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2022年06月の記事一覧

疑惑の学園、大阪経済法科大の「闇」

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またの先月のブログで生駒山地にトレランに行った時の投稿のアクセス数が普段より良かったので、今度は暗峠から5キロほど南側の稜線にある十三峠(じゅうさんとうげ)に行ってきました。

 

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ロードバイクのクライマーには暗峠は全国的に知られていますが、あまりの急坂のためか、十三峠の方が地元のサイクリストに人気があり「サイクリストのための百名峠ガイド」(八重洲出版)では、特に大阪平野を一望できる夜景が魅力であるとして府下で唯一選出されています。峠道は舗装された一般道で、大阪側から峠を越えると奈良県平群町に抜けることができます。

ハイキング道に入ると額田谷と同様に霊山の雰囲気があり石仏や古寺が点在していて、マウンテンバイクで走行すると楽しそうだなと思ったのですが、条例で車両(自転車を含む)が走行できないエリアもあるようですので、少し時間をかけて調査し、また別の機会に紹介できればと考えています。

 

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山頂付近から平野を見下ろすと、麓にひと際目立つ白い建物が目に入ります。大阪経済法科大学です。大阪平野の東端、周辺には戸建て住宅や畑などがあり、峠道は同校の脇を通り、つづら折りになって山頂付近に続いています。

 

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大阪以外の他の都道府県の方は大学とというと普通は県庁所在地など市街地の真ん中で学生街などを形成するイメージかもしれませんが、大阪ではこのように山裾にへばりつく様に所在し、鉄道の終着駅からバスで揺られて通学するスタイルが多くなっています。比較として適切なのか分かりませんが、東京の山手線内側に東京大・早稲田大・慶応大・上智大・明治大・青山学院・学習院大・法政大学など枚挙にいとまがなく立地しているのに対し、大阪環状線の内側にメインキャンパスを構える総合大学はひとつもありません。

このキャンパスも交通アクセスは悪く、近鉄奈良線の東花園駅よりバスで15分かかり周辺には書店や飲食店などもなく学生生活を送るに不便な立地となっています。

 

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私立大学にはそれぞれ創立者の教育理念や方針など歴史があり、立地だけで大学を選ぶ人は少ないと思います。大阪経済法科大は沿革は他の大学と全く異なる独特な設立経緯があります。

同学園の創立者は金澤尚淑(金尚淑・キムサンスク)という在日朝鮮人で、1971年に文部省から設置の認可を受け、その後に理事長となりました。金澤は上本町にてトルコ風呂「上六トルコ」やアルバイトサロン、貸金業、パチンコ店などを経営、数十億という財を築きます。1964年10月、対立する暴力団の襲撃に備え山口組系暴力団員を用心棒に短銃、ライフル、日本刀で武装した疑いで大阪府警に逮捕され、懲役2年6ヶ月執行猶予3年の判決が下されます。それ以前にも、傷害・暴行行為で逮捕歴のある金澤は裁判にて「反社会的性格の持ち主」とされ、大学の設立許可がなかなかおりませんでした。そこで、サントリーの佐治慶三やダイエーの中内功など関西の財界人を網羅した評議会名簿を作成、金澤は今後とも理事会に参加しない誓約書付きで許可がおります。

 

 

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ところが、文部省より許可が下りると72年に金澤が理事に就任、大学をコリアンの「民族財産」と位置付け、管理部門の人事をほとんど在日コリアンにするなど独裁的な支配体制で様々な問題が発生します。78年には合格者以外の受験生をほぼ全員を補欠合格とし「協力金」を条件に入学を許可するという通知を送付、このことが2月15日付毎日新聞大阪版が報道されます。さらに80年には一部の受験生に合格通知と不合格通知が二重に届く事態が発生、また同年、進路指導担当の複数の高校教師に2~5万円の商品券を配った事実を読売新聞にて明らかにされます。

 

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読売新聞 [大阪版] 1980年12月12日夕刊

 

なぜ、このような問題が立て続けに発生したのでしょうか。その内幕を同学園の元教授である前圭一(まえ・けいいち)氏が「闇を拓く光」(2014,ウインかもがわ)という書籍に綴っています。

