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TAG: 鉄くず 在日コリアン

霊山 生駒山、暗峠の北側山道「額田谷」朝鮮寺廃墟群

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前回の投稿で、在日朝鮮人と日本共産党が生駒山地で「大阪古物商総会」と称して、秘密裏に計画された騒擾事件「吹田事件」を紹介しました。

大阪平野の東端、奈良との県境にそびえる生駒山は大阪市の中心部から電車で20分ほどで行ける身近な山です。鉄道は「生駒トンネル」を通り、乗り換えなしに5分ほどで奈良側に着き、ケーブルカーで山頂まで登ることができます。生駒側から登ると中腹に「宝山寺」という真言律宗の大本山があり、大阪で水商売を始める人に後利益があるとされ、大阪側からは「石切神社」のお百度詣の参道に沿い商店が並び、霊山として多くの参拝者を集めています。

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山にはいくつか往来できるように道が整備されていて、石切神社参道からのハイキングコース「辻子谷」や自転車のヒルクライムで全国最凶の酷道として知られる「暗峠」(くらがりとうげ)などがあります。

 

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マウンテンバイクでパスハンティングできる古道はないかと、大阪側から山中をトレイルランで散策していると、俗世を離れた神秘的な寺院や滝があったり、ユニークな石仏像に出会ったり、GoogleMap未踏の風景に大阪のまた違った一面を見ることができます。

 

jikouji

生駒山を貫く「生駒トンネル」は大正時代に掘削され、多くの朝鮮人労働者が従事し、当時は住民と衝突もあったそうです。そういう関係性もあり、山中には朝鮮仏教寺院が点在しています。朝鮮寺は1932年に在日朝鮮人が大阪市東淀川区に建立されたのをはじめに、信仰のよりどころとして広がっていきました。

一般的にはこのような寺社の存在はあまり知られているとは言えませんが、大阪市内にもベルリンの壁がある茶臼山「統国寺」や桜ノ宮「龍王宮」などがあり、神戸市や宝塚市、東京都内にも散在しているようです。しかし、生駒山地の大阪側には正確な数が把握できないほど多くの「朝鮮寺(韓寺)」があり、1985年に調査チーム「宗教社会学の会」が3年を掛けて行われた現地調査では、なんと60施設以上が確認されているようです。

 

nukatadani

 

この日のトレイルランでは、辻子谷と暗峠の間に平行するようにある「額田谷」という山道を走ってきました。閑静な住宅地の間を抜けると「長尾の滝」までは谷筋に沿いモルタル舗装されていて、滝より奥は藪道のシングルトラックが霊気蠢く異界へ伸びています。林道に入ると全く人はおらず、ほんの数分で廃墟と思われる寂れた家屋がみられるようになります。

 

hikyou

韓国の仏教は日本の仏教と異なりお坊さんはおらず、仏教と巫俗の習合のような形態になって、主に女性シャーマンが憑依し、信者を集め賽神を行うようです。私は韓国仏教について詳しくありませんが、日本でも幕末より貧困層の女性が突然覚醒する「民衆宗教」が勃起したことは、2月の投稿でも取り上げました。生駒の朝鮮仏教は、中山みき「天理教」、出口なお「大本教」、大森智辯「辨天宗」などこれらの民衆宗教との類似点があるように思えます。

この半世紀、民衆宗教が信者数を軒並み減らしているのと同様に、生駒の朝鮮仏教信仰も衰退し、多くの施設は廃寺となり放置され今にも崩れそうな状態となっています。

korea temple

 

朝鮮仏教は寺院や仏像より女性シャーマンへの信仰心が強く、主が亡くなると相続する者がおらず、荒廃してしまうというケースが多いようです。施設は宗教法人格を持っていないばかりか、所有権が不明確な川べりや砂防ダム内に建物を造っているため不法占拠状態で、増水などにより流される危険もあります。

 

ghost temple

 

大川沿いにある桜ノ宮「龍王宮」も、周辺には朝鮮人の「鉄くず」業者のバラックが並んでいました。しかし、違法占拠が問題となり「古鉄街」は撤去、信仰を盾に「龍王宮」は免れていましたが、管理が行き届かずゴミであふれヌートリア(大型のネズミ)が住み着き、2007年に火災を起こし橋の上を走る「大阪環状線」の運行に支障を出してしまい、2010年に管理人の韓秀子さんによって解体され現在では跡形もなくなり「桜ノ宮ビーチ」のある親水公園として整備されています。

