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2022年09月の記事一覧

シン公営競技論 :破

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(前回の続き)

戦後の我国の公営競技は競馬から始まりました。競馬は戦前より実施されていましたが、中央集権的な組織体制をGHQに問題視され、1948年に新しい競馬法が制定、現在へと続く市町村が主催する「地方競馬」へとなり再スタートをします。同年に自転車競技法も制定され「競輪」は熱狂的に支持され瞬く間に全国的に広がり、次いで50年には「オートレース」、51年には「競艇」が誕生、52年にサンフランシスコ講和条約により日本が主権を取り戻すと54年に中央競馬法が可決され「日本中央競馬会」が発足します。オートレースはあまり人気がでませんでしたが、公営競技の王者は【地方競馬 → 競輪 → 競艇 → 中央競馬】と誕生順に移り変わっていきます。しかしながら、1970年代に入るとパチンコが市場規模で競輪・競艇を超え、80年代には全公営競技の合計を上回る規模と増大し、90年代には30兆円市場の巨大産業となり圧倒的な存在となります。

まさに国民的ギャンブルと成長したパチンコですが、1959年に大物代議士の福田赳夫自民党幹事長に「2年以内に完全納税できなければ、一斉摘発する」と忠告を受け、危機的状況に追い込まれていました。パチンコ業界はこの難局をどのように乗り切ったのでしょうか。まずはその歴史をみてみましょう。

初期のパチンコは一銭銅貨を投入して遊ぶコインマシンでした。その登場は古く、杉山一夫著「パチンコ誕生」(2008,創元社)によるとルーツは1920年代の大阪の新世界であるとしています。新世界は現在では通天閣を中心に多くの観光客が押し寄せますが、そのきっかけは今から100年以上前の1905年に開催された「第五回内国勧業博覧会」です。博覧会終了後に跡地はルナパークという遊園地となり1923年まで営業をしていました。杉村氏よるとルナパーク終了後の新世界の一角、通天閣の袂にあった露店パチンコ「オーエヌ商会」が初号機であるとしています。1932年に大阪ではパチンコ禁止令がだされ、太平洋戦争へと突入し禁止令は全国的に広がります。「オーエヌ商会」はその影響を受けて、カフェーと転業し現在でも「コロンバイン」という店名の喫茶店を営業されています。

 

cafe
新世界の露店パチンコ「オーエヌ商会」があった場所  現在は喫茶「コロンバイン」となっている

 

 

戦争が終わると再び大阪市内でパチンコ店が営業が始まり出します。大阪府警に出身で戦時下は満州に駐屯していた水島年得(ねんとく)も心斎橋でパチンコ店を開業します。配給制で物資が不足していた状況下で、景品と交換できるパチンコは人気を博し、水島は道頓堀・玉造・鶴橋など多店舗化に成功、パチンコ店組合の全国組織「全遊連」の会長となります。「完全納税」の命を受けた水島ですが、当時は各地方ごとで指導法など違いがあり、統一化に向け「大阪方式」を導入、特殊景品を介し出玉をパチンコ店・景品交換所・景品問屋の3つの別々の業者が扱うこの方式は「三店方式」とも言われ、パチンコ店が出玉の換金行為に直接的に関与しないことから、賭博行為に相当しないという脱法的な営業形態です。水島が考案したこの方式でパチンコはどうにか一斉摘発を免れます。

 

「パチンコで換金が行われているなど、まったく存じ上げないことでございまして..」

 

2014年2月、高村正彦自民党副総裁らが発起人となる「時代に適した風営法を求める会」が設立、建前論ではなく実態に即して方式を整理し「パチンコ課税」の導入を要望すると、警視庁の担当者は「そういうこと(換金)もあるという話は聞いております」と官僚答弁に終始、「賭博」なく「遊技」で出玉交換は無関係の交換所で客が勝手に換金しているだけなので「課税する」という議論も成り立たないと白々しい答弁を繰り返し、現在でも協力姿勢を示していません。パチンコは公営競技と違い法的なプロセスを経て業態が成立していないという問題が常に付きまといます。

 

pachinko
警察はパチンコ以外の業種は「三店方式」を認めない方針  (朝日新聞 2014年8月26日)

 

 

「三店方式」の黙認も問題のですが、私がそれ以上に問題なのは「パチンコ依存症」だと思います。

ギャンブル依存症は1980年代から米国で精神医学の疾患として体系され、世界保健機関「WHO」においても病気とされています。2014年の厚生労働省の研究班の調査では国内のギャンブル依存の有病率は4.8%、わが国には500万人以上の依存者がいると推定されています。ギャンブル依存は重症度が高くなると精神疾患だけでなく、身体に異常が現れ日常生活が困難になる危険性もあります。加えて、借金を抱える事例が多く、場合によっては家族や職場など社会経済に悪影響をおよぼします。ゆえにギャンブルは一般事業者ではなく「公営」でしっかりとした大綱を設け、慎重かつ健全に開催する必要性があります。