同書によると金澤理事は支配体制に歯向かう教員を元ヤクザを雇用するなどして強要、通常では考えられないようなワンマン支配で不満をあらわにする教員を次々と解雇するなど、理事会と教員組合が対立し紛争状態で大学として体をなしていなかったとしています。ただ、この書籍は暴露本のような内容なので、双方の意見を聞かなければ真実は見えてこないように思います。残念ながら金澤理事は85年に死去、対立構造は表面化せずコップの中の嵐と終わり、学園は新体制となります。

 

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金澤氏が他界した後、理事長は長男の俊行(ジュネン)氏に、副学長に呉原清達(呉清達・ゴチョンダル)氏が就任、しかし今度は呉原副学長に「北朝鮮工作員」疑惑の文春砲が襲い掛かります。

 

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週刊文春   1999年9月から6回にわたって連載された呉原副学長「スパイ疑惑」

 

 

呉原副学長は1941年大阪生まれの在日2世、朝鮮総連大阪に所属した活動家の家系に生まれ、大阪大学工学部を卒業後の87年から大学の理事となります。「週刊文春」は99年9月から6回にわたって呉原副学長の記事を連載、75年に韓国ソウルで在日韓国人学生が21人逮捕された「学園浸透スパイ事件」に関与を示唆、副学長を「金正日”直属スパイ”」と見出しを掲げ関係者の証言や証拠を掲載します。

これに対し呉原副学長は事実無根であると損害賠償を請求、大阪地裁は文春の記事に「真実の立証、相当性がない」とし300万円の支払いを命じます。しかしながら、北朝鮮との不透明な関係性を問題視され志願者は激減、学園は存亡の危機に陥ってしまいます。このような状況に「闇を拓く光」では経法大には過去と現在はあるが、未来がないとしています。ちなみに、文春側が記事の真贋性を立証できなかったのは、執筆したライターのきむ・むい氏がルポの発表直後に自宅アパートの一室で死体となり発見され、部屋からは取材ノートやカセットテープがなくなっていたためです。

 

本ブログでは昨年から大阪市の自転車小売業の実態研究の一環で、在日朝鮮人の「鉄くず」回収業の戦後史を紹介しています。私は在日朝鮮人ではありませんが、在日朝鮮人の文化や思考は調べれば調べるほど独特で、ひきつけるものがあるように思います。しかし、教育の現場に理事長の強いイデオロギーを持ち込むのは、森友学園問題でどうしても拒否感があり、大阪人としては素直に受け入れることができません。経法大が今後どのような未来を描くかは分かりませんが、同学園のホームページには今でも「建学の理念」として金澤の信念が掲げられています。

 

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建設中止となった、森友学園「瑞穂の国記念小学校」 (2022年4月撮影)

 

ロシアのウクライナ侵攻によりまた世界情勢が大きく変化しています。日本はいまだ北朝鮮と国交がなく、朝鮮半島も統一の兆しがみえません。私は経法大の卒業生でも関係者でもありませんが、同学園が膠着している日朝関係を懐柔し東アジアの発展に寄与する窓口となるように期待したいと思っています。

 

 

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日本から北朝鮮に輸出される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

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【未解決】驚愕!西宮競輪場 2900万円強盗事件の真犯人

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現在、西宮ガーデンズのある場所にはかつて「阪急西宮スタジアム」という野球場があり、プロ野球チーム阪急ブレーブスが本拠地として使用していました。そして、この球場で2002年まで西宮競輪が開催されていたことを昨年6月の本ブログで投稿しました。

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西宮競輪場では1993年11月に2900万円が奪われる強盗事件が発生、犯行は未解決のまま忘れ去られ時効を迎えました。その後、この事件が予期せぬ方向から、その犯行グループの姿が明らかにされました。

 

森下香枝著「グリコ・森永事件[最終報告]真犯人」(朝日新聞社,2007)
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2007年に出版された森下香枝著「真犯人」(朝日新聞社)は、前年に出版されたノンフィクションノベル「史上最大の銀行強盗」(朝日新聞社)をベースに、森本受刑囚や犯行リーダーの前田浩二への追加取材を加えたノンフィクション作品です。

 

「西宮競輪場の強盗事件も、鉄ちゃんと森本芳博と私の3人で下調べをしていた事件です。私が他の事件で逮捕された後、事件は鉄ちゃん、森本喜博で決行し、すべて成功しています」

