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CATEGORY: 小ネタ

自転車本を1000冊読んだ自転車技士がガチで選んだ10冊

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20年の自転車技士生活で読んできた自転車本は雑誌などを含めると1000冊以上となります。その中でも、この本はすごいという10冊を選んでみました。

 

自転車本を1000冊以上読んだ自転車技士がガチで選んだ10冊

 

ダウンロード
【書籍名】
二十四の瞳
【ジャンル】小説
【著者】壺井 栄
【発売】1952
【書評】現在国内では男女共に自転車に乗る。「二十四の瞳」はまだ自転車が高価だった昭和初期の瀬戸内海の島に都会から自転車に乗った洋装の女先生が赴任してくる場面から始まり、大きく社会情勢が変化する数年間を描く不朽の名作。

 

 

nc 1968
【書籍名】ニューサイクリング -1968年12月号-
【ジャンル】雑誌
【発行】今井彬彦
【発売】1968
【書評】1960年代の数少ない自転車情報の発信源「ニューサイクリング」誌。68年12月号は読者にとって伝説となる沼勉氏がフランスでオーダーしたルネルスが表紙、太い650Bタイヤや俯瞰した構図は日本の自転車業界に大きな衝撃を与え、名車中の名車として神格化。

 

 
cyclingbook
【書籍名】サイクリング事典
【ジャンル】実用書
【著者】鳥山 新一
【発売】1972
【書評】東大医学部卒、サイクリングの啓蒙ため「鳥山研究所」を設立し多くの手引書を残した輪業界の最重要人物である著者の代表作。とても一人で書いているとは思えない充実の内容は、それまで中学生まで遊びだったサイクリングを大学生や大人にまで広げ、バイブルとなった。難解な内容を明解に解説し、読後たちまち理論と教養を持ち合わせた「自転車マニア」になれる圧倒力は鳥山の真骨頂。

 

 

 

 

peddle kiko
【書籍名】世界ペダル紀行
【ジャンル】紀行
【著者】池本 元光
【発売】1974
【書評】4年4ヶ月かけ、五大陸42000kmを走破した自転車旅行記の金字塔。1968年8月に大阪を出発、旅先での出会いや苦労話は後に続くバックパッカーへの金言となる。帰国後は関西サイクルスポーツセンターに勤務、サイクリングの普及活動に人生をささげる。

 

 

 

 

 

 

cycleshports
【書籍名】サイクルスポーツ -1982年12月号-
【ジャンル】雑誌
【発行】八重洲出版
【発売】1982
【書評】「サイクルスポーツ」誌は、サイクリングから欧州ロードレースなどの競技まで網羅し、日本のスポーツ自転車文化をけん引する存在。1982年12月号ではその年公開の映画「E.T」のBMXとアラヤのニューモデルのインプレッションを特集、誌上初めてマウンテンバイクを紹介し、これをきっかけに国内でも広く普及するようになる。

 

 

 

 

monster bike
【書籍名】魔物たち
【ジャンル】企画本
【著者】新田 眞志
【発売年】1994
【書評】「ニューサイクリング」誌にて1985年から8年間続いた人気企画「魔物について」。連載当初はこだわりのドロヨケ付きのサイクリング車とオーナーの人物像にフォーカスした企画だったが、86年から新田氏が解説を担当し次第に読者から支持を獲得、100台を超える掲載車から32台を厳選した愛蔵版。

 

 

 

pistbikebible
【書籍名】ザ・ピストバイク・バイブル
【ジャンル】ムック
【発行】宝島
【発売年】2007
【書評】今まで公道で使用されることのなかった競輪用自転車「ピストバイク」がファッションとして注目され始め、若い男性がこぞってカスタムを始めるムーブメントが突如起こった。その全貌をファッションスナップなどストリートカルチャとして紹介、刺激を求める都会の不良の新たな自己表現の方法となる。

 

 

 

 

taiwan
【書籍名】「環島」ぐるっと台湾一周旅
【ジャンル】紀行
【著者】一青 妙
【発売年】2017
【書評】ミュージシャンの一青窈さんの姉で歯科医でもある著者が、父親の祖国でもある台湾一周自転車旅「環島」に自転車メーカーGIANTの誘いで参加した旅行記をまとめたエッセイ。およそ1000kmを9日間かけて出発地点に戻ると同じ風景がまた違って見えるという。台湾の名所やグルメガイド、自転車旅のハウツーなど見事に一冊に凝縮されていて読んでいて飽きない。