 

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私は新興宗教の信者でもなければ在日朝鮮人でもありませんが、その立場の私から見ても生駒山地の朝鮮寺の衰退は貴重な文化の喪失で、もっと何とかしようがあるのではないかという気持ちで胸が痛みます。激廃れの廃寺群はそれはそれで珍しく諸行無常を感じますが、何とかして崩れ落ちた壁の保全くらいはできないのでしょうか。

 

ikoma cycling

生駒山の山頂付近には大阪を一望できる「生駒山上遊園地」があります。レストランやトイレがあり、無料で入園できるので子供やカップルに交じってハイキング客の姿も見られ、俗世に戻ってきた感じがします。園内には霊山らしくお化け屋敷「地獄門」があり、500円で恐怖を味わえます。

 

ここまで本ブログでは、「アパッチ族」の金時鐘(キム・ジジョン)、「吹田事件」の首謀者である夫徳秀(ブ・トクス)と、戦後大阪の在日産業「鉄くず」収集の実態を調べてきました。私が不勉強なだけかもしれませんが、調べれば調べるほど知らなかった事実が発覚し、このような歴史の経て大阪というまちがあるのだと考えさせられました。ただ、肝心のスクラップ収集から中古自転車販売への転換となった経緯がミッシングリンクとなっていて調べきれていませんので、引き続き本ブログにて調査・報告をしていきたいと思います。

 

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三大騒擾事件「吹田事件」をたどる、ひとり反戦サイクリング

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先月の本ブログで、大阪の自転車販売の朝鮮人支配の源流をたどるため、アパッチ族のキム・ジジョンについて投稿しました。今回はキムがアパッチ族になる以前に参加した騒擾事件「吹田事件」を、事件を先導した秘密組織「祖国防衛委員会」リーダーである夫徳秀(ブ・トクス)らの視点で散走していきたいと思います。

日本がサンフランシスコ講和条約で主権を回復した1952年4月から破壊活動防止法が本格的に施行される2ヶ月の間、各地で多くの武装闘争がおこりました。特に皇居前「血のメーデー事件」、愛知県「大須事件」、「吹田事件」の3つは三大騒擾事件とされ、戦後史に刻まれています。

とはいえ、「吹田事件」の詳細は、複雑な事情から教科書やテレビなどでは取り上げられることはなく、初耳の方もいるかと思いますので、歴史的背景と共に説明していきたいと思います。

 

suita

1950年、朝鮮戦争が勃発すると、GHQは日本の占領政策を転換、日本は民主化路線から再び右傾化、米軍の兵站としての役割を果たすようになります。このような状態下で、日本共産党はマルクス主義に基づく革命闘争「51年テーゼ」を協議会にて決議、暴力による革命を公然と掲げ、各地で闘争を繰り返します。

共産党大阪委員会幹部の上田等(うえだ・ひとし)は、朝鮮戦争から勃発から2年となる52年6月24日に、大阪大学豊中キャンパスの北グランドにて反戦デモ集会「伊丹基地粉砕、反戦・独立の夕」を計画します。伊丹基地というのはキャンパスの西側にある大阪空港のことで、米軍はこの空港から朝鮮半島に空路で軍事物資を輸送していました。

osaka university

大学側はデモを黙認、グラウンドのある待兼山には学生や共産党員などおよそ1000人が集まり、労働歌が歌われ、反戦プラカードや北朝鮮国旗が掲げられていたようです。日本の共産主義運動は、日本共産党の1955年の武装放棄決議までは在日朝鮮人が支えていて、1948年には国内の騒擾事件の86%が在日朝鮮人によるものでした。そして、この集会の参加者の3分の2は朝鮮人で、その首謀者が夫徳秀です。