 

犯行グループ「平成強盗団」はリーダーの前田を指示役に、実行部隊の森本喜博(よしひろ)、「鉄ちゃん」こと金翼哲(キム・イクチョル)の3人を中心にして、大阪の阪神ホテルの一室にて結成されました。グループは、小手調べに尼崎市園田の郵便局強盗を成功すると、西宮競輪場強盗を続けて決行します。

1993年11月24日11時、小倉競輪の場外車券の二日分の売上2740万円を積んだ「けんみん大和信用組合」西宮支店の2台のオートバイが競輪場の南東100mの西宮市高松町の路上で、突然二台の車に挟み撃ちにされ車から降りた男に短銃のようなものを突き付け職員を連行、現金運搬用の鍵を開けさせ強奪すると西宮市武庫之荘の路上で2人開放しました。

 

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朝日新聞 1993年11月24日夕刊 [大阪版]

 

競輪場強盗が成功すると犯行グループは次なるターゲットを神戸市元町の「福徳銀行」神戸支店に出入りする現金輸送車に絞り、下調べの尾行を繰り返しました。

1994年8月6日9時20分、JR元町駅から鯉川筋を60m南下した「福徳銀行」神戸支店に二人組の男が現金の詰まった3つのジュラルミンケースをわずか3分ほどで強奪、二人組は死角を突き、炎天下の繁華街を疾風のように目抜き通りを逆走し消え去っていきました。

国内の銀行強盗事件史上最高金額5億4000万円、二人のモンタージュ絵が作成され「サングラス男」「ミイラ男」とされ捜査されました。サングラス男が森本、ミイラ男がキムで、二人は犯行直後に強奪金の取り分を巡り揉め、それ以来一度も会うことはなかったようです。

 

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森本はその後海外に逃走、一連の事件の時効が成立すると帰国し2007年2月に名古屋市中区の「愛知信用金庫」西大須支店の駐車場にて、職員の持つジュラルミンケースを奪おうとし取り押さえられました。リーダーの前田は「5億4000万円強盗事件も鉄ちゃんがいればこそ成功したものであって、森本善博一人ではどうすることもできなかった」としています。懲役8年、奪おうとしたジュラルミンケースの中は空でした。

 

 

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<グループの起こした連続強盗事件>
・園田郵便局強盗事件 (1993年10月尼崎市)【未解決】500万
       ↓
・西宮競輪場強盗事件 (1993年11月西宮市)【未解決】2700万
       ↓
・福徳銀行強盗事件 (1994年8月神戸市)【未解決】5億4000万

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キムは在日二世、小学生時代の友人の末吉という苗字が気に入り、末吉鉄之助という通名で「鉄ちゃん」と呼ばれていました。実弟は帰化し「山下芳男」の日本名で大阪で鉄工所を経営、前田と山下は1997年7月27日に発生した東淀川のゴルフ場強盗事件で240万円奪った容疑で逮捕されています。

鉄ちゃんの実家は「鉄くず」回収工場で、朝鮮戦争の特需により一家は豊かな暮らしをしていたようです。柔道有段者で頭も良かったようですが「韓国人やから、就職できん」と定時制高校を中退し、父親の工場に「ダライ粉」と呼ばれる金属削りくずをオート三輪で収集する仕事をしていたようです。

 

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金属の削りくず「ダライ粉」 (写真の場所と本文は一切関係ありません)

 

本ブログではこれまで、「アパッチ族」の金時鐘、「吹田事件」の夫徳秀、朝鮮寺「龍王宮」の韓秀子管理人など在日朝鮮人による「鉄くず」関連の記事を投稿してきました。それぞれ違法行為には違いないのですが、各々複雑な事情があり、ブログを読んでいただくと悪人ではないことが分かると思います。しかし、鉄ちゃんはこの頃から古鉄盗みやヤクザの用心棒するなど前科14犯で「史上最大の銀行強盗」の片りんをみせていました。そして囚えられた前田・山下は、その凶悪な素性を供述しています。

 

はなよりも 箕面のさとの もみじ狩り みのひとつだに とれぬけいさつ

 