研究者や医師においても明白にパチンコと公営競技を分けて研究している人は少なく、国内では精神科医の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏の2005年から2年かけギャンブル依存の実態を初めて調査、100人のギャンブル症者の嗜癖をひとりひとり調べると、100人中96人がパチンコ・スロットであり、競輪はたった100人中たった1人でサイコロ賭博や花札よりも少ないという実態が報告されています。

私は患者数を減らすためにも、パチンコと公営競技を分けてしっかりと検証・研究していくことが予防につながると考えます。この2つは似ているようで、公益性など性質が大きく異なります。以下違いを説明しますが、結論から先に言うとパチンコ業界は競輪を規範に依存症対策をすべきなのです。分かりやすいように、「パチンコホール」か「競輪場」どちらかを我が町に1施設を設置すると仮定し、違いをみています。

 

(参考) パチンコ店 競輪場
営業 ほぼ毎日 月間 3~9日
利用者 ほぼ周辺住民 全国から投票
受益者 運営企業(非上場) 主催自治体(売上の25%)
ギャンブルの形態 遊戯業(大阪方式採用) 公営競技(自転車競技法)
平均使用額(回) 13600円 12300円
施設数 全国8000店舗 43施設

 

 

パチンコホールは全国8000店舗以上あるそうです。近所にも必ずあり店舗があり、新店が開業することも日常茶飯事、地域によっては向かい合って立地しています。一方、競輪場の開設は半世紀以上もなく、新設となると地域では反対活動が起こるかもしれません。しかし、2017年に施行された「自転車活用推進法」では12の基本方針が掲げられそのひとつに「自転車競技のための施設の整備」というが盛り込まれていて、地方公共団体の責務として基本理念の理解を住民に求め、協力を得るよう努めなければならないという内容になっています。もちろん、日本は法治国家ですから推進法に従い、本来ならプールや体育館のように都市のアメニティとして競輪場も設置すべきなのです。

パチンコホールは周辺住民から収益を得ます。昔は競輪場も同じような構造でしたが、近年はスマホの普及からインターネットを利用し全国から投票されます。周辺地域から金が散逸するパチンコと対照的に、競輪場は全国から金が集まり、その売上金の25%が主催自治体の一般財源として、地域に恩恵をもたらします。一方でパチンコホールはすべて非上場企業で、経営者は長者番付の上位にランクされ格差を生んでいます。

営業日数も明白に異なります。ほぼ毎日営業するパチンコホールに対し、競輪場は全国で分散して開催されているため月に5日程しか実施されません。月に25日労働し、5日競輪場で過ごすのが依存でしょうか。それとも、休催日にも競輪場に出向き自転車が走っていないバンクを見て、ドーパミンを放出しているのでしょうか。公営競技は前もって投票券などを購入しておくこともできます。精神状態が冷静な出走前に投票を締め切り、ライブベッティングはできません。パチンコに依存してしまうと朝から閉店まで10時間以上も、効果音響やパターン点滅などの仕掛けのある遊技台の前に座り続けてしまう人もいます。健常な人でも毎日射幸心煽るこの状況に置かれれば、正確な判断ができなくなってしまいます。

パチンコホールも全国で100施設ほどに漸減し、営業も月に3~9日ほどに減らせば、依存症の数は大幅に減らすことができます。到底できっこない話となりますが、公営競技はこれを実行してもなお依存症対策が不十分であるというご指摘を頂戴しているのです。競輪はスポーツですが、ゴールデンタイムのスポーツニュースで出走結果が報道されることもありません(中央競馬はたまにあります)。青少年への影響を考慮して、少女アイドルグループや少年マンガ・アニメをコマーシャルに使用することもありません。

 

 

robot anime
少年が主人公のロボットアニメ「エヴァンゲリオン」がタイアップするパチンコ

 

私は競輪場を全国に8000施設に増設すべきだと主張しているのでありません。選手が3000人ほどしかいませんので限界があります。ただ、財政論として公営競技の実施を各都道府県・市区町村で議論のテーブルにあげるべきであると言いたいのです。

本ブログでは繰り返し、大阪は夢洲のカジノの隣に競輪場を新設すべきと主張をしています。関係者の方に怒られるかもしれませんが、今の競輪は賞味期限が切れています。私は、舞洲に1施設作るだけでドミノ倒しのように公営競技が生まれ変わり、戦後期の奇跡的な経済成長が再び訪れると確信しています。現代貨幣理論(MMT)やマルクス経済理論のような絵に描いた餅ではありません。終戦後、わが国は焼野原から競輪・競艇という独自の経済構造をひねり出し、その収益を原動力に経済成長を実現しました。しかしながら、パチンコの台頭により日本経済は長期にわたり停滞、このいわゆる「失われた20年」に日本人がパチンコに使用した額は500兆円以上だそうです。