 

 

 

keirin culture
【書籍名】競輪文化 働く者のスポーツの社会史
【ジャンル】文化研究
【著者】古川 岳志
【発売年】2018
【書評】大阪で文化社会学の研究をしている著者が、戦後公営ギャンブルとし誕生し、歴史と共に発展する競輪の独自性を「文化」という切り口で考察。社会的影響や組織マネジメントなど新設予定のカジノにも通じる部分が多く、関係する方は必ず読んでおきたい一冊。

 

 

 

 

nostalgic cycle
【書籍名】日本 懐かしの自転車大全
【ジャンル】文化研究
【著者】内藤 常美
【発売年】2020
【書評】「関西輪業界の生き字引」新家工業の内藤氏による初の著書。内藤氏の知識量は膨大で世界でも右に出る者はいないほど。幅広い知識があるにもかかわらず「フラッシャー自転車」という誰も取り組んだことない専門書を送り出す意外性、作り手という実体験から得られた見地、豊富な資料など読み応え抜群の一冊。読んでいるだけで楽しくなる昭和の憧れの自転車の総覧は唯一無二の傑作資料。

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自転車パーツ Amazon店 売上げベスト10 【2022年上期】

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2022年上半期の Amaozn通販の販売点数トップ10ランキングです。
プライムでの出店なので送料もかからず、書籍や日用品類と同送できますので是非ご利用ください。

 

第1位 ()
wald 137
【メーカー】WALD
【商品名】137 バスケット
【税込価格】6,050~6,930円
【特徴】米国製のフロントバスケット

 

 

第2位 ()
mks always
【メーカー】三ヶ島 MKS
【商品名】ALLWAYS
【税込価格】7,920円
【特徴】ミニベロからグラベルバイクまで多目的で使用されるスパイクピン付きペダル

 

 

第3位 New
FJP600
【メーカー】THERMOS
【商品名】FJP-600
【税込価格】3,960円
【特徴】保冷力の高い真空断熱のステンレス製自転車用スポーツ水筒

 

 

第4位 ()
erogon ga3
【メーカー】ERGON
【商品名】GA3
【税込価格】4,950円
【特徴】人間工学に基づいた形状のマウンテンバイク用グリップ

 

 

 

第5位 ()
topeak roadie tt mini
【メーカー】TOPEAK
【商品名】ROADIE TT MINI
【税込価格】5,390円
【特徴】自転車ポンプ史上最高傑作との呼び声も高いロードバイク専用コンパクトポンプ。ツインターボ(TT)テクノロジーにより、圧縮された空気を楽々と入れることができる

 

 

第6位 ()
guee sl-dual
【メーカー】GUEE
【商品名】SL DUAL
【税込価格】5,060円
【特徴】雨や汗で滑りにくいポリウレタン製バーテープ

 

 

第7位 ()
tioga fastr
【メーカー】TIOGA
【商品名】FASTR X S-spec
【税込価格】5,280~5,500円
【特徴】ほぼ全てのトップBMXレーサーが使用しているTIOGAのタイヤ

 

 

第8位 ()
guee sl-dual
【メーカー】GUEE
【商品名】SL DUAL LTD
【税込価格】5,060円
【特徴】第6位の「SL DUAL」のメタリックカラーバージョン

 

 

第9位 ()
ergon gp1
【メーカー】ERGON
【商品名】GP1
【税込価格】5,610円
【特徴】握りやすい形状の定番のコンフォートグリップ

 

 

 

第10位 ()
topeak toploader
【メーカー】TOPEAK
【商品名】TOPLOADER
【税込価格】5,170円
【特徴】スマホ等を収納するのに便利なトップチューブ上側に取り付けるバッグ

 


 

| 値上げラッシュはこれからが本番?