強盗事件が起こる10年前の1984年、昭和最大のミステリーとされる「グリコ・森永事件」が世を震撼させます。「かい人21面相」を名乗る犯人が、大阪の北部を中心に青酸ソーダ入りの菓子がバラ撒き挑戦状ともとれる犯行声明出す「劇場型犯罪」を繰り広げます。私の住む箕面でも毒入り菓子が見つかり、売り場では菓子の撤去が始まり、当時小学生だった私も憎き「かい人」の早期逮捕を待っていました。

 

一体、誰が何の目的でこんなことを、、
時効が成立し事件から38年の歳月を経た今でも謎は解明されていません。事件の発端は江崎グリコの江崎勝久社長の誘拐事件に始まり大事件へと発展し、謎を残したまま突如終わりを告げます。

 

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西宮市二見町の江崎邸跡 西宮競輪場から徒歩20分ほどで現在は駐車場となっている

 

グリコは道頓堀の広告看板で知られるように大阪の食品企業で、勝久社長はJR甲子園口から北へ300m先の閑静な住宅街の西宮市二見町に650平方メートルの敷地の2階建ての邸宅に家族と暮らしていました。84年3月18日夜、犯人は社長宅に侵入し、入浴中だった勝久社長を銃で脅し全裸のまま誘拐しました。

 

「ええか、グリコ・森永事件と5億4000万円の犯人は同じや」

 

社長はその後解放されますが、頭髪から少量の金属くずが採取されていました。連れ去られる際の目隠しに使用された布袋に微量に残っていたダライ粉が付着してしまったのです。

犯人のモンタージュ絵「キツネ目の男」が有名で単独犯のように思えてしまいますが、社長宅に押し入った犯人がすでに二人組で、鉄ちゃんは「ビデオ男」と呼ばれています。「ビデオ」というのは、事件が注目を集めていた同年10月に公開された「ファミリーマート 甲子園口店」の店内防犯ビデオのことで、撮影日時が森永の青酸入り菓子がバラ撒かれた時期で、どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相という紙が発見された事件です。このファミマは、江崎邸から60mと最寄りのコンビニで、鉄ちゃんの実家や競輪場も徒歩圏という立地で大胆な犯行です。

 

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国内最高金額の銀行強盗と戦後最大の怪事件の犯人が同一犯であるという衝撃的事実、犯人が特定されていて他のメンバーは逮捕されているのに、鉄ちゃんこと金翼哲はなぜ逮捕されないのでしょうか。

キムは福徳銀行強盗の強奪金を神戸市長田区のアパートの屋根裏に隠し、少しずつ資金洗浄をしていたのですが、犯行翌年にアパートが阪神大震災で被災し分け前の1億6000万円の大半が焼失してしまいます。そしてその後、神戸市中央区琴ノ緒町(ことのちょう)のマンションに住みパチンコ店で働いていました。

偶然なのですが、私も同時期に琴ノ緒町の二宮神社の向かいのワンルームマンションに住んでいました。福徳銀行まで歩いていける距離で、まだ震災の爪痕が残っていて少し寂しい雰囲気のする一角でした。もちろん凶悪犯が潜伏していたことを知るすべはありませんが、今思うとあの一帯は比較的捜査の目も及びにくい場所だったようにも思えます。

ところが1997年11月、自宅マンションを福徳銀行強盗の容疑で兵庫県警によって家宅捜索を受けます。強奪金は消失してしまっているためガサ入れは証拠不十分で失敗、キムは釈放されますが翌日に自宅から500m先で縊れた状態で発見されます。こうして、一連の犯行は時効が成立、県警の不手際もあるため未解決事件として処理され、謎を残したまま今でも世間を震撼させた怪事件として語り続けられているのです。

 

 

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国内最大級の自転車蚤の市「シクロジャンブル」2022春

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2022年5月22日、国内最大級のビンテージ自転車やパーツのスワップミート「シクロジャンブル」に行ってきました。

 

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シクロジャンブルは大阪北部・豊中市の服部緑地公園で年2回春と秋に開催される中古自転車と部品のフリーマーケットで、西日本最大の自転車蚤の市です。1999年から毎年春秋と2回実施されていましたが、コロナの影響で中止していて、3年ぶりの開催となりました。多くの自転車マニアの集うおなじみのイベントですが99年当時は、自転車専門誌「ニューサイクリング」に寄稿していた読者の内輪ノリのような身内の会合だったようです。