上田はグラウンドでの集会終了後に空港までデモ行進を行う予定でしたが、警備が強固だったため作戦を変更、吹田にある米軍の輸送拠点「吹田操車場」を標的にしました。操車場というのは列車の停車場にことで、大阪人には「ヤード」と英語でいう方が分かりやすいかもしれません。当時は米兵が吹田操車場に駐屯し、鉄道を利用して伊丹に物資を輸送していました。

suita yard

デモ隊は二手に分かれ、一隊は西国街道を西へ行進し操車場へ向かい、もう一隊は阪急石橋駅に向かい警備は混乱します。石橋駅では終電がすでに出ていて、上田の実弟の上田理(うえだ・おさむ)が、駅長に臨時電車を出すように強要、梅田行の電車を手配します。大阪大学と伊丹空港のあるこの辺りは、ちょうど豊中・池田・箕面・伊丹の境界で、管轄警察の連携もうまくいきませんでした。

 

suita riot

臨時電車に乗った一隊は「人民電車部隊」とされ、学生運動を指導していた理は電車隊の指揮します。集会において重要な人物である上田兄弟ですが、両者はデモ参加を互いに当日グラウンドで会うまで知らず、出会ってびっくりしたそうです。ちなみに上田兄弟の祖母は私立学校金蘭会学園の創設者のひとりで、教育者一家に育ち、哲学者の西田幾多郎とも縁者関係だそうです。

警察は梅田にて電車を待ち構えますが、理の指揮する部隊は服部駅で下車し操車場に向かいます。

 

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一方、西国街道からデモ行進する部隊は「山越部隊」とされ、首魁は三帰省吾(みき・しょうご)という日本人が務め、夫徳秀も朝鮮人を従え三帰と共に操車場に向かいます。夫徳秀は在日2世で東淀川で「鉄くず」収集で生計を立てる一方で、アパッチ族のキム・ジジョンらと祖国防衛委員会の機関誌「マルセ」を発行し、当時36歳という若さながら総連の地区委員長でした。朝鮮人たちは51年秋に共産党メンバーと生駒山地の山寺にて「大阪古物商総会」という名目で集まり、工作がバレないよう朝鮮語にて計画をしたようです。

 

夜を徹したデモ行進は吹田に向かう道中、西国街道(国道171号)沿いの豊川村小野原(現在の箕面市小野原)にて「右翼のドン」笹川良一宅を襲撃、笹川は事前に避難をしていて難を逃れました。

私の実家はこの小野原にあり、高校生時代に、ケンタッキー・フライド・チキン好きの「聖地」とされているカーネルバフェ(食べ放題)が実施されている小野原店でアルバイトをしていたので、昼食に食いまくってやろうと目論んでいたのですが、衝撃的なことに食べ放題が終了して、店も休業(改装中?)していました。

大阪市内では最近韓国チキン店が急増していますが、私はどうもあまり好きになれません。米朝の対立も、チキンのおいしさで競い合ってくれっれば良かったのですが、吹田操車場にて両陣営は対峙することとなります。

kfc

夫徳秀やキム・ジジョンの属した「祖国防衛委員会」は、秘密組織ゆえにその実態や内幕は長く秘匿されていました。毎日放送の西村秀樹記者は、夫徳秀が「鉄くず」収集を辞め十三で焼鳥店をしていることを突き止め、20年通い顔なじみとなり、体験談を聞き出し「大阪で闘った朝鮮戦争」(2004,岩波書店)、「朝鮮戦争に参戦した日本」(2019,三一書房)という2冊の書籍にまとめています。

西村記者が仲間と研究会を立ち上げる以前は事件の関係者は口をつぐみ、相談をした関西大学教授からも「ゲスの勘ぐり」と困り顔をされたとしています。十三の焼鳥店は韓国チキン店ではなく「一平」という店名の赤ちょうちんの炭焼き焼鳥店のようなのですが、残念ながら探してもみつかりませんでした。

 

「軍需列車を10分止めれば同胞の命が1000人救われると言われ、必至の思いでした」

 

同書籍によるとデモ隊は「須佐之男命神社」(スサノオノミコト)に火炎瓶や竹やりで武装し集結、対峙する警備隊の警備線を越え毅然と操車場に進みました。書籍には夫徳秀の他に多くの関係者が事件を振り返っていますが、立場の違う者同士でそれぞれ考え方が違い、誰の目線で語るかによって事件の見え方が変わります。

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デモ隊は操車場内を行進後に投石など攻撃を行いましたが、朝になると解散、多くの通勤客がいる中で警備と揉み合いになり多くの逮捕者を出しました。

 