様々な要因があると思いますが、昨年から自転車及び自転車部品の値上げが相次いでいます。
ランキング上位の人気商品も全商品が値上げの対象となっていています。

第4位「GA3」が、2020年4070円 → 21年4730円 → 22年4950円
第5位「ROADIE TT MINI」が、2020年4400円 → 21年4620円 → 22年5390円
第10位「TOPLOADER」が、2020年3630円 → 21年3960円 → 22年5170円

全体としてはインフレの影響を受けて、年8%ずつ価格は上がっています。

また、サプライチェーンの混乱が引き続いていて、供給が安定化せずAmazonでは「プレ値」が付く商品も出てきています。一時期と比較すると状況は改善して来ているように思いますが、正常化するまではまだ時間がかかりそうです。さらに今後加速する円安の影響が出てくることが予想され、値上げに歯止めがかからなくなる可能性が示唆されています。

 

 

 

 

※ Amazon.co.jpでの自転車本体の販売はおこなっていません。販売はパーツのみとなり、店頭の自転車パーツと少しラインナップがことなります。

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【追悼】石原慎太郎の屈辱と野望「新しい競輪」

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本年2月、作家で政治家の石原慎太郎が亡くなりました。ブログ投稿のためちょうど「巷の神々」(1967,サンケイ新聞出版)を図書館で借り、読んでいたところだったので大変に驚いたように覚えています。私は1978年生まれで作家時代の石原のことは実はあまり良く知らず、20年程前、東京都民だったせいか都知事としての印象が強く残っています。没後にその他の著作や関連書籍などを読み、私なりに「政治家 石原慎太郎」の政治人生を考察、本稿にまとめ、振り返ってみました。

石原は大学時代に「太陽の季節」(1956,新潮社)で芥川賞を受賞、産経新聞で「巷の神々」を連載したことをきっかけに宗教的な後援を獲得し、68年に自由民主党公認で参議院選挙に出馬、圧倒的知名度で史上最高の票数を集め初当選、72年には衆議院に鞍替えをします。

 

その頃、東京では社会党と日本共産党は同和問題を巡り対立、両党が支持する美濃部亮吉知事は、1975年4月の次期都知事選に不出馬を表明していました。ところが、衆議院任期中の石原が名乗りを上げると分裂状態の左派が「ファシストの石原だけには都政は渡せない」と一枚岩となり、3選を目指し美濃部を引きずり出します。

 

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都知事選で落選した石原慎太郎と片目ダルマ  (朝日新聞 1975年4月14日夕刊)

 

 

「都政の荒廃を立て直し、新しい東京をつくる。私は生まれ変わるつもりでこの大仕事に取り組みます」

石原は自民党の推薦を受け美濃部に挑みますが、大都市を中心に革新勢力が躍進、人口の多い東京・大阪・神奈川の3都府県で保守勢力が破れます。

 

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▲ 公営ギャンブル廃止を掲げ当選した美濃部亮吉 (朝日新聞 1975年4月14日)

 

美濃部亮吉はマルクス経済学者で、任期中に公営競技を公害の一種とし「公営ギャンブル廃止」の見解を掲げ、東京都競走事業廃止対策本部を設立し後楽園競輪・京王閣競輪など5施設の廃止の方針を示していました。石原の敗北はこれらの方針を決定づけるものとなりました。

 

kourakuen keirin
1973年に廃止された後楽園競輪場 「競輪二十年史」(1971,自転車振興会)

 

石原はその後に国政に復帰、1990年には長男の伸晃氏と共に親子で衆議院となり、95年に在職25年表彰を受け衆議院議員を辞職しました。伸晃氏は「父の頭の中には、24年前から一貫して都知事のことがあった」としています。

石原の衆議院議員辞職から4年後の1999年、青島幸男知事がわずか1期で都知事を退任、青島は東京都初の中道ノンポリのタレント政治家で、臨界副都心開発事業「世界都市博覧会」中止を公約に掲げ当選、公約通り都市博を中止したものの、ただそれだけで主だった実績がなく都民の支持を得ることなく任期を終えました。4月11日の選挙戦では石原は渡哲也など実弟の裕次郎の残した「石原軍団」総動員で、他の候補を退け雪辱を果たします。

 

ishihara shintaro
都知事に当選した㊨石原慎太郎と㊧長男・伸晃氏 (読売新聞1999年4月12日)