 

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最寄り駅は北大阪急行「緑地公園駅」で、地下鉄御堂筋線を利用すると大阪中心部や新大阪駅からも交通アクセスがよく多くの自転車マニアが遠方からも集まります。会場は緑地公園駅から公園内を歩くこと15分の「古民家集落広場」という多目的広場で行われます。

実行委員会の安田さんによると、開場は初開催から同広場で行われ、初めの5年間は地元のサイクリングクラブや自転車店など500通ほどハガキを郵送し地道に活動をしていたようです。

 

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2010年頃になるとSNSの普及などの影響で出店数や参加者など来場者が増加、本来は大阪府公園条例で公園内での商行為は禁止されていますが、本ブログなどがフリーマーケットと「誤情報」を勝手に流していることが問題視され、公園管理事務所の責任者が変わるたびに委員会が主旨の説明をしてくださり、今に至っています。

前日まで天気が曇り空で開催が危ぶまれていましたが、当日は晴天に恵まれ、暑いくらいでした。

 

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3年ぶりということもあり、広場には多くの自転車ファンが集まっていました。開始時間は9時ということになっているみたいですが、なるべく早く行った方が掘り出しモノが見つけられると思います。

出店は誰でも可能で自転車パーツコレクターから自転車関係業者など約40ブース、自転車パーツが多く、貴重なビンテージパーツから不用品まで様々な自転車関連の品々が交換取引されています。アンティークなスポーツ自転車は見ているだけでも楽しいですが、持ち主に交渉次第では譲ってもらえるかもしれません。

 

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車体の出品はそれほど多くなく、メインはロードバイク・マウンテンバイク・ランドナー・BMX・ミニベロ・クロスバイク・実用車などの部品で、ジャンルや新旧を問わず扱われています。

値札のようなものに数字が書いている場合もありますが、気になる部品があれば出展者の方に交渉してみるといいのではないでしょうか。出品者は金儲けで来ている訳ではないので、手さげ袋・小銭・メジャー・ノギスなどは持参した方がいいかもしれません。

 

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今回、自転車関連の書籍類の出品が多く「自転車の一世紀」というゲットしました。
市立図書館にも所蔵があり読んだことがあったのですが、ネットオークションではプレ値がついている書籍です。

 

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今まで、このイベントはFacebookページでの告知がメインだったのですが、今春からTwitter等でも情報発信を始動しているようですので、そちらもチェックするとより詳細な情報が得られると思います。

個人的には仕事があるためいつも10時で帰るので、前夜祭や打ち上げイベントとかがあったらいいなと思っています。

 

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世界有数の所蔵「シマノ自転車博物館」堺東駅前に爆誕

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大仙公園にあった自転車博物館「サイクルセンター」が、堺東に移転し「シマノ自転車博物館」にリニューアルされたので行ってきました。

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大仙公園の仁徳天皇陵の南西側にあったシマノが運営している自転車の博物館は、本ブログでも毎年おこなわれる特別企画展の様子を投稿していましたが、シマノが創業100周年を迎えた今春に3.5倍に増床しリニューアルしました。

以前の施設は堺市からの賃貸物件で、百舌鳥(もず)古墳群がユネスコにより世界遺産登録となったことを受けて、建物を関連施設へ転用する話が持ち上がり、シマノは移転先を探していました。

新施設は以前の場所から北に1km、堺市役所などがある市の中心駅の南海高野線「堺東」駅から徒歩5分の好立地で、新しく建てられた自社施設となっています。大阪市内からだと「なんば」から乗り換えなしで20分ほどで行けるようになりました。

 

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同施設には19世紀初頭からの貴重なクラシック自転車などが展示されています。国内には「関西サイクルスポーツセンター」や「自転車文化センター」など自転車関連施設はありますが、自転車の博物館というのは国内で唯一となり、コレクションの質も他所とはレベル違いとなっています。

 

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入館料が一般200円から500円に値上げとなったのが少し残念ですが、自転車に興味のない小学生から自転車マニアまで誰でも楽しめるようディスプレイ方法や映像で工夫されていて、充分に満足できると思います。

