に、裏目に出てしまいます。

赤間の知事退任後、大阪では市中のパチンコ店が遊戯施設から賭博場へと変質化、景品交換場を経由する「三店方式(大阪方式)」は、違法性を指摘されながらも警察は事実上黙認し、その後全国へと拡大、脱ギャンブルどころか至る所で賭博が行われ、もたらされるはずの自治体の収益は散逸してしまいます。

一方で競輪は事件後、伊豆に競輪学校を設けるなど組織を強化し健全化され、次第にギャンブル廃止論は下火となっていきます。しかるべき議論を経ずに勇み足を踏んだ大阪は、56年に笹川良一が箕面市主催の競艇(モーターボート)を開催したものの、現在も岸和田競輪場と住之江競艇場の2施設のみと、ほかの大都市と比較して少ないままとなっており財政悪化はこの時点から必定であったのではないでしょうか。

 

万博跡地に競輪場の新設を!

競輪場の新設はこの熱狂の時代を最期に60年以上もなく、2003年に石原慎太郎知事が東京都議会の所信表明で意欲を示すも、地域住民の合意をえれず実現化には至りませんでした。

競輪は公営競技という側面以外に、競技スポーツとしての存在意義があります。
以前の投稿でも触れましたが、2000年に国際的な競技ルールが変更され、日本各地の競輪場も室内型に建て替える必要性も出てきています。関西にはまだ屋根付きの競輪場がなく、選手は雨の中でもレースを実施しなければなりません。

私は大阪の財政健全化のためにも、夢洲で行われる万博会場跡地、すなわちカジノ横に、外国人も楽しめるような新施設を建設し、競輪ファンの新陳代謝を行う時期ではないかと思っています。