現在、吹田市は府下屈指の「住みやすいまち」として知られています。大阪大学(吹田キャンパス)や金蘭会学園の金蘭千里大、関西大などの有名大学が所在、Jリーグ「ガンバ大阪」も吹田をホームスタジアムとして使用し、1970年の万博も吹田市と茨木市の境界にて開催されるなどQOLの高いまちとなっています。

上田・兄は晩年に心筋梗塞で倒れ「国立循環器病センター」にて緊急手術で一命をとりとめます。国内屈指の先進医療を誇る同センターは、2019年に上田たちが闘争を行ったJR岸辺駅前へ移設、駅前エリアは「健都」として再整備されています。

 

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事件から70年経ちましたが朝鮮半島はいまだに統一されることなく、ロシアと西側陣営の対立も長期化しようとしています。ウクライナ情勢に関しては、平和主義を標榜する日本はできることは限られていますが、戦争終了後、樺太・千島列島・オホーツク・カムチャッカ・シベリアなど地域の平和的独立支援、ロシアが実効支配している北方領土の返還と平和協定締結、ウクライナ復興支援など果たせる役割は大きいと言えると思います。

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在日朝鮮文学の金字塔「夜を賭けて」大阪砲兵工廠~アパッチ集落 散走

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1月、本ブログで、大阪の自転車販売の在日朝鮮人支配ついて投稿しました。「鉄くず」収集などの静脈産業を生業としていた在日朝鮮人が、中古自転車販売のローカルチェーン店を展開し勢力を伸ばしているという現状に問題点があるという内容の投稿です。

詳しくは、その投稿を読んでいただきたいのですが、「そもそもなぜ在日朝鮮人が鉄くず収集を支配的に行っているのだろうか」と疑問を持っていると、その歴史的な経緯を紐解くような小説を見つけたので、その舞台をポタリングしてきました。

 

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梁石日「夜を賭けて」

1994年に発売された小説で、2002年には山本太郎主演で映画にもなった作品です。梁は朝鮮・済州島出身の在日の小説家で、実父をモデルとした代表作「血と骨」も崔洋一監督、ビートたけし主演で映画化され、高い評価をえています。

梁の出世作となった「夜を賭けて」は、終戦間もない頃の大阪の在日朝鮮人による怪盗団「アパッチ族」を描いた作品です。

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大阪城公園の北東側の端に明治期に建てられた古びた廃墟が残されています。このレンガ造りの建物は大日本帝国軍の兵器工廠で、太平洋戦争の終戦まで陸軍の兵器を製造していました。

かつては、天守閣周辺の森ノ宮から大阪ビジネスパーク辺りまで一帯が巨大な軍事施設で、極東最大の設備や技術力を誇り、シマノの創業者島野庄三郎や日本自転車産業の父・宮田栄助もこの施設で従事しました。

 

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明日 十四日 大阪を くうしゆうします
このばくげきがさいごで あります 一九四五年 U.S.A.

大阪上空より爆撃予告が投下され、終戦前日の8月14日に大阪はB29による空襲で焦土となり、工廠も大きな被害を受けました。工廠跡は近畿財務局の管理下に置かれますが、不発弾の残る一帯は立ち入りが禁止され、長らく放置されていました。

 

物語は、在日朝鮮人の「ババア」が誰も立ち入らない工廠跡で拾った「鉄くず」が5万円で買取された噂が広がるシーンから始まります。

1923年、関東大震災が発生。朝鮮人は「火事場泥棒をした」「井戸に毒を入れた」と差別され、大阪は以後現在に至るまで日本最大の在日朝鮮人の居住区となります。なかでも大阪市の東部を南北に流れる平野川周辺に肩を寄せ合うように住み着きました。「ババア」の住む集落は平野川の北端にあたり、地区には現在も朝鮮籍の住居が点在しています。

 

大阪城公園内には「ピースおおさか」という戦争資料の調査研究や展示を行っている施設があり、当時の様子を調べることができます。1960年当時の大阪の物価の展示を見ると、中華そば1杯55円、たこ焼き12個30円、サイダー35円、お好み焼き80円、散髪200円、ランドセル3000円、そして自転車は1万8000円だったあります。
今と比べると10分の1ほどの物価水準で、自転車の価格だけ現在とかわらず、鉄が高価であり、ババアの手にした金額が大金であることがわかります。

war bicycle

小説ではババアの噂は一夜で集落中に広がり、朝鮮人窃盗団が警察の目を盗み夜な夜な工廠内に侵入し、盗みを働く様子が、さながらアニメ「ルパン三世」のような活劇として描かれています。この朝鮮人窃盗団は実在し、梁は映画公開時にキム・ジジョンという人物が小説のモデルであったことを明かしています。