ビルは4階建構造で1、2、4階が鑑賞エリアとなっています。

1階部分は無料エリアと有料エリアに分かれていて、無料展示エリアでもコレクションの一部を見ることができます。それだけでなく、駅近くなので夏の暑い日や雨の日などは待ち合わせ場所となり、トイレも利用できます。写真撮影もOKなので、チャップリンが乗ってそうなかわいい自転車とSNS映えする一枚を友達と共有するも良し、写真を額装して部屋に飾ってもおもしろいかもしれません。

 

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2階部分は自転車発祥の歴史を貴重な実車を見ながら映像を鑑賞できる大空間となっています。

これらの充実したコレクションは創業者の島野庄三郎の次男である三代目社長の敬三が、オランダの自転車メーカーのバタバス社の社長から1982年に購入したものが大半となっていて、間違いなく世界有数の展示品となっています。

大仙公園の時の施設は1992年開業で結構ギチギチに詰め込んであった印象があるのですが、新施設は1台1台の展示間隔が広めにとってあって、ソーシャルディスタンスが確保でき、希少な自転車をゆっくり見ることができます。

 

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4階は回廊となっていて、特別企画展などを催す展示室や豊かなサイクルライフのヒントとなるような自転車紹介、自転車関連書籍などを閲覧できるライブラリーなどがあり、一日中居ても飽きない楽しい場所となっています。展示されている名車はそれぞれ特徴があり一度では紹介しきれませんので、本ブログでまた一台ずつ小出しで紹介していきたいと思います。

 

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シマノは堺の町工場として誕生し、世界最大の自転車企業に成長しました。東証プライム上場企業で昨年9月には株価も上場来最高値を記録、在阪企業としてキーエンス、伊藤忠商事、ダイキン、武田薬品工、パナソニックに次ぐ規模の大型企業であり、雇用やものつくりだけでなく様々な地域貢献など社会的活動に取り組んでいます。

 

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シマノは世界最大の自転車企業でありながら、自転車そのものはつくらず部品の製造にとどまっています。自転車の製造は分業制でフレームはフレームメーカー、タイヤはタイヤメーカーが製造し、シマノは主に車輪やギアなど駆動部を担っていて高いシェアを保持し、技術力で世界を支配しています。

自転車本体を製造すれば企業としてもっと売上を伸ばせるように思えますが、これはマーケティングというより経営理念の問題になります。例えば、考え方として「人類史上最大の発明はなにか」という問いに、「自転車」と回答する人と「車輪」と回答する人、どちらが多いのか。経営というのはこのような難題の連続で、100年続いているというのは、それだけでも非常に立派な回答を出して、シマノが自転車部品を鋳造するのは造幣局が硬貨を鋳造するようなもので、星の数ほどある自転車は今日も世界のどこかで壊れ、シマノの部品を必要としているということなのです。

 

 

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霊山 生駒山、暗峠の北側山道「額田谷」朝鮮寺廃墟群

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前回の投稿で、在日朝鮮人と日本共産党が生駒山地で「大阪古物商総会」と称して、秘密裏に計画された騒擾事件「吹田事件」を紹介しました。

大阪平野の東端、奈良との県境にそびえる生駒山は大阪市の中心部から電車で20分ほどで行ける身近な山です。鉄道は「生駒トンネル」を通り、乗り換えなしに5分ほどで奈良側に着き、ケーブルカーで山頂まで登ることができます。生駒側から登ると中腹に「宝山寺」という真言律宗の大本山があり、大阪で水商売を始める人に後利益があるとされ、大阪側からは「石切神社」のお百度詣の参道に沿い商店が並び、霊山として多くの参拝者を集めています。

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山にはいくつか往来できるように道が整備されていて、石切神社参道から続くハイキングコース「辻子谷」や自転車のヒルクライムで全国最凶の酷道として知られる「暗峠」(くらがりとうげ)などがあります。

 

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マウンテンバイクでパスハンティングできる古道はないかと、大阪側から山中をトレイルランで散策していると、俗世を離れた神秘的な寺院や滝があったり、ユニークな石仏像に出会ったり、GoogleMap未踏の風景に大阪のまた違った一面を見ることができます。

 