 

バブル崩壊による長期的な停滞や杜撰な会計で東京都の財政状況は石原の想像以上で、都は財政再建団体に転落寸前、石原は在任中に外形標準課税の導入や複式簿記化など財政の健全化に取り組みます。また同時に、「東京マラソン」や「首都大学東京」など意欲的に新しい政策事業にも取り組み支持を集め、共同通信の世論調査では「次の首相」として現職の小泉純一郎氏を抑え第1位となります。

 

「これまでの常識を覆す、若者や女性にも楽しめる斬新でスマートな競輪を目指す」
「ドームは雰囲気も違うので、昔と違ったイメージ活用したらいい」

 

石原は、公営競技廃止により美濃部都政以降に減少した都の財源の確保として、後楽園競輪の復活と「お台場カジノ構想」を2つを提唱します。

 

tokyo keirin
美濃部路線の転換を表明した石原都政  (朝日新聞 2003年6月24日夕刊)

 

 

東京ドームは88年に完成、後楽園競輪場の跡地に建設され、地下に折り畳み式の競輪用バンクが設置されていると言われています。後楽園競輪場廃止は東京近郊にいくつも競輪場があったことからファンが分散しただけで、競輪の売上げが落ちることはありませんでした。しかし、公営競技の歴史に詳しい大阪商業大の古川岳志氏は「競輪文化」(青弓社,2018)で、後楽園競輪場廃止は「象徴的損失」であったとしています。
tokyodome keirin
後楽園競輪場の跡地に建つ東京ドーム (2021年7月撮影)

 

石原の新競輪の計画は地元住民の反対にあい難航、お台場のカジノ計画も構想を実現するには現行法の枠内では実現が難しく2003年に断念を発表しました。在任中、石原は2016年五輪招致に失敗や設立した「新銀行東京」の赤字化、さらには築地移転問題など批判も多かった一方で、長期不況で経済が全国的に停滞する中で「東京一極集中」といわれるほど、東京は発展し続け都民から高い支持をえていました。

都民そして全国の支持を受けて2010年に新党を設立、同年に大阪で産声を上げた地域政党「大阪維新の会」と協調し、12年には知事を辞職し「日本維新の会」代表に就任し国政に復帰すると、翌年には悲願のカジノ法案を提出します。法案は議論を重ね18年に成立、石原は高齢のため政界を引退していましたが、舞台は大阪の夢洲に移り準備を着々と進めています。

 

 

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▲ ㊧府市主導のディストピア「咲州」と㊨2025年万博・IRカジノ予定地「夢洲」

 

 

大阪では1955年に赤間文三知事が全国に先駆けて競輪・地方競馬の全廃を決定、55年に豊中競輪場、59年に大阪競馬場、62年に大阪中央競輪場、64年には住之江競輪場と次々に廃止または休止され、大阪府の財政状況は東京以上に悪化、財政健全化のため大阪維新の会代表の橋下徹知事が2010年にベイエリアにカジノ誘致の方針を表明します。安倍政権下で増加したインバウンド需要の恩恵を最も受けた大阪は街の景色を変えるほど観光客であふれ返り、カジノ新設は受け皿として打ってつけだったのです。計画では万博前の2024年に開場を目指していたのですが、コロナや土地整備問題で遅れ、首尾よくいっても26年頃となり経済効果を疑問視する声も上がっています。

 

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石原からバトンを受けた「日本維新の会」副代表の吉村洋文知事 (2020年11月撮影)

 

私は全くと言っていいほどギャンブルはしないのですが、財政論としてカジノという施設の有益性は大いにあり、施設ができたらどんなところなのか一度行ってみたいと思っています。カジノ賛成派です。公営ギャンブルの是非について様々な意見があることは知っていますが、石原が財政策として公営ギャンブルを推し進めてきた経緯はあまり知られていないように思います。

本ブログでは、以前から夢洲の万博跡地を競輪場として活用するべきであると主張しています。カジノ施設は収容人数が限られていて、日本だけでなく全世界から多くの来客があり、オープンからしばらくは入場ができないことは目に見えています。溢れ返った観光客をただただ返してしまうのはもったいないことで、本場のKEIRINを体感していただければ、他国のカジノとの差別化にもなり再訪にもつながるのではないでしょうか。