金時鐘(キム・ジジョン)、1929年朝鮮半島生まれ。

49年に日本に密航し、翌年に共産党に入党したキムは52年に「吹田事件」に関与します。「吹田事件」とは朝鮮戦争に反対する左翼運動の暴力事件で「血のメーデー事件」「大須事件」と合わせて「三大騒擾事件」とされている事件です。キムは「山越部隊」の一員として「笹川良一宅襲撃」や「吹田操車場襲撃(吹操襲撃)」に関わったとされている要注意人物でした。

この事件は警察の不手際が重なり、裁判で弾圧の不当性を訴え、司法は紛糾(吹田黙祷事件)、有罪となる証拠がそろわず騒擾罪が適用されませんでした。そして、キムは怪盗「アパッチ族」となります。

korean town

在日集落といえば、生野「御幸通り商店街」や鶴橋のように、韓流グッズ店やおいしい焼肉やチキン店がたくさんあるのかと想像していましたが、実際に行ってみると、この「アパッチ集落」は西成の崖下のような老朽化した木造住宅が密集していて、残念ながら観光を楽しむようなところではありませんでした。

再開発され大型の福祉センターなどに建て替えられている箇所もありましたが、廃墟のような状態のバラックや入り組んだ路地に洗濯物が干されていて、どことなく一帯に異臭がただよっているような感じがしました。

耐えかねて平野川沿いにでると、川一面が見たことないほどの夥しい数のボラの死骸で覆いつくされていて、行き場を失った水鳥がゆっくり流れる悪臭の元を眺めていました。

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(「吹田事件」に続く)

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大阪市、撤去自転車売却「6万台」の闇

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2021年はコロナが追い風となり、自転車産業の好調が続いています。自転車販売の最大手の株式会社あさひは過去最高の売上高となり店舗数も500店を突破し全国に販売網を拡大、自転車の販売だけでなく自転車部品の輸入代理店業も2017年から開始し「KENDA」のタイヤや「TEKTRO」のブレーキを独占契約するほか、「WELGO」のペダルや「3T」のハンドル、ルイガノのスポーツ車なども取り扱い、勢いが止まりません。

あさひは1949年創業の在阪企業で、社名も大阪市旭区のあさひに由来しています。2007年には東証1部上場し、国内の自転車の10台に1台はあさひの販売車といわれるほどのガリバー企業で、青森・沖縄を除く全国45都道府県進出しています。

しかしながら、あさひは地元の大阪市で苦戦をしています。

大阪市内のあさひの店舗数は13店舗で第4位、
首位のR社は34店舗、第2位のT社は24店舗と地元ローカルチェーン店に大きく差をつけられています。なぜ、あさひは地元で支持されないのか、それは上位の業態の特長が関係しています。上位3社いずれも「中古自転車」をメインにした低価格店で、在日朝鮮人が関わる会社を運営しているのです。

used cycle

古書店の「ブックオフ」が講談社や集英社など出版業界と接点がないのと同様に、大阪の中古自転車店も一般的な国内の自転車産業とかかわりが薄く、シマノやジャイアント、ブリヂストンサイクルなどの企業と共存関係になく、異質な存在となっています。大阪市内にてこのような企業が1社だけでなく複数存在し、しかも主流になりつつある現状は、市内で自転車店を経営する私にとっても脅威といえます。本稿ではこれらの企業の正体、そしてなぜ大阪市だけこのような異質な市場が形成されたのかを詳説したいと思います。

 

 

年間撤去数19万台、広すぎる大阪市の「駐輪禁止エリア」

先月、「新今宮」の放置自転車数が全国ワースト1であり、駐輪禁止区域に指定できない複雑な事情があると本ブログで少し触れました。大阪市では1988年に「自転車等の駐車適正化に関する条例」を独自で制定、放置禁止区域を定め区域内での駐輪を管理してきました。駐輪禁止区域は広域に設定され、かつては路上駐輪が当たり前の光景だった大阪も、民間委託された有料の駐輪場を利用しなければ撤去されるため気軽に利用できず、ドア・ツー・ドアで利用できる自転車のメリットも損なわれているような気がします。