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生駒山を貫く「生駒トンネル」は大正時代に掘削され、多くの朝鮮人労働者が従事し、当時は住民と衝突もあったそうです。そういう関係性もあり、山中には朝鮮仏教寺院が点在しています。朝鮮寺は1932年に在日朝鮮人が大阪市東淀川区に建立されたのをはじめに、信仰のよりどころとして広がっていきました。

一般的にはこのような寺社の存在はあまり知られているとは言えませんが、大阪市内にもベルリンの壁がある茶臼山「統国寺」や桜ノ宮「龍王宮」などがあり、神戸市や宝塚市、東京都内にも散在しているようです。しかし、生駒山地の大阪側には正確な数が把握できないほど多くの「朝鮮寺(韓寺)」があり、1985年に調査チーム「宗教社会学の会」が3年を掛けて行われた現地調査では、なんと60施設以上が確認されているようです。

 

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この日のトレイルランでは、辻子谷と暗峠の間に平行するようにある「額田谷」という山道を走ってきました。閑静な住宅地の間を抜けると「長尾の滝」までは谷筋に沿いモルタル舗装されていて、滝より奥は藪道のシングルトラックが霊気蠢く異界へ伸びています。林道に入ると全く人はおらず、ほんの数分で廃墟と思われる寂れた家屋がみられるようになります。

 

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韓国の仏教は日本の仏教と異なりお坊さんはおらず、仏教と巫俗の習合のような形態になって、主に女性シャーマンが憑依し、信者を集め賽神を行うようです。私は韓国仏教について詳しくありませんが、日本でも幕末より貧困層の女性が突然覚醒する「民衆宗教」が勃起したことは、2月の投稿でも取り上げました。生駒の朝鮮仏教は、中山みき「天理教」、出口なお「大本教」、大森智辯「辨天宗」、北村サヨ「天照皇大神宮教」などこれらの民衆宗教との類似点があるように思えます。

この半世紀、民衆宗教が信者数を軒並み減らしているのと同様に、生駒の朝鮮仏教信仰も衰退し、多くの施設は廃寺となり放置され今にも崩れそうな状態となっています。

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朝鮮仏教は寺院や仏像より女性シャーマンへの信仰心が強く、主が亡くなると相続する者がおらず、荒廃してしまうというケースが多いようです。施設は宗教法人格を持っていないばかりか、所有権が不明確な川べりや砂防ダム内に建物を造っているため不法占拠状態で、増水などにより流される危険もあります。

 

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大川沿いにある桜ノ宮「龍王宮」も、周辺には朝鮮人の「鉄くず」業者のバラックが並んでいました。しかし、違法占拠が問題となり「古鉄街」は撤去、信仰を盾に「龍王宮」は免れていましたが、管理が行き届かずゴミであふれヌートリア(大型のネズミ)が住み着き、2007年に火災を起こし橋の上を走る「大阪環状線」の運行に支障を出してしまい、2010年に管理人の韓秀子さんによって解体され現在では跡形もなくなり「桜ノ宮ビーチ」のある親水公園として整備されています。

 

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私は新興宗教の信者でもなければ在日朝鮮人でもありませんが、その立場の私から見ても生駒山地の朝鮮寺の衰退は貴重な文化の喪失で、もっと何とかしようがあるのではないかという気持ちで胸が痛みます。激廃れの廃寺群はそれはそれで珍しく諸行無常を感じますが、何とかして崩れ落ちた壁の保全くらいはできないのでしょうか。

 

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生駒山の山頂付近には大阪を一望できる「生駒山上遊園地」があります。レストランやトイレがあり、無料で入園できるので子供やカップルに交じってハイキング客の姿も見られ、俗世に戻ってきた感じがします。園内には霊山らしくお化け屋敷「地獄門」があり、500円で恐怖を味わえます。

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ここまで本ブログでは、「アパッチ族」の金時鐘(キム・ジジョン)、「吹田事件」の首謀者である夫徳秀(ブ・トクス)と、戦後大阪の在日産業「鉄くず」収集の実態を調べてきました。私が不勉強なだけかもしれませんが、調べれば調べるほど知らなかった事実が発覚し、このような歴史の経て大阪というまちがあるのだと考えさせられました。ただ、肝心のスクラップ収集から中古自転車販売への転換となった経緯がミッシングリンクとなっていて調べきれていませんので、引き続き本ブログにて調査・報告をしていきたいと思います。

 

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