 

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疑惑の学園、大阪経済法科大の「闇」

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またの先月のブログで生駒山地にトレランに行った時の投稿のアクセス数が普段より良かったので、今度は暗峠から5キロほど南側の稜線にある十三峠(じゅうさんとうげ)に行ってきました。

 

jyusan touge

 

ロードバイクのクライマーには暗峠は全国的に知られていますが、あまりの急坂のためか、十三峠の方が地元のサイクリストに人気があり「サイクリストのための百名峠ガイド」(八重洲出版)では、特に大阪平野を一望できる夜景が魅力であるとして府下で唯一選出されています。峠道は舗装された一般道で、大阪側から峠を越えると奈良県平群町に抜けることができます。

ハイキング道に入ると額田谷と同様に霊山の雰囲気があり石仏や古寺が点在していて、マウンテンバイクで走行すると楽しそうだなと思ったのですが、条例で車両(自転車を含む)が走行できないエリアもあるようですので、少し時間をかけて調査し、また別の機会に紹介できればと考えています。

 

jyusan

 

山頂付近から平野を見下ろすと、麓にひと際目立つ白い建物が目に入ります。大阪経済法科大学です。大阪平野の東端、周辺には戸建て住宅や畑などがあり、峠道は同校の脇を通り、つづら折りになって山頂付近に続いています。

 

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大阪以外の他の都道府県の方は大学とというと普通は県庁所在地など市街地の真ん中で学生街などを形成するイメージかもしれませんが、大阪ではこのように山裾にへばりつく様に所在し、鉄道の終着駅からバスで揺られて通学するスタイルが多くなっています。比較として適切なのか分かりませんが、東京の山手線内側に東京大・早稲田大・慶応大・上智大・明治大・青山学院・学習院大・法政大学など枚挙にいとまがなく立地しているのに対し、大阪環状線の内側にメインキャンパスを構える総合大学はひとつもありません。

このキャンパスも交通アクセスは悪く、近鉄奈良線の東花園駅よりバスで15分かかり周辺には書店や飲食店などもなく学生生活を送るに不便な立地となっています。

 

osakakeho university

 

私立大学にはそれぞれ創立者の教育理念や方針など歴史があり、立地だけで大学を選ぶ人は少ないと思います。大阪経済法科大は沿革は他の大学と全く異なる独特な設立経緯があります。

同学園の創立者は金澤尚淑(金尚淑・キムサンスク)という在日朝鮮人で、1971年に文部省から設置の認可を受け、その後に理事長となりました。金澤は上本町にてトルコ風呂「上六トルコ」やアルバイトサロン、貸金業、パチンコ店などを経営、数十億という財を築きます。1964年10月、対立する暴力団の襲撃に備え山口組系暴力団員を用心棒に短銃、ライフル、日本刀で武装した疑いで大阪府警に逮捕され、懲役2年6ヶ月執行猶予3年の判決が下されます。それ以前にも、傷害・暴行行為で逮捕歴のある金澤は裁判にて「反社会的性格の持ち主」とされ、大学の設立許可がなかなかおりませんでした。そこで、サントリーの佐治慶三やダイエーの中内功など関西の財界人を網羅した評議会名簿を作成、金澤は今後とも理事会に参加しない誓約書付きで許可がおります。

 

 

osakakeho

 

ところが、文部省より許可が下りると72年に金澤が理事に就任、大学をコリアンの「民族財産」と位置付け、管理部門の人事をほとんど在日コリアンにするなど独裁的な支配体制で様々な問題が発生します。78年には合格者以外の受験生をほぼ全員を補欠合格とし「協力金」を条件に入学を許可するという通知を送付、このことが2月15日付毎日新聞大阪版が報道されます。さらに80年には一部の受験生に合格通知と不合格通知が二重に届く事態が発生、また同年、進路指導担当の複数の高校教師に2~5万円の商品券を配った事実を読売新聞にて明らかにされます。

 

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読売新聞 [大阪版] 1980年12月12日夕刊

 