次の投稿ではなぜに今、大阪の夢洲に競輪場が必要なのかもう一度詳説したいと思います。

 

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シン公営競技論 : 序

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私の出身は大阪府北部の箕面市というところです。18歳まで実家で暮らし、今も両親は箕面に住んでいます。箕面市は府下でも屈指の高級住宅地域として知られていますが、私の家は普通の農家の家系で、地区がまだ「豊川村」と呼ばれていた時代から実家があり、私や両親は開発による周囲の変貌に驚いています。箕面市がこのようなまちづくりに成功した背景として、1954年から公営競技「競艇(ボートレース)」を主催し、安定的な税収外収入を確保していることは知られています。箕面市の財政は公営競技に依存しており、今後もその利権を手放すことはまず考えられません。公営競技があってよかった、少なくとも「豊川村」の住民は皆がそう思っています。

 

suminoe pool
住之江競艇場   大阪市内に所在するが市はレースを主催しない

 

逆に「豊川村」の出身の私から見ると、なぜ他の自治体は公営競技を実施しないのだろうかと問いたくなります。公営競技による恩恵を受けたことのない地区に住んでいる方は全くピンとこない話で、むしろ公営競技を実施すると周辺の治安が下がったり、ギャンブル依存症が増加したりするのではないかと不安に思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。確かにかつてはそのような問題が指摘されていました。しかし、公営競技は「反対する声」を真摯に受け止め、行政と一体となり改善を重ね、現在では適正円滑に遂行され、その収益は地方財政を支える有力な財源となり、社会福祉・公衆衛生・公共施設整備・公共事業の振興などに寄与しています。正しく認識をしていただけるなら公営競技が、パチンコ・スポーツ賭博・インターネットカジノなどと全く性質が異なり、社会的に有益であることが分かっていただけると思います。

 

keirin 2018
岸和田競輪場  所有は岸和田市 (2018年撮影)

 

現在、全国に競艇場が24施設、競輪場43施設あります。現存するこれらの施設はすべて1948(昭和23年)年からの8年間に開場したもので、競艇場は1956(昭和31)年、競輪場は52年(昭和27)年を最後にして70年程新設がありません。大阪府下にもかつては多くの公営競技場があり、なかでも競輪は熱狂的な人気がありましたが、日本共産党が単独推薦する黒田了一知事が誕生したことで、政治的なイデオロギーでから公営競技から撤退、競輪場も廃止となりました。

 

– – – –

<戦後の大阪府下の公営競技場>

住之江競艇場 [1956年-] 箕面市など主催
住之江競輪場 [1948-1964年] 政治的判断で休止
大阪中央競輪場 [1950-1962年] 政治的判断で廃止
豊中競輪場 [1950-1956年] 政治的判断で休止
岸和田競輪場 [1951年-] 岸和田市主催
大阪競馬場 1948-1959年] 政治的判断で廃止
春木競馬場 1929-1974年] 売上低迷により廃止
長居オートレース場 [1951-1952年] 売上低迷により廃止

osaka keirin
廃止となった「大阪中央競輪場」全国でも屈指の人気であった

 

その後、公営競技の存廃議論は全国的に広がり、池田勇人内閣は公正取引委員会の長沼弘毅委員長を会長とした諮問機関「公営競技調査会」を設置、1961年7月に調査会は運営方法など基本方針を示した「長沼答申」を打ち出し「公営競技場数やレース数等について規定より増やさない」という基本態度で委員が一致、運営改善の具体策を提案します。長沼が公営競技を全廃せずに存続という結論を出した理由は主催自治体に対する財政面での影響が大きいことと、全廃すれば「非公開のとばく」の拡大の懸念があるという2点でした。

 

naganuma toushin
公営競技の運営指針「長沼答申」(朝日新聞1961年7月26日朝刊)

 

池田首相はギャンブルに対し否定的な立場をとっていて、大蔵大臣時代の1951年1月の衆議院予算委員会では「パチンコは全国津々浦々まで浸透しており苦々しく思っている、これは百害あって一利のないものである。競輪は私の所轄ではない」と、庶民の娯楽であるパチンコにも厳しい態度を示していました。池田内閣は、公営競技の運営体制を厳格化すると同時に、パチンコの産業の関係者に対しても「全国組織の結成」と「完全納税」という条件を突き付け、出来なければ「一斉摘発する」と内密に通達しました。

日本では賭博行為は禁止されていますが、競輪は自転車競技法(1948年)、競艇はモーターボート競走法(1951年)、地方競馬は地方競馬法(1946年)と、それぞれ法令に基づき例外的に運営されています。しかしパチンコはそうではありません。そもそも、なぜ法的に認められていないパチンコホールが黙認されているのでしょうか。次回の投稿では、追い込まれたパチンコ業界に現れた救世主「水島の後に水島なし」と言われた大阪府警OBで、パチンコ店組合の全国組織「全遊連」会長の水島年得を通してパチンコの歴史を辿ってみたいと思います。

 

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