このようなきっかけは心斎橋筋商店街から始まり、条例は拡大解釈され駅前の迷惑車の撤去だけでなく商店街の利用客も自転車を使用できなくなりました。その背景には、商店主たちのビジネス的な思惑があり、戦略は見事に当たり、ご存じの通り心斎橋筋商店街には多くの外国人観光客で賑わう国内屈指の商店街へと生まれ変わりました。

parkingmap
中央区全域に広がる放置禁止区域 (広報「ちゅうおう」2017年6月号より)

一方で放置禁止区域内の年間自転車撤去数はおよそ19万台にのぼり、撤去保管料が2500円かかることから引き取りに来ない人も多く、自転車の返却率は54%となっています。2017年発行のフリーペーパー季刊紙「CYCLE」(33,34号)では、引き取られなかった自転車のその後を追跡取材をしています。

同紙のライターは南港のアジア太平洋トレードセンター(ATC)内の大阪市建設局と平野区内の「二次保管所」を取材、集められた自転車は「山」という単位で売却され、取材日の入札は2件あり「3山」が290万円で落札され、収益は市の一般財源となっているとしています。市の担当者は事業の目的を「安全で快適な生活環境を確保するため」と説明、2016年は3億円の収益を出しているが、ライターはその収益が快適な自転車利用環境整備に活用できているのか疑問を投げかけています。

 

大阪市による撤去自転車売却「6万台」の闇

私の記憶では放置禁止区域は15年ほど前から拡大、2006年に撤去事業を市が民間に委託したのも影響があったようにも思います。同時期に市内では無料の駐輪場が次々と廃止、2012年頃から歩道上に有料の駐輪施設が設置され、民間事業者が管理運営する現在のスタイルとなります。このように大阪では中古自転車が低価格で容易に入手できるため、「鉄くず」収集などの静脈産業を生業としていた在日朝鮮人よってこの数年間で「中古自転車チェーン」が産業化され、あさひをしのぐ勢いとなっているのです。

osaka cycle
撤去される自転車 条例により放置時間の長さに関係なく撤去される

 

自転車の撤去に関する条例は多くの自治体で採用され、大阪市と同じように競売にかけられています。しかし、大阪市の売却台数は、年間6万台以上と他の自治体と比べ桁外れに多く、私は少しやりすぎなのではないかと思っています。

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大阪市 6万1590台
神戸市 8799台
横浜市 5665台
さいたま市 3261台
広島市  1294台
浜松市 1195台
(令和2年 国土交通省 交通安全対策室資料)

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市内で中古自転車店を経営する個人店の方に話を聞くと、最近では高まる中古需要に対し京都や奈良まで入札に出ているそうです。繰り返しリサイクルされる大阪の中古車は状態が悪く、京都の大学生が4年程使用した自転車は高く再販売できるといいます。京都の大学生の「お古」に大阪人が飛びついている光景は、業界人として少し寂しく感じ、何とかしないといけないという気持ちになります。

さらに悪いことに、大阪の在日支配は決して盤石ではなく、近年、中国人が運営する中古自転車店が急増しているのです。これらの店舗はチェーン店ではなくブローカーによって中国から来日した日本語もままならないスタッフがそれぞれが独立し運営されています。在日朝鮮人方式をロールモデルとしていますが実態はつかみにくく、整備技術や安全に対する知識が劣っています。このような店舗の増殖は、大阪の自転車文化の低下につながってしまいます。

コロナのまん延で、世界的な自転車不足となっています。この影響は中古自転車市場にもあり、価格も高騰しているようです。「CYCLE」の追跡取材では、「山」の自転車は北朝鮮など開発途上国に「日本製の自転車」として人気があり、貿易されているとしていますが、最貧国相手に「鉄くず」同然の中国製自転車を日本製と偽り、輸出する姿勢も全く賛成できません。

自転車は大阪の地場産業であり、利用率も世界最高水準で「世界首都」を自称できるレベルです。私は、大阪市は方針を転換し自転車を中心にしたまちづくりに徹するべきだと思います。

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