なぜ、このような問題が立て続けに発生したのでしょうか。その内幕を同学園の元教授である前圭一(まえ・けいいち)氏が「闇を拓く光」(2014,ウインかもがわ)という書籍に綴っています。

同書によると金澤理事は支配体制に歯向かう教員を元ヤクザを雇用するなどして強要、通常では考えられないようなワンマン支配で不満をあらわにする教員を次々と解雇するなど、理事会と教員組合が対立し紛争状態で大学として体をなしていなかったとしています。ただ、この書籍は暴露本のような内容なので、双方の意見を聞かなければ真実は見えてこないように思います。残念ながら金澤理事は85年に死去、対立構造は表面化せずコップの中の嵐と終わり、学園は新体制となります。

 

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金澤氏が他界した後、理事長は長男の俊行(ジュネン)氏に、副学長に呉原清達(呉清達・ゴチョンダル)氏が就任、しかし今度は呉原副学長に「北朝鮮工作員」疑惑の文春砲が襲い掛かります。

 

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週刊文春   1999年9月から6回にわたって連載された呉原副学長「スパイ疑惑」

 

 

呉原副学長は1941年大阪生まれの在日2世、朝鮮総連大阪に所属した活動家の家系に生まれ、大阪大学工学部を卒業後の87年から大学の理事となります。「週刊文春」は99年9月から6回にわたって呉原副学長の記事を連載、75年に韓国ソウルで在日韓国人学生が21人逮捕された「学園浸透スパイ事件」に関与を示唆、副学長を「金正日”直属スパイ”」と見出しを掲げ関係者の証言や証拠を掲載します。

これに対し呉原副学長は事実無根であると損害賠償を請求、大阪地裁は文春の記事に「真実の立証、相当性がない」とし300万円の支払いを命じます。しかしながら、北朝鮮との不透明な関係性を問題視され志願者は激減、学園は存亡の危機に陥ってしまいます。このような状況に「闇を拓く光」では経法大には過去と現在はあるが、未来がないとしています。ちなみに、文春側が記事の真贋性を立証できなかったのは、執筆したライターのきむ・むい氏がルポの発表直後に自宅アパートの一室で死体となり発見され、部屋からは取材ノートやカセットテープがなくなっていたためです。

 

本ブログでは昨年から大阪市の自転車小売業の実態研究の一環で、在日朝鮮人の「鉄くず」回収業の戦後史を紹介しています。私は在日朝鮮人ではありませんが、在日朝鮮人の文化や思考は調べれば調べるほど独特で、ひきつけるものがあるように思います。しかし、教育の現場に理事長の強いイデオロギーを持ち込むのは、森友学園問題でどうしても拒否感があり、大阪人としては素直に受け入れることができません。経法大が今後どのような未来を描くかは分かりませんが、同学園のホームページには今でも「建学の理念」として金澤の信念が掲げられています。

 

moritomo
建設中止となった、森友学園「瑞穂の国記念小学校」 (2022年4月撮影)

 

ロシアのウクライナ侵攻によりまた世界情勢が大きく変化しています。日本はいまだ北朝鮮と国交がなく、朝鮮半島も統一の兆しがみえません。私は経法大の卒業生でも関係者でもありませんが、同学園が膠着している日朝関係を懐柔し東アジアの発展に寄与する窓口となるように期待したいと思っています。

 

 

north korea
日本から北朝鮮に輸出される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

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【未解決】驚愕!西宮競輪場 2900万円強盗事件の真犯人

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現在、西宮ガーデンズのある場所にはかつて「阪急西宮スタジアム」という野球場があり、プロ野球チーム阪急ブレーブスが本拠地として使用していました。そして、この球場で2002年まで西宮競輪が開催されていたことを昨年6月の本ブログで投稿しました。

nishinomiya keirin

西宮競輪場では1993年11月に2900万円が奪われる強盗事件が発生、犯行は未解決のまま忘れ去られ時効を迎えました。その後、この事件が予期せぬ方向から、その犯行グループの姿が明らかにされました。

 

森下香枝著「グリコ・森永事件[最終報告]真犯人」(朝日新聞社,2007)
shinhannin

 

2007年に出版された森下香枝著「真犯人」(朝日新聞社)は、前年に出版されたノンフィクションノベル「史上最大の銀行強盗」(朝日新聞社)をベースに、森本受刑囚や犯行リーダーの前田浩二への追加取材を加えたノンフィクション作品です。

 

「西宮競輪場の強盗事件も、鉄ちゃんと森本芳博と私の3人で下調べをしていた事件です。私が他の事件で逮捕された後、事件は鉄ちゃん、森本喜博で決行し、すべて成功しています」

 

犯行グループ「平成強盗団」はリーダーの前田を指示役に、実行部隊の森本喜博(よしひろ)、「鉄ちゃん」こと金翼哲(キム・イクチョル)の3人を中心にして、大阪の阪神ホテルの一室にて結成されました。グループは、小手調べに尼崎市園田の郵便局強盗を成功すると、西宮競輪場強盗を続けて決行します。

1993年11月24日11時、小倉競輪の場外車券の二日分の売上2740万円を積んだ「けんみん大和信用組合」西宮支店の2台のオートバイが競輪場の南東100mの西宮市高松町の路上で、突然二台の車に挟み撃ちにされ車から降りた男に短銃のようなものを突き付け職員を連行、現金運搬用の鍵を開けさせ強奪すると西宮市武庫之荘の路上で2人開放しました。

 

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朝日新聞 1993年11月24日夕刊 [大阪版]

 

競輪場強盗が成功すると犯行グループは次なるターゲットを神戸市元町の「福徳銀行」神戸支店に出入りする現金輸送車に絞り、下調べの尾行を繰り返しました。

1994年8月6日9時20分、JR元町駅から鯉川筋を60m南下した「福徳銀行」神戸支店に二人組の男が現金の詰まった3つのジュラルミンケースをわずか3分ほどで強奪、二人組は死角を突き、炎天下の繁華街を疾風のように目抜き通りを逆走し消え去っていきました。

国内の銀行強盗事件史上最高金額5億4000万円、二人のモンタージュ絵が作成され「サングラス男」「ミイラ男」とされ捜査されました。サングラス男が森本、ミイラ男がキムで、二人は犯行直後に強奪金の取り分を巡り揉め、それ以来一度も会うことはなかったようです。

 

fukutoku  kimu ikuchoru

 

森本はその後海外に逃走、一連の事件の時効が成立すると帰国し2007年2月に名古屋市中区の「愛知信用金庫」西大須支店の駐車場にて、職員の持つジュラルミンケースを奪おうとし取り押さえられました。リーダーの前田は「5億4000万円強盗事件も鉄ちゃんがいればこそ成功したものであって、森本善博一人ではどうすることもできなかった」としています。懲役8年、奪おうとしたジュラルミンケースの中は空でした。

 

 

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<グループの起こした連続強盗事件>
・園田郵便局強盗事件 (1993年10月尼崎市)【未解決】500万
       ↓
・西宮競輪場強盗事件 (1993年11月西宮市)【未解決】2700万
       ↓
・福徳銀行強盗事件 (1994年8月神戸市)【未解決】5億4000万

—————————————————————

 

キムは在日二世、小学生時代の友人の末吉という苗字が気に入り、末吉鉄之助という通名で「鉄ちゃん」と呼ばれていました。実弟は帰化し「山下芳男」の日本名で大阪で鉄工所を経営、前田と山下は1997年7月27日に発生した東淀川のゴルフ場強盗事件で240万円奪った容疑で逮捕されています。

鉄ちゃんの実家は「鉄くず」回収工場で、朝鮮戦争の特需により一家は豊かな暮らしをしていたようです。柔道有段者で頭も良かったようですが「韓国人やから、就職できん」と定時制高校を中退し、父親の工場に「ダライ粉」と呼ばれる金属削りくずをオート三輪で収集する仕事をしていたようです。

 

steel
金属の削りくず「ダライ粉」 (写真の場所と本文は一切関係ありません)

 

本ブログではこれまで、「アパッチ族」の金時鐘、「吹田事件」の夫徳秀、朝鮮寺「龍王宮」の韓秀子管理人など在日朝鮮人による「鉄くず」関連の記事を投稿してきました。それぞれ違法行為には違いないのですが、各々複雑な事情があり、ブログを読んでいただくと悪人ではないことが分かると思います。しかし、鉄ちゃんはこの頃から古鉄盗みやヤクザの用心棒するなど前科14犯で「史上最大の銀行強盗」の片りんをみせていました。そして囚えられた前田・山下は、その凶悪な素性を供述しています。

 

はなよりも 箕面のさとの もみじ狩り みのひとつだに とれぬけいさつ

 

強盗事件が起こる10年前の1984年、昭和最大のミステリーとされる「グリコ・森永事件」が世を震撼させます。「かい人21面相」を名乗る犯人が、大阪の北部を中心に青酸ソーダ入りの菓子がバラ撒き挑戦状ともとれる犯行声明出す「劇場型犯罪」を繰り広げます。私の住む箕面でも毒入り菓子が見つかり、売り場では菓子の撤去が始まり、当時小学生だった私も憎き「かい人」の早期逮捕を待っていました。

 

一体、誰が何の目的でこんなことを、、
時効が成立し事件から38年の歳月を経た今でも謎は解明されていません。事件の発端は江崎グリコの江崎勝久社長の誘拐事件に始まり大事件へと発展し、謎を残したまま突如終わりを告げます。

 

ezaki nishinomiya
西宮市二見町の江崎邸跡 西宮競輪場から徒歩20分ほどで現在は駐車場となっている

 

グリコは道頓堀の広告看板で知られるように大阪の食品企業で、勝久社長はJR甲子園口から北へ300m先の閑静な住宅街の西宮市二見町に650平方メートルの敷地の2階建ての邸宅に家族と暮らしていました。84年3月18日夜、犯人は社長宅に侵入し、入浴中だった勝久社長を銃で脅し全裸のまま誘拐しました。

 

「ええか、グリコ・森永事件と5億4000万円の犯人は同じや」

 

社長はその後解放されますが、頭髪から少量の金属くずが採取されていました。連れ去られる際の目隠しに使用された布袋に微量に残っていたダライ粉が付着してしまったのです。

犯人のモンタージュ絵「キツネ目の男」が有名で単独犯のように思えてしまいますが、社長宅に押し入った犯人がすでに二人組で、鉄ちゃんは「ビデオ男」と呼ばれています。「ビデオ」というのは、事件が注目を集めていた同年10月に公開された「ファミリーマート 甲子園口店」の店内防犯ビデオのことで、撮影日時が森永の青酸入り菓子がバラ撒かれた時期で、どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相という紙が発見された事件です。このファミマは、江崎邸から60mと最寄りのコンビニで、鉄ちゃんの実家や競輪場も徒歩圏という立地で大胆な犯行です。

 

koushienguchi

 

国内最高金額の銀行強盗と戦後最大の怪事件の犯人が同一犯であるという衝撃的事実、犯人が特定されていて他のメンバーは逮捕されているのに、鉄ちゃんこと金翼哲はなぜ逮捕されないのでしょうか。

キムは福徳銀行強盗の強奪金を神戸市長田区のアパートの屋根裏に隠し、少しずつ資金洗浄をしていたのですが、犯行翌年にアパートが阪神大震災で被災し分け前の1億6000万円の大半が焼失してしまいます。そしてその後、神戸市中央区琴ノ緒町(ことのちょう)のマンションに住みパチンコ店で働いていました。

偶然なのですが、私も同時期に琴ノ緒町の二宮神社の向かいのワンルームマンションに住んでいました。福徳銀行まで歩いていける距離で、まだ震災の爪痕が残っていて少し寂しい雰囲気のする一角でした。もちろん凶悪犯が潜伏していたことを知るすべはありませんが、今思うとあの一帯は比較的捜査の目も及びにくい場所だったようにも思えます。

ところが1997年11月、自宅マンションを福徳銀行強盗の容疑で兵庫県警によって家宅捜索を受けます。強奪金は消失してしまっているためガサ入れは証拠不十分で失敗、キムは釈放されますが翌日に自宅から500m先で縊れた状態で発見されます。こうして、一連の犯行は時効が成立、県警の不手際もあるため未解決事件として処理され、謎を残したまま今でも世間を震撼させた怪事件として語り続けられているのです。

 